『別れる決心』は全世界にファンを持つパク・チャヌク監督の最新作として、日本でも期待を持って迎えられた作品だ。
昨年おこなわれたカンヌ国際映画祭では監督賞を受賞し、パク・チャヌクの実力をあらためて世界に知らしめた。また、今年度のアカデミー賞ではノミネートこそ叶わなかったが、韓国の代表に選出され最終選考まで残っている。
本記事では、そんな『別れる決心』に登場するソレとヘジュンの関係性と、映画に隠されていた伏線をネタバレ全開で解説していきたい。
『別れる決心』(2023)あらすじ
正義感が強く、自分の仕事に誇りを持っている刑事・ヘジュン(パク・ヘイル)は、妻がありながらも、捜査中の事件の被疑者であるソレ(タン・ウェイ)に恋心を抱く。刑事と被疑者が愛し合うことは許されなかったが、ソレもまたヘジュンに惹かれ、ふたりは親密な間柄になる。ソレにかけられていた疑いも晴れ、ふたりの愛は以前にも増して燃え上がっていくが、ヘジュンは“ある発見”をしてしまう。それは、ソレのアリバイを崩す、ひとつの証拠だった。ソレが殺人犯であることを確信したヘジュンは、刑事として、最悪な決断を下してしまう。
※以下、ネタバレを含みます
セリフではなく映像で語る映画
『別れる決心』は、ほかのパク・チャヌク作品と比較するとインパクトに欠けるかもしれない。
パク・チャヌクの映画はバイオレンスでエロティックな作品が多く、中には成人向けに指定される作品もあったが、本作には直接的な性描写がほとんどない。キスシーンすら焦らしに焦らした徹底ぶりには、彼の過去作を知る多くの人が驚いたことだろう。
しかし、この映画はパク・チャヌク史上、もっともエロティックな映画だったと断言できる。
パク・チャヌクほどの映像作家になると、エロを撮るのに裸もベッドシーンも必要ない。男と女が視線を交わす、その瞬間をカメラに収めるだけで、ふたりの間にある燃えるような情熱が表現される。そこにはセリフも、過度な劇伴も邪魔なだけだ。
本作はまるでサイレント映画のような、原初の映画体験を実現しており、経験豊富なパク・チャヌクだからこそ生み出せた作品だといえるだろう。
また、秀逸なカメラワークにも注目したい。
本作は予想外のアングルから撮られたショットが多く、観客を常に驚かせてくれるが、単に奇抜なだけではない点が特徴だ。
たとえば、映画冒頭のヘジュンとソレによる尋問シーンでは、ふたりの背後に鏡を配置した、印象的なショットが連続する。尋問シーンは物語の解説をする、いわゆる説明セリフが多い場面だが、下手な映画にありがちな「台本を読んでいるだけ感」がまったくない。演技が巧いことはもちろん、視覚的な“飽き”をいっさい感じさせず、映画のリズムを壊すことなく進行していく。
“禁断の恋”という語り尽くされてきたテーマを扱っているが、パク・チャヌクの変態的ともいえる演出が加わることで、心にねっとりと絡みつく映画に仕上がっている。
ソレがラストで見せた行動の意味
本作は衝撃的なラストで幕を閉じる。2つの殺人事件に関わっていたソレは、ヘジュンにメッセージを残し、自殺してしまうのだ。それも、“生き埋め”という、考えうる限りもっとも苦しい死に方で。ソレはなぜ、あれほど苦しい死に方を選んだのだろうか。
ソレは嫉妬深い女性だった。嫉妬の対象は、ヘジュンが部屋に残していた未解決事件にまで及んでいる。彼女はヘジュンの脳内が未解決事件であふれていることを知り、次々と証拠の写真を焼き払っていく。愛するヘジュンの中を、自分自身で満たすためだ。
しかし、映画中盤で、ソレが起こした殺人事件はヘジュンによって“解決”されてしまう。ソレは認知症を患っている老婆を騙し、アリバイを作り出していた。その事実に気がついたヘジュンは、ソレを逮捕こそしなかったものの、脳内で彼女の事件に“解決”の印を押したのだろう。ヘジュンにとっては、「別れる決心」がついた瞬間と受け取れる。ソレとの別れ、そして誇り高き刑事としての自分との別れだ。
一方、ソレは自分自身をふたたび“未解決”にカテゴライズさせるため、別れた後も着々と計画を練っていた。その計画こそ、ラストの自殺に繋がってくる。
ソレは満潮を狙って生き埋めになることで、自身の死体を隠そうとした。ソレの死体が発見されなければ、事件は永遠に“未解決”になる。つまり、ヘジュンの中で永遠に生きるために自殺したといえるのだ。狂気ともいえるほど強い愛情から、嫉妬心や独占欲から生まれ、ソレを死に至らしめた。彼女の執念深さを感じさせる、秀逸なラストである。
さらに恐ろしいのは、ソレの死体や死の瞬間が、観客に対しても隠されている点だ。ソレが死亡する瞬間を描かないことで、「ソレは死亡せず、別の場所で身を隠している」といった解釈もできる余白が生まれている。観客にとっても、この映画は“未解決”で終わるのだ。
劇中で描かれた海と山
本作は海と山が効果的に使われた映画だった。山で起きた事件にはじまり、海で起きる事件で終わる。ラストシーンの衝撃も相まって、ロケーションとしての海と山は多くの人の記憶に刻まれたことだろう。しかし、本作における海と山はキャラクターにも置き換えられる。
まずは劇中で語られた孔子の言葉を引用してみよう。
賢い者は水を好み
慈悲深い者は山を好む
この言葉を聞いたソレは「海が好き」と話し、ヘジュンは「僕も」と同意する。
ふたりは本当に水(海)を好む賢い者だったのだろうか。セリフの中ではこれ以上語られないが、実は映画の隅々まで目を凝らすと、ふたりの性質がさまざまな形で表現されている。
ソレの周囲には“青色”の物であふれている。たとえば、彼女が着る服は青色が多い。介護のシーン、尋問のシーン、証拠写真を燃やすシーンなどで青色の服を着ている。また、彼女の部屋の壁紙は青色で、介護をしている老婆に読んでいる本の表紙も青だ。さらに、ヘジュンを寝かしつけるシーンでは、部屋全体がまるで水の中にいるかのようにライトアップされる。これらのことから、ソレは水を好む賢い側の人間であることが暗示されている。
一方、ヘジュンは山を好む慈悲深い者だ。彼が犯人を追いかけるシーンでは、必ずといっていいほど高低差が強調される。劇中では2度、犯人を追い詰めるシーンがあり、どちらも屋上で対峙していた。犯人に対する接し方や、ソレを見逃した点から見ても、ヘジュンが慈悲深い人間であることは間違いないだろう。
ふたりの性質を把握しておけば、本作に対する解像度がグンと上がるはずだ。
海と山の性質を踏まえたうえで、もう1度ラストシーンの話に戻りたい。
“水”の性質を持つソレが、海の中に沈んでいく。まさに運命的といえるラストだが、少し前のシーンを思い出してほしい。
ソレが砂浜にやってきて、スコップを持ち、自分が入る穴を掘る。そして、掘り返した砂が穴の横に蓄積していき、“山”ができあがる。カメラが山にクローズアップした瞬間、波にさらわれ、砂でできた山はボロボロと崩れていく。
このシーンは“山”であるヘジュンが、“水”であるソレに崩され、自分を失ってしまったことを暗示している。すでに彼は誇り高き刑事でもなければ、良き夫でもない。彼の中に残っているのは、ソレと過ごした思い出だけ。彼は常にソレの手のひらの上で踊らされていた。
その瞬間、観客もパク・チャヌクという映像作家に、終始翻弄されていたことに気がつくのである。
『別れる決心』作品情報
監督:パク・チャヌク
脚本:チョン・ソギョン、パク・チャヌク
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※2023年2月17日時点の情報です。