若松孝二が、1965年に設立した「若松プロダクション」の映画作りの実情を、助監督・吉積めぐみの視点で描き出した映画『止められるか、俺たちを』が、いよいよ公開を迎える。『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(以下、『連合赤軍』)をはじめとした若松監督作品に何本も出演し、彼を「恩師」と敬愛してやまない井浦新が若松孝二その人を演じ、スクリーンで荒々しくも純粋な熱量をぶつける名演を見せた。そんな井浦演じる若松のもとに入り、自らの道を見つけるため、自分が何者なのかともがきながら儚い運命をたどる主人公のめぐみを演じたのは、門脇麦。インパクトの強い井浦の様相に一歩も引かず、静かながらも存在感を光らせるたたずまいは、物語の語り部として観客に寄り添う。
監督を務めた白石和彌は、若松監督の助監督であり愛弟子である、本企画の発起人。『孤狼の血』(18)、『日本で一番悪いやつら』(16)などに代表される、遊び心あふれながらも的確な演出は本作でも磨きがかかっており、若松孝二というひとりの人間を、めぐみという名の白石監督の視点を通し、実態を持たせている。
井浦と白石監督の映画人としての道に大きな影響を与えた若松孝二という名匠の、1969~1971年を切り取るにあたり、一体ふたりは何を思い、臨んだのか。撮り終わった今、何を思うのか。2018年の今、本作を送り出す意義を語り合ってもらった。
――おふたりは1974年生まれの同級生だそうですね?
白石監督 そうなんですよ。
井浦 そうですね。
――作品でご一緒されるのは初めてでしたか?
井浦 初めてじゃないんですよ、実は。
白石監督 ドラマ『人間昆虫記』(11)で、新さんにお願いしたので。
井浦 それも、また面白いドラマですよ(笑)。
――そうでしたか。スクリーンでは初タッグ、ということになりますか?
白石監督 そうですね。若松監督の、晩年の…という言い方になっちゃいますけど、晩年の映画の牽引力に新さんがいたから、若松さんはあれだけ撮れたというのもあるし。
井浦 いえいえ、いえいえ。
白石監督 もちろんドラマを一緒にやったときに、新さんの面白さ、俳優としてのすごさがわかっていたので、どこかで映画をやろうと思っていたんです。ただ、やっぱりやる以上は、がっつりやれる映画じゃないと絶対嫌だと思って、若干探っていたんですよね。
――どのような作品が合うか、ということを?
白石監督 はい。若松プロで題材を見つけられたので、おそらく一番いい形でできたな、というのはあります。
井浦 白石監督に言うには恐れ多い言葉ですけど、やっぱり白石監督にとっても師匠であって、親父のような存在であって、僕にとっても、本当に師匠であって、親父のような存在で。言ってみれば、同じ父を持つ監督と役者が、ふたりで仕事をさせてもらえた感覚なんです。しかも、若松プロダクションの物語を撮るということで、状況が(ドラマのときとは)全然違うものだな、というのはありました。確かに2回目ではあるけれど、こんなに白石監督と毎日一緒に撮影期間を過ごしたり、キャッチボールをし続けたことは、あのときとは全然違うものを感じながら『止められるか、俺たちを』を、やらせてもらっていました。
――もっと言えば、ドラマの前に若松監督の現場でお会いしていたんですか?
井浦 白石監督に一番最初にお会いしたのは、『連合赤軍』の現場でした。3カ月間撮影してきた中でのクライマックスの山荘のシーンを撮っているところ、スタッフが全然足りていない状態で(笑)、そんなときに白石監督は応援で数日来てくださった。僕は初めてだったので、「どなただろう? こんなときになって、誰が来たんだろう?」とすごい動揺したんだけど、結果、現場の仕切り方が尋常じゃない、完璧な状態なんです! 若松監督の仕事の在り方が完全にわかっているから、「うわっ!! すごい!」と驚きました。それまでは本当にスタッフがいなかったから、全部僕らも自分たちで判断しながらやってきたんです。けど、白石監督が来てくれたから「芝居に集中できる」となって。……というのが第一印象でした。
――以降、2度ほど現場をご一緒して、白石監督の変化などを感じていますか?
井浦 今も、あの頃と全然変わっていないです。やっぱり目つきがギラッとしているけれど、やわらかいし、優しい方で。でも、言葉はしっかりとザクザク来る。白石監督とご一緒した方の中には、もしかしたら「怒っている姿を見たことがない」と言う人たちがいるかもしれないけど、僕は結構ちゃんと白石監督がイライラする姿を見たことあるし。
白石監督 わあ(笑)。
井浦 多くはないけれど、「なんだ、それ!」みたいな感じで声を張り上げたりした瞬間もありますよね。そんなときに引いて見ていると、どこか、やっぱり師匠と重なったりして。こういうときって、刷り込まれたものが出るんだろうな、と思いました(笑)。
白石監督 僕も修業が足りないなあ(笑)。出さないようにしているんですけどね。
井浦 すごい抑えているのもね、感じる。特に役者じゃなくて、同じ世代のスタッフの人たちの手際がうまくいかないと、白石監督は自分がやらないように我慢して、我慢して、ウーッてイライラし? ?きて、最終的に「俺がやったほうが早い!」と動き出している(笑)。
白石監督 新さん、よく見ていますね……(笑)。
井浦 きっと、ずっとそうなんだろうな、と思うんです。それが白石監督なんだろうな、って。大きな作品をこれからもどんどん撮って、ご自身が本当にやりたいような作品も隙をついてバンバン撮って。その現場の中でも、自分がやっちゃったほうが早いって思ったときは、自分で動いて仕事しちゃうんだろうし。師匠の下で仕事をしてきて、時期が長いのもあるし、そこで吸い込まれたものが体に染みちゃっているのかもしれないですね。
白石監督 若松さんも結構自分でやっていましたよね。後半、なかなか体が動かなくなってイライラしていたけど、若いときは全部やっていたと思う。だから、新さんが(劇中で)女優にやった、「君、君を撮っているのよ! わかるか?」とかも、そうだしね(笑)。
井浦 やっていました、やっていました(笑)。あそこは、もう実体験として、「あったから良かった」、「チャーンス」と思ってやっていました(笑)。
白石監督 もう、まんまですからね。笑っちゃうけど、本当に(笑)。
――本当に、若松監督は映画に描かれたような演出をなさる。
白石監督 若松さんはね、自分が特殊な人だと思っていないから。
井浦 そうそうそう(笑)。
白石監督 世界で一番常識人だと思っているから、あの人(笑)。それがおかしな話なんだけど。やってきたことが本当に映画になるとは、1ミリも思っていないと思いますね。「何が、そんな面白いんだ!」と思っていると思います(笑)。
井浦 みんなが笑っていることが、わかんないんですよね(笑)。
白石監督 むちゃくちゃ面白いんですけどね!
――『止められるか、俺たちを』では、そんな若松プロでのモノづくりの厳しさ、楽しさもすごく受け取りました。実際、本作を作り上げる上でも同じような想いを感じていたのでしょうか?
白石監督 もちろんね、そうです。僕なんかは、最初の映画作り体験でいったら、若松さんがいたから現場は苦しかったんですよ。本当に怒られて、「もう終わりだな……」と思ったら、この映画と同じように「ちょっと飲みに行くぞ」と連れて行かれて、あんな話をされたりする。まさに、僕の体験でもあるんですよね。
例えば、めぐみが『うらしまたろう』を撮ったとき、初号で(一緒に)観ているじゃないですか。フワッと若松孝二を見た、あの角度とか、もう僕が『ロストパラダイス・イン・トーキョー』を作って、バッと見たときの若松さんの角度と同じにしているんです。そうした僕の体験も入れていますし、端々に、僕だけじゃなくて、若松プロで関わった人たちのいろいろな体験が入っている映画なんです。若松プロは特殊ではあるけれど、モノ作りとか、若い頃に何かになりたかった人とか、みんなの共通する思いだったりもするんですよね。それが、この映画を作ったひとつの意義かな、とも思っています。
――監督の初号のお話、俳優部で置き換えると、演技をし終えたときの監督のリアクションなどにあたるのでしょうか?
井浦 気にするというよりも、僕の場合は本番のときに、とにかく全部を監督に投げていく作業だと思っているんです。ぶつかっているんですよね。共演者が目の前にいるけど、やっぱりその後ろには監督がいて、監督にどんどん、僕はぶつかっているんだろうなあ、と感じます。
今回、こうやって若松監督役を演じて思ったのは、僕は晩年の若松監督から映画を作ることを見させてもらっていますけど、若松監督って僕が現場でやっていたこと、言っていたことと、当時の監督の言い続けてきたことが本当に変わっていなかったんです。カメラが回っていようが、「なんだよ」と思ったら、すぐに芝居場に入ってきて、役者を動かしたりしますし(笑)。「そんなんじゃ全然映ってないから!」とか言うのも、サイレントでずっと撮っているから、晩年もああいうことができていたんだろうなというのが、すごくわかりました。機材が変わったとしても、監督の映画作りの流れは昔から何も変わっていないんだなあと、すごく感じました。役を通して、自分の知らなかった若松監督と、僕の知っている若松監督がつながったりしたところでもありました。
――身を持って、この映画の世界の中で体験された、実感されたような部分もあったんですね。
井浦 役は演じているけれど、本当に違うところで若松監督に会えたなとか、ちょっとそういう不思議な、幸せな気分を感じたりしていました。
白石監督 追体験しましたよね。やっぱり不思議な感覚でしたね。よく言うのは、子供が産まれると、自分が小さいときを追体験させてくれると。「小学生に上がるとき、俺もこういう気分だったんだな」とか、自分の子供を見ていても思うんです。今回は逆で、父親を追体験するような気分でね。現場で本当によく覚えているのは、新さんと、「若松さんって本当にエネルギーがある人でしたね」って、しみじみと語ったことがあって。
井浦 うんうん。しみじみ。
白石監督 毎日こんな感じで、あっちに行きゃ喧嘩をふっかけられて、それを受け止め(笑)、みたいなことをずっとやっていた。よくこれを何十年もやっていたな、と。「エネルギーが必要な生き方をしている」と いう感じ。本当にびっくりしますよ。
――トレーラーでも流れる、女優さんが海辺を半裸で走りながら「若松孝二に殺される~~」と叫ぶ場面があるじゃないですか。ああいったこともですか?
白石監督&井浦 (笑)。
白石監督 『狂走情死考』に関しては、本当は時代がちょっと離れているんですけど、どうしてもあのシーンを象徴的に入れたくて。若干ギャグっぽくなっているんですけど、「いくぞ、オラー! 死ぬ気で走れ、タコォ!!」ってね。あの瞬間、自分で観ていてもちょっと泣けてくるんですよ。「すげえな」と思って、あそこが一番泣けるんです。今で言うと、パワハラ・セクハラ、全部入っています(笑)。
――しかし、『サニー/32』で白石監督は北原里英さんに、「2階から飛び降りて雪の中、薄着でカメラから見えなくなるまで歩いて行け」の指示を出しましたよね。まるで若松監督のようだと感じました。
白石監督 逆ですね(笑)。本当の『狂走情死考』では冬のシーンだったんだけど、夏に撮っていたから(本編では)ああいう形になったんです。冬にああいうことをやらせたのを知っていたから、それを『サニー/32』に置き換えました。
――演出を受けていて、「殺される」ではないかもしれないですけど、井浦さんも近いものを感じたことはありましたか?
井浦 「若松孝二に殺される」は、そりゃありますよ(笑)。
白石監督 (笑)。「殺そうかな」もありますよね(笑)?
井浦 (笑)。自分自身が「殺される」もあるし、目の前で共演者が完全に殺されちゃって、人格崩壊していく姿を目の前で見たりもしますし。けど、晩年の若松監督は、「殺される」というような状態になったら、必ずその後に「飯食うぞ」、「今日は俺が鍋作るから」とかが入ってくるんです。飴と鞭の使い分けがすごくて、「こうやって吸い寄せられちゃうんだろうな」と思っていました。
――こうして『止められるか、俺たちを』が製作され公開されることで、若松監督を知らない若い世代や、作品に触れてこなかった方が、若松監督の作品を観るきっかけになるかと思っています。そうした意図も製作の上にはありましたか?
白石監督 もちろん、それもあります。過去の映画を、もう1回観てもらえる扉になってほしい思いは、非常に強くありますね。『孤狼の血』やロマンポルノ(『牝猫たち』)などの昭和テイストの映画も、僕はやっているんですけど、過去の映画を僕はちゃんとリスペクトしています。今、「それは何周回って新しい」とよく言うけど、そういうこととは違って、過去の映画には完全にオリジナリティがありますよね。若松さんの映画も非常にオリジナリティの塊だったりするし、当時でしか成し得ない映画でもあるから、その映画への尊敬と憧れという気持ちを込めて、この映画も企画しました。
それに「どうやって撮っていたのかな」、「どういう気持ちで撮っていたのかな」って、やっぱり僕自身が知りたい気持ちもありましたよ。それは単純に僕が『孤狼の血』というすごく大きい映画を任されるようになってきたけど、僕の出自ってやっぱりこっちだから、今のこのタイミングでやっておかないと、作家として、映画監督として、僕自身も何かを置いていっちゃうんじゃないか、という危機感もあったんです。
――白石監督ご自身のためにも、今すごく必要な映画だったんですね。
白石監督 足立(正生)さんの話を聞いたり、いろいろな人の話を聞いていたら、若松さんは「世の中を全部ぶっ壊そうと思って撮っていた」とか「ひっくり返そうと思って撮っていた」と言っていたんですよ(笑)。台詞でも言っていますけど。今、そんな思いで映画を撮っているやつ、いるかなと思って。
井浦 本当にそうですね。
白石監督 誰もいないでしょう。それは、ちょっと僕、衝撃を受けましたよ。世の中の不満とか、社会への不満、政治への不満で言うと、たぶん当時も、70年安保が崩壊して、よど号(ハイジャック事件)も終わり、みたいな時代で、政治的敗北が色濃くなっていることを考えると、今の政治状況も似たような感じだと思うわけです。そんなにズレていないはずなのに、今の映画って、世の中をひっくり返そうという気概が1ミリもないでしょう? それはどうなんだろうな、ということも、ちょっとこの映画に込めたいと思っていたし。本当にどういう思いで映画を作っていたかを追体験したというか、改めて「映画って何なんだろう」と僕自身が考えるきっかけにもなりましたね。
井浦 昔の映画を観ない人たちが、表現や映画作りに携わるのは、知らないからできる瞬間はあったとしても、やっぱりそれを知ってやることがいかに大事かって、どっちにしてもすぐわかってきてしまうことだと思うんです。監督が言ったように、明らかに、この時代に作られているどんな映画も、本当に……作品を観ると、「こんなに自由に作れるのか」とか「なんでこんな画なんだろう」、「なんでこんな大事なところに、こんなふうにしちゃうんだろう」とか、めちゃくちゃ、むちゃくちゃみたいなのが本当にいっぱいあって。
でも、そこにはその監督の思いが実はあったりしていて。制限のない、自由な映画作りって、本当に、今の僕たちはどこまでできているのかなとか、と。知らないから、怖いもの知らずでできる瞬間もあるかもしれないけど、それは本当に一瞬だったりもするんだろうし。映画作りの中でも、先輩方の芝居を観てきたら、ある程度の時代でどんな芝居の在り方も全部やり尽くされちゃっていて、「自分たちがやっているのって何だろう」と本当に思ったりもしますし。先輩方の観たものが、いつの間にか自? ?たちの脳裏にあって、知らず知らずにやっているということは、やっぱりオリジナルじゃないんだな、と。だったら「自分のオリジナルって何だろう。古きをちゃんと知らないと、自分のオリジナルって絶対見出せないんだな」と今、思うんです。
だから、『止められるか、俺たちを』を観たら、古きよき時代の映画作りや、こういうモノ作りの表現の現場はなんて生き生きしていてとか、今の自分たちは何がなくなって、何がつながっているのを、すごく照らし合わせられるんだなと、思っています。(インタビュー・文=赤山恭子、撮影=You Ishii)
映画『止められるか、俺たちを』は、2018年10月13日(土)よりロードショー。
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