映画『女神の見えざる手』は、政府を影で動かす女性ロビイストが主人公のポリティカル・サスペンス。
裏切りもあれば陰謀もある。勝者と敗者が一瞬にして入れ替わり、ちょっとでも油断していると置き去りにされかねません。
公開時、逆転のカタルシスにより多くの観客を騒然とさせ、興奮のるつぼに叩き込んだ本作。
しかしそれは本当に“大どんでん返し”だったのでしょうか。監督のジョン・マッデンは、実はある“手法”により、その結末を予見させる伏線を早くから張っています。
本記事では、その周到に計算された手法について考察していきます。
映画『女神の見えざる手』あらすじ
大手ロビー会社に勤めるエリザベス(ジェシカ・チャスティン)に、銃の擁護派団体から、銃規制強化法案を廃案に持ち込んでくれとの依頼が入る。しかし、エリザベスはクライアントの前であっさりその依頼を断った。
その噂を聞きつけた小さなロビー会社のCEO、シュミット(マーク・ストロング)は「自分と一緒に闘わないか」と彼女に持ちかける。次の日、エリザベスは部下を引き連れ、シュミットの会社へ移籍。
だが、巨大な権力をもつ銃擁護派団体や彼女の私生活の癖までをも知るジェーン(アリソン・ピル)ら元同僚たちによってエリザベスの過去のスキャンダルが暴かれ、事態は予測できない方向へ進んでいく……。
※以下、映画『女神の見えざる手』のネタバレを含みます
彼女に勝ち目はあるのか
聴聞会に召喚され、過去に犯した不正の証拠書類を突きつけられたエリザベス。映画の表層だけを見ていると、彼女の勝利はかなり厳しい。ほぼ不可能と言わざるを得ません。
この不可能を可能にする方法として、しばしば用いられるのが「B面」の後出し、いわゆる「どんでん返し」。物事がある形で収束するかに見えたまさにそのとき、「実は…」と、その裏で何が起こっていたのかを見せる手法です。
前半(A面)の違和感を後半(B面)で回収する、2018年の大ヒット作『カメラを止めるな!』なども、この手法を用いていますね。
しかしこの手法はやみくもに使っていいというものではありません。先に描かれる「A面」において、そのどこかに後の「B面」に繫がる手がかりを忍ばせておかなければ、映画は「なんでもあり」になってしまいます。
では『女神の見えざる手』ではどうでしょう?
その解答の前に、まずは本作の構成を振り返ってみましょう。
3ヶ月と1週間前は誰の回想だったのか
会社の顧問弁護士から、聴聞会での対処法「黙秘権」の行使について指南を受けるエリザベス。そして映画は聴聞会へ。さらにはその3ヶ月と1週間前の過去へと遡っていきます。
場所は大手ロビー会社、コール=クラヴィッツ&Wの女子トイレ。4年間、エリザベスの下で働く部下のジェーンは、ロビー活動の汚れた現実に失望。学業に戻りたがっている様子。
ここからは冒頭の【あらすじ】に記した通り。銃擁護派団体からのオファーを断ったエリザベスは、翌日、会議の席で移籍を宣言します。彼女の仕事ぶりに心酔する何人かの部下たちは、エリザベスについていくことを即断。
しかし唯一の“計算違い”だったのがジェーン。彼女はそれまで隠していた野心をあらわに、このロビー会社に残ってしまいます。
出典元:YouTube(キノフィルムズ)
さてところで、この「過去」は誰の視点で語られているのか? これが今回の本題です。
聴聞会で、カメラはあるトリッキーな動きをしています。エリザベスへと近づいていったカメラはなぜかその脇をすり抜け、さらに後ろで彼女を見つめるジェーンにドリー・イン(カメラ自体が移動して被写体に近づいていく)。そして映画は「過去」へ……。
これは普通ありえないことです。このシーンが3ヶ月と1週間前のエリザベスの「回想」であるならば、それはエリザベスにドリー・インしなくてはならない。それなのに、なぜジェーン?
そうです。この「回想」はジェーンのもの。
そしてそこでは、エリザベスしか知るはずのない彼女とシュミットとの会話の中身、報酬額についてのやりとりまで出てくるのです。そして……。
ジェーンは深夜遅く、エリザベスからの電話を受けます。
「ソクラテスは書物を残さなかったのに、なぜ多くの人を惹きつけたのか?」
その理由を直に会って聞きたいというエリザベス。しかし映画はふたりの“密会”を映すことなく翌朝の移籍宣言シーンへ。
移籍を宣言する直前、ジェーンはエリザベスがサインしたある書類を受け取っています(上記の動画「本編映像《移籍》」の冒頭にサイン書類の手渡しカットが出てきます)。
これこそが後にエリザベスを絶体絶命に陥れる上院倫理規定違反(議員の海外視察を手配したロビー会社)の証拠書類。
そう、もう気づかれたことでしょう。ここでエリザベスはジェーンに「撒き餌」を渡しているわけです。
その「餌」を使い、自ら聴聞会に立つことで「ロビー会社と議員の裏交渉」という、さらに大きな敵の不正を表面化させる。まさに自分のキャリアを捨てての大勝負。そして彼女は盗撮動画という「切り札」を使います。
「自分の手を見せるのは、敵が切り札を使った後」
ジェーンがエリザベスと袂を分かった後、エリザベスは彼女に一回だけ電話をかけています。
エリザベス「出ないかと思った」
ジェーン「何かのお間違いでは?」
これこそが「さあ行くわよ」。つまりGOサインだった。
聴聞会のクライマックス。切り札の動画がいよいよ使われることが分かったジェーンは上司に突然辞職を申し出、ある一枚の紙を手渡します。
それは最初の夜、エリザベスを引き抜く目的で近付いたシュミットが彼女に渡したメモ。「勝つ能力以外に信じるものは…」と書かれたその紙の裏を返すとそこには「報酬額ゼロ」の文字。
移籍前夜。“密会”の中、エリザベスは彼女にこのメモを見せたのみならず手渡してまでいた。そして「密偵」となったジェーン。ときには心が揺らいだこともあるでしょう。しかしこのメモが、汚れた現実に失望していたジェーンにとっては、大切な「お守り」となっていたに違いありません。
「仲間は少ない方がいい。この国はどこに行っても密告者がいる」
この大仕掛けはジェーン以外には誰も知らされていませんでした。連邦矯正施設に収監されたエリザベスに弁護士はその理由(わけ)を聞きます。
エリザベスの答えは「5年食らっちゃうから」。
この5年というのは「偽証罪の刑期」のこと。もとより、己が勝つ能力だけを信じ、チームの一人ひとりに監視までつけていたエリザベス。証言での齟齬という危険性を避けるためには当然というほかありません。
そんな彼女がジェーンにだけはすべてを賭けた。多くの人の心を惹きつけたソクラテスにはプラトンをはじめとするたくさんの弟子がいましたが、エリザベスにとってのそれはジェーンただひとりだけだったということでしょう。
映画のラスト、出所したエリザベス。遠くを見つめるその眼の先には、もしかしたら彼女を待つジェーンの姿があったのかもしれません。
【映画こぼれ話】
「A面」「B面」の話法
本作で使われたこの話法自体をひとつのスタイルとして定着させたのが、宮藤官九郎のTVドラマ『木更津キャッツアイ』。『運命じゃない人』『アフタースクール』といった一連の内田けんじ監督作品、そして前出の上田慎一郎監督の『カメラを止めるな!』なども、前半の違和感を後で回収。観客に笑いとカタルシスを与えてくれます。
『ザ・エージェント』
移籍宣言したエリザベスに多くの部下が付いていくのを見て、上司は「Jerry Maguire(『ザ・エージェント』)か?」と漏らします。これはトム・クルーズ主演の1996年の映画。
主人公ジェリー・マグワイアは会社の方針に疑問を持ち、理想に満ちた提案書を提出するもクビに。しかも彼についてくるのは会計係の女性ひとりだけ。エリザベスのケースとはまったく異なります。辞めていく部下から「映画、観ました?」と揶揄されるのも当然。
アメリカにおける「女性映画」
『女神の見えざる手』のエリザベスは異性との付き合いにはエスコート・サービスを利用していますが、1977年から78年にかけ、それまでの恋愛・結婚観に縛られない新しいタイプの「女性映画」がスクリーンを賑わせました。
それをもっとも端的に表したタイトルが、流行語にもなった『結婚しない女』。以後、映画はさまざまな職業の「自立した女性」を描いていきます。
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