SNSのお見合いサイトで彼氏を見つけた七海。幸せな結婚生活も束の間、その先には思いもかけないできごとが待ち受けていた−。
前回の考察記事では「3.11後の日本」をキーワードに『リップヴァンウィンクルの花嫁』を読み解きました。今回は切り口を変えて、用意周到にちりばめられた、岩井俊二監督によるさまざまな仕掛けについて考察していきます。
タイトルと予告が生み出すミスリード
「リップ」「ヴァン」「ウィンクル」。リズミカルでふしぎな響き。そして公開日は3月26日。桜咲く春ということも加わり、あの『四月物語』さえ連想させます。しかしこれもある種のミスリード。次に期待とともに特報で私たちが目にしたのは……。
白い丸襟のブラウスに茄子紺のカーディガン。特報で姿を見せたその女性は頭に大きな“猫かんむり”を被り、こちらからは表情をうかがうことができません。バックに流れるCocco(「コスモロジー」)の澄んだ歌声がかすかに映画の切ない情感を伝えるのみ。
そして、待ち焦がれた予告篇第一弾では、ヒステリックな叱責、悲鳴にも似た女性の叫び―。キツく尖がった感情的な言葉が間断なく浴びせられ、その荒波に揉まれるかのように彼女はくるくる回り続ける。
もしかしてこれは現代版「鉢かづき姫」か? 初めてタイトルを耳にしたときのウキウキとした高揚感は脆くも崩れそうになります。
意表を衝くオープニング
本編のオープニングは思いもよらぬものでした。行き交う人で賑わう、ありふれた都会の風景。その雑踏の中、カメラはひとりの女性に望遠でフォーカスします。
そのバックで流れるのは、結婚式などでよく耳にするメンデルスゾーンの「歌の翼に」。せわしなく流れゆく日常と祝福で満たされた特別な一日。相反するものをあえて同一の世界内に置く。「画」と「音」の異化効果を知り尽くした、これぞまさしく作家の映画です。
キャスティングの妙(1)――「黒木華」の持つ時代性
スマホを片手に、おずおずと手をあげる女性・七海。彼女に扮するのは黒木華。これまで『小さいおうち』『母と暮せば』などで助演としての実績は重ねていたものの主演は初めて。
初日の舞台挨拶。台湾での上映で「昭和の雰囲気」と評された黒木華を“この時代ならではの女優”とフォローしようとした岩井監督は、「昭和の最先端を走る女優」と言い間違え、本人から突っ込まれるという冷や汗の一幕もありました。
監督の本心がどちらにあるのかは分かりませんが、思わず「昭和」が口をついて出てしまう。そんな清楚なキャラクターの持ち主だったからこそ、不幸の坂を転がり落ちていくヒロイン・七海に対し、観客はより気持ちを寄り添わせることができた、というのもひとつの見方ではないでしょうか。
キャスティングの妙(2)――「綾野剛」という錯覚
キャスティングの妙といえば、彼女に「罠」を仕掛ける安室役の綾野剛にも当てはまります。これまでにも「闇金ウシジマくん」シリーズや『新宿スワン』などで裏の仕事は経験済みですが、同じ“ヤバい職業”でもそれらの映画で見せた強面とは違い、こちらは飄々とした人懐っこい笑顔。とても七海を死にまで追い込もうとする「悪魔」には見えません。
もしかして安室とは、最後には七海をこの“地獄めぐり”から救い出す“白馬の王子”なのではないか? 『ピースオブケイク』で見せたお茶目なビデオ店長をも想起させるこのキャラクターイメージの「錯覚」が頭にこびりついたままとなるからでしょう。本作『リップヴァンウィンクルの花嫁』にはいくつかの謎が残り、映画の公開を終えたいまも、しばし論議の的となることがあります。
ランバラルとはだれか?
『リップヴァンウィンクルの花嫁』の最大の謎といえば、七海を安室に紹介したランバラルについてでしょう。ネット上では、これは真白(Cocco)の別ハンドルネームではないかという説もまことしやかに流れています。
しかしこの謎については、実は二度観ると明らかです。七海をホテルに誘い込んだ男・高嶋(和田聰弘)が主犯の安室に「ランバラル」と声をかけています。あまりにあっけない謎解きにがっかりされるかもしれませんが、これも“綾野剛=ヒロインを助けるヒーロー”という刷り込みからくるものではないかと推測できます。
ピアスの謎、安室号泣の謎
このシーンに絡めていえば、七海の家に落ちていたピアスは誰のものか?という謎も残ります。
2016年東京国際映画祭の舞台挨拶で、観客からこのダイレクトな質問を受けた岩井監督は「全体をオーガナイズしているのは安室」と答えたものの、ピアスに関しては観客それぞれの解釈にゆだねています。
筆者はこの監督の姿勢に賛成です。映画の骨子さえ見あやまらなければ、それぞれのシーンの受け止め方は観る人の自由。観客ひとりひとりにそれぞれの答があるのではないでしょうか。
真白の骨を母親・珠代(りりィ)のもとに届けたときの安室の号泣にしてもしかり。これをあくまで実を取るための彼の“演技”と取るか。娘に対する母親の思いの奔流の前に、ついに崩れた“安室城塞”と見るか。その答えは、観客自身の生き方を映す鏡ともいえるでしょう。
アングルが意味するもの。俯角と仰角
映画には、時として空気が大きく変わる瞬間があります。
家を追放され、人気のない道をあてもなくひとりさまよう七海。自分のいまいる場所さえ分からなくなった彼女を、カメラは仰角で捉え、どん底に落とされた人間の恐怖を写し取ります。
このシーンに驚かされた方は意外と多かったのではないでしょうか。それというのも、古今東西、人間の無力さや悲惨な運命を表すには“俯瞰の構図”(天からの視点)いうのが定石だったからです。
ではなぜ、岩井監督は先人の知恵に倣うことなくこのアングルを選んだのでしょうか? それは “人に寄り添って物語る”という基本的姿勢が彼の根底にあるからではないでしょうか。
小さな手に託した監督の祈り
映画の冒頭、七海は、ネットが連れてきた男に“手”で合図を送り、自分の運命を手繰り寄せます。結果、思いもしなかった不幸に見舞われる中、その小さな手はホテルでシーツを整え、洋館で部屋を片づけ、忙しく動くことで彼女の糧の手助けとなります。そしてそっとはめられる真白の幻のリング……。
苦しかったこと、悔しかったこと、そして気が狂わんばかりに悲しかったこと。さまざまな体験を経て新たな人生へと一歩を踏み出すその日。“手”は元気よく振られ、最後にそっと大切にあわせられます。そう、それはおそらく監督の祈り。この日本の空の下、それぞれに傷を負いながらも一生懸命に生きる多くの七海に届けというメッセージでもあったのでしょう。
【考察こぼれ話① 映画と小説】
岩井俊二監督は映画公開に先立ち同名の原作「リップヴァンウィンクルの花嫁」を上梓しています。七海と両親の関係、あるいはマネージャー・恒吉(夏目ナナ)と真白の過去のように、原作にはあって映画では割愛されているもの。
また、ランバラルの正体のように映画になって初めて明らかにされているもの。本と映画という媒体特性の違いを考える上でも興味深い一冊です。
【考察こぼれ話② 手】
「手」は言葉、目と並ぶ、コミュニケーションの大きな手段。そのことに意識して映画を作ったのが、かのスピルバーグ監督でした。
彼の初期作品にはとりわけそれが顕著。『激突!』『JAWS/ジョーズ』『未知との遭遇』『レイダース/失われた聖櫃《アーク》』、そして『E.T.』。目を閉じてそれらの映画を思い出すとき、瞼の裏に浮かぶのは……?
【考察こぼれ話③ 俯瞰】
大自然の中、あまりに脆い人間――。俯瞰で撮ることで有名な監督にはイギリスの巨匠デヴィッド・リーンがいます。日本では溝口健二監督作品にもこの構図は数多く見受けられます。
【考察こぼれ話④ 音楽】
『リップヴァンウィンクルの花嫁』の音楽はウェディングで使われるクラシック曲縛りとなっています。そんな中、七海がカラオケで歌うのが先日亡くなった森田童子の「ぼくたちの失敗」。この曲は1976年にリリース後、1993年にTVドラマ「高校教師」の主題歌として使われ大ヒット。七海の職業が中学教師であったことと併せて考えると、より胸にくるものがあります。
(C)RVWフィルムパートナーズ
【参考資料】東京国際映画祭 Tokyo International Film Festival、岩井俊二監督 『リップヴァンウィンクルの花嫁』 の謎に応える “A Bride for Rip Van Winkle” Q&A(YouTube)
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