俳優・高良健吾が主演する映画『アンダー・ユア・ベッド』は、大石圭の人気ベストセラーの同名小説が原作で、家族や学校、誰の記憶にも残らず存在を忘れ去られた孤独な主人公・三井直人が、学生時代に唯一「名前を呼んでくれた」千尋との11年ぶりの再会を夢見て、追いはじめるというセンセーショナルな問題作だ。
三井は彼女の自宅のベッドの下に潜り込み、ベッドの上の彼女を想い過ごすというキャラクターで、作風を含め、俳優・高良健吾が“走り始めた頃”の作品を思わせる内容に。「10代後半、20代前半に自分に与えられていた役のような、どこかヒリヒリしたような役が、久々に30代になって戻ってきた」と自分でも語る高良に話を聞いた。
ーー本作の主人公のように、名前を呼ばれたい欲求って誰にでもあり、現代的な承認欲求に通じるものもありますよね。
誰かに認められたい、覚えてもらいたい瞬間って、ありますよね。そういうものが主人公の三井君を支えている。自分のことなど忘れ去られていると自分でも思っている人間が、「三井君」と呼ばれたことで存在がパッとなって。それがたとえ一瞬の出来事であっても、関係があったコーヒーに執着してしまう。それだけ真っ直ぐでピュアなハートが、急に歪んでいくんです。でも、認められないことがここまで人を狂わせるけれど、そのこと自体は、みんなが無意識のうちに理解していることでもあると思うんです。だから、あの人への好意にいたる最初の原点というものは、みんなのなかで共感できる部分がある。だからそこまで犯罪者っぽくないんです。
ーー一方でR18指定が付いていますが、観客にはどう投げかけますか?
視覚的にも痛々しい描写が多くて、観る人も覚悟はいるのでしょうけれど、ある意味心を傷つけてくることで感じられるものってあるじゃないですか。単なる感動とは違うところからの感じ方もある気がするので、怖いもの、痛いもの見たさで面白いものに気付けることもあると思うし、イメージしているものとは少し違う映画にもなっていると思うので、そこを楽しみにしてほしいです。実は僕にはヒーローものにも見えたし、ちょっと笑えたところもある。三井君の真っ直ぐな感じがおかしく感じました。いろいろ面白かったと思うので、いろいろな感想があるかなと思います。
ーー確かに観る側の感情を揺さぶる作りで、監督のセンスも冴えわたっていると思いました。
この映画が面白いなと思ったのは、モノローグ(心の声)や音、台本の作り方であったり、映画が観客をコントロールするところですよね。そこがすごく面白い。ナレーションも、僕があまりリードしすぎないようにしていました。
ーー今回の作品は、狂気と情愛は紙一重のような、見方によっては違うものをテーマとして扱っています。こういう作品が似合う俳優じゃないですが、ご自身としてもやりがいを感じたのでは?
表と裏、光と影のようなものを、僕自身は自分がこの仕事をしている上でジャッジしない、したくないんですね。三井君は罪を犯してはいるものの、悪ではない、とは思いますが、こっちが良い悪いみたいな、そういうことは自分の価値観としてはないことなので、だから僕は三井君を演じる上で、彼を裁いてはいけないと思っています。反対に僕はあいまいな部分で、グレーゾーンを大事にしたほうが仕事をする上でいいと思いました。
ーーまた、センセーショナルな題材でもあるわけですが、どこか惹かれて、離さない魅力もある作品ですよね。
10代後半、20代前半に自分に与えられていた役のような、どこかヒリヒリしたような役が、久々に30代になって戻ってきたなあと思いました。当時の僕は、役が抱えている問題を自分の問題にし過ぎていて、そのまま20代後半まで過ごしていたので、30代になった今、三井君個人の問題を自分はどう扱うのかにすごく興味があったことと、あとは今回のラストシーンですね。どういう気持ちで自分自身は迎えるか、すごく興味がありました。
それと個人的には『M』の頃のみなさんに声をかけていただいて、自分のポイントになった人たちに誘ってもらったことは大きかったですね。
ーーその結果、いかがでした?
役の問題を自分の問題にし過ぎてはいけないということは思いました。当時は「役になりきらないと」という思いが強すぎました。20代後半から役にはなりきれないから、ただ役としてそこにいることはどうにか頑張っていられるかもと思いはじめて。でも実際に完成した作品を観て思ったことは、台本上の感想とは違うものになっていて、さっきも言いましたが、僕は三井君のことをちょっと笑えた、応援できた部分があった。それはもしかしたら、自分の中で冷静な部分、俯瞰している部分、客観視している部分があったから、三井君と自分が今思う距離感で向き合えたのかなという気がしています。だからクライマックスの表情は、撮影現場で感じたことが出てはいますが、白黒ではない、あいまいなグレーみたいな感情なんです。
ーー20代の人生経験や場数、それが演じる上でプラスに作用しましたか?
経験だと思っています。それと好みがどんどん変わっていることもあります。自分がどういう芝居をしているのか、どういう表現をしていきたいのか、そういうことがだんだんと変わってきた。それまで、いろいろなことに挑戦を重ねて、自分の好みがわかり、なんとなく言葉にできるようになってきた今の、この作品。そして30代最初の年ということで、欲もあったと思う。それは自分自身にとって面白いことになるなとも感じました。
ーー過去のインタビューでは苦悩や葛藤の吐露が多かったですよね。そういうことは少なくなりましたか?
自分がこの仕事をしていて何が苦しいのか、何が居心地が悪いのか、それは考えますね。こうやって評価され、撮影現場に呼んでもらえているのに。それと同時に俳優はこうあるべき、みたいな、世の中がガチガチになっていて、そこに入っていくと、ある意味本来の自分が抑え付けられていく。それが原因だったのかなと。本当の自分は甘えたいだろうし、残酷な部分もあるだろうし、それはもう、あると思います。そういうことを封じて始める作業だったから、当時キツいなと言っていたことは記憶にあります。30代になった今、それは20代の感情だと思うので、そのままやっていたら持たない。それはわかりやすく変わったことかもしれないです。
ーーいろいろと経験するほど、課題が見えてくることもありますよね。
僕は自分の扱い方ややり方がわからなかったから――いまもわからないけれど、そこを勉強することが20代でしたし、だから失敗もたくさんしたらいいし、いろいろと考えたほうがいいとは思っていました。これは当たっている当たっていない、そういうことがわかってきている中で、楽にはなってきています。そうなりたいとも思ってきました。ただ、昔と変わらないなと思うこともあって、それほど役に対しての共感は要らないなと思っています。共感よりも理解が必要と思っていて、それだけは今回も変らない。共感はせず、ただ三井君を理解する。それは昔と変わってないです。
ーー30代で、今後どういう歩き方をしたいですか?
映画に人を呼べたらいいなと思っています。自分はそうじゃないというか、映画が好きでやってきていて、映画俳優と言ってくれたりする人もいる。でも、昔ほど映画俳優というものが、人を呼べなくなっているとも思う。じゃ、今の僕を映画俳優と呼べるのか? そうじゃないと思っていて、だからいろいろなことにチャレンジしたいですよね。でもそこだけにこだわらず、自分がもらったものへの恩返しの意味も込め、最終的に映画に人が入る俳優になりたいですね。(取材・文=鴇田崇/写真=映美)
映画『アンダー・ユア・ベッド』は2019年7月19日(金)より、テアトル新宿ほか全国ロードショー。
出演:高良健吾、西川可奈子 ほか
監督:安里麻里
脚本:安里麻里
公式サイト:underyourbed.jp
(C)2019 映画「アンダー・ユア・ベッド」製作委員会
※2022年6月29日時点のVOD配信情報です。