北村匠海×内山拓也監督、言葉と衝動に突き動かされて「『しびれ』で僕という役者に出会ってくれたことに感謝」【ロングインタビュー】

映画のインタビュー&取材漬けの日々是幸也

赤山恭子

映画『しびれ』北村匠海×内山拓也監督対談

映画『しびれ』のポスタービジュアルが解禁されたとき、主演を務める北村匠海、共演の宮沢りえの表情と、訴えかける画力に心を奪われた人は多かったのではないだろうか。首や顔など無数にタトゥーがほどこされた北村演じる大地は、母・亜樹(宮沢りえ)と新潟特有の鉛色の空の下、ぴたりと身を寄せ合っている。二人の穏やかで満ち足りた顔つきから、『しびれ』という作品の世界観に魅せられ、否応なくイマジネーションを掻き立てられた。

本作は『佐々木、イン、マイマイン』などで知られる、内山拓也監督の半自伝的映画。日本海沿いの町に暮らす大地は、幼少期に暴君のようだった父の影響から言葉を発しなくなる。亜樹と暮らしているものの生活は苦しく、居場所のない大地は父の行方を追い、生家を訪ねることを決意。彼の運命は大きく揺らいでいくのだ。

幼少期、少年期、青年期と大人になっていく大地の姿を、静寂の中、観客は見つめる。その瞳の色が濃くなればなるほど、静けさが深くなればなるほど、大地の孤独と苦しさがひたひたと迫りくる。FILMAGAでは、青年期の大地を演じた北村、そして原案・脚本も務めた内山監督にロングインタビュー。作品のなりたちから脚本を改訂していった経緯、印象深いポスタービジュアルのエピソードまで、根掘り葉掘り聞いた。

北村さんは『愚か者の身分』で瞳の輝きをなくしたかと思えば、『しびれ』では声を封印された大地となりました。

北村:僕って、五感を失いがちなんですよね(苦笑)。『愚か者の身分』では目を失い、過去には耳が聞こえない役もやってきましたし、今回は言葉を発さなくて。でも、役者として何か表現を失うことと、もっと膨大なものを得ることは同義なんだな、とすごく感じています。

そのあたりも追々お伺いさせてください。まずはオファーを受けて、どのようなお気持ちでしたか?

北村:もともと内山くんとは、ずいぶん前からの知り合いだったんです。『アンダードッグ』の撮影をしていたころに、たまたま人を介して知り合いました。『佐々木、イン、マイマイン』、『若き見知らぬ者たち』(以下『佐々木』、『若き』表記)も観ましたし、『若き』に関しては、主演が(磯村)勇斗くんだったりもして。

『しびれ』については、だいぶ前から企画書をいただいていたんです。内山くんからのメッセージを見たとき、「これはもう僕しかいない」というような勘が働きました。「〇〇があるから出演します」という明確な理由があったわけではなく、自分の直感が「出演したい」と言っているような感覚でした。

内山監督:僕が少年の頃から、北村匠海は俳優としてずっと見てきた存在でした。俳優であり、アーティストであり、表現者の彼を知っていて、彼が持っている眼差しやその多角的な目線が稀有だなと感じていたんです。『しびれ』の大地という役は、言葉を持ってはいるものの、発することができなくて、だからこそ、彼の中にあるものはすべて目に宿る。なので、その目を持っている人は誰だろうと考えました。その答えはシンプルで「北村匠海しかいない」と。吸い込まれるような感覚がありました。

『しびれ』は自分の半自伝的作品で、僕が生きてきたすべての感覚を“しびれ”と名付けているんです。その魂を大地と名付けて歩んできた人生で、北村匠海であれば、そのまなざしに大地の視点を託せるんじゃないか、という気持ちがありました。

北村:内山くんの半自伝的な話でもありつつ、僕の人生と内山くんの人生がリンクしているような感覚が、僕にもあったんですよ。

どういう形でリンクしていると感じられたんですか?

北村:僕らは全然違う人生ではあるから、人生を通して抱えてきた感情が同じとは言いません。それでも、いいことやいい出会いもたくさんある一方で、悲しみや、根っこにある、抱えてきたものとか、においが限りなく似ているなあと思ったんです。

そうでしたか。惹かれ合うものもあり、『しびれ』での必然的なタッグとなったんですね。

北村:あとは作品とどう向き合うかという覚悟が本当に必要で。あるとき、自分が向き合えないかもしれないと思ったタイミングがあったんですが、内山くんが事務所に来て話してくれたんです。「この作品で、僕と心中してくれ」と。それがとにかく強烈に自分の心に届いて、「やろう」と思いました。シンプルに直感と、内山くんの言葉に突き動かされ続けました。だから、この作品で僕という役者とまた出会ってくれたことにとても感謝しています。

「一緒に心中」のお話について、内山監督は具体的にどのような言葉で北村さんに伝えたんでしょうか?

内山監督:そもそも企画が立ち上がり、脚本が形作られていくまでに、10年以上脚本を書き続けている期間がありました。匠海くんにはオファーを快諾していただきましたが、それから撮影までにも2年ほどの期間があり、長いプロセスをともに歩んでもらいました。そうして時間が経つうちに、自分自身も年齢を重ねて、人生のフェーズが変わっていったので、脚本を書き直すことにしました。『若き』をフランスで編集しているとき、『しびれ』というタイトルと、大地、母親の亜樹という名前だけを残して、頭から書き直し、今の形になりました。

脚本が大幅に変わったため、「こういう形にしたいと思う」と匠海くんに意図を話す機会をいただきました。そこで、「ようやくここに落ち着けたんだと思う。一緒に心中してくれないか」ということを言ったのかなと思います。僕としては自然な流れで出た言葉で、誠意を持って言いました。匠海くんは、それを大きく受け取ってくれているんだなと思っています。

北村:残る言葉って、そういうものだと思うんですよね。

脚本を大きく変えたということですが、本当にガラッと?

内山監督:そうです。『若き』を編集しているとき、これまで書き続けてきた脚本が、本当に観客の皆さんに届くのか、怖くなったんです。それまでの作品は、メッセージを込める作り方をしていなくて、『若き』までの僕は、登場人物たちが正面から受けているものを、なるべくフラットに、ジャッジしないように見つめることを大切にしてきました。「今はこういう世の中だから、その中でこういう人たちも生きているよね」という描き方をしていたというか。だけど、『しびれ』はシンプルに、お客さんにまっすぐに届けたいと思ったんです。手法にとらわれず、純粋に「前に進むんだ」と、希望の光の一点に進んでいくことをやりたくて。観客の皆さんと、ちゃんと手をつないで光の中に進みたくなったんです。

ご自身の経年での変化を、そのまま脚本に反映されていったんですね。

内山監督:年齢を経たからなのか、いろいろな作品を経たからなのか、純粋にそのときの気持ちに従って、シンプルにしようと思いました。『しびれ』を最初に書き始めたときの脚本には、当時19~20歳ぐらいの僕の内包していた願いや祈り、衝動的なものがたくさん入っていました。僕自身が新潟から上京してきた人生なので、そのふたつの場所を行き来するような物語であり、登場人物たちも、そういった動き方をしていたんです。けれど、長い時間を経る中で、ひとりの子どもが大人に成長するまでの、母とともにあった20年間の人生を描いたほうがいいと考えて、思い切って脚本を書き直しました。

今お話いただいたようなことを北村さんは受け取ったわけで、どうでしたか?

北村:最初に企画をいただいたときに僕が受け取った感じは、本当にほとばしるほどの怒りだったんです。内山くん自身がいろいろなことを経て、きっとそうではない方向にいくのかなと思ったので、「OKです」と楽しみにしていました。結果、完成した脚本がちゃんと光に向かう作品になっていったんだなあ、と。

僕が言うのもおこがましいけれど“『しびれ』を撮った後の内山拓也”が楽しみだなとすら思うぐらい、『佐々木』、『若き』との3作品できっと一つの集大成なんだろうなと、漠然と感じていました。…僕、今年で20周年なんですね。そんな年に『しびれ』という作品が公開されて、自分の心の中では「20年たったな、どうしよう30歳になる、その先の自分の役者像どうかな、どの道に歩もうか」というときなんです。ある意味、僕も集大成に近いなと重ね合わせていました。

実際に大地を演じるとなって、北村さんはどのようなアプローチをしていきましたか?

北村:僕自身はどちらかというと、人に愛情が伝わりづらい人間なんです。「人に無関心だよね」と言われることも多々あったりするぐらい、自分は伝え下手なのかもしれないなと思っていて。そういう点で、大地はすごく優しいやつで、忘れない男という印象でした。

僕が役者としてやるべきことは、内山くんにNOを出さないということと、常に今、何を監督が見ているのかというのを、僕は大地を通して見つめ続けることだけだったなと。それがやっぱり大地を生きるということだなと思っていました。なので、すごくシンプルな日々だったというか。ある意味、こんなに純度の高い時間はなかったし、現場全体が本当にすごくピュアさにあふれていたんです。僕が感じたのは、映画を好きになったときの初期衝動みたいなものが、毎日巻き起こるようでした。はじめの一歩目から現場に入ってもずっと変わらず、僕はそういう言葉と衝動につき動かされている感じでした。

幼少期、少年期の大地もともに素晴らしかったのですが、彼らのお芝居を現場で見てから撮影に臨んだんですか?

北村:芝居した現場にも行きたかったんですけど、スケジュールの関係で行けなくて。現場に入るとき、内山くんに少し映像も見せてもらいましたが、何よりもスタッフの皆さんが現場での大地と過ごした思い出をたくさん話してくれたんです。その材料だけで現場に入った初日に「ああ、もう大丈夫だ」と思えました。

思い返すと、「キミスイ(君の膵臓をたべたい)」をやったとき、小栗(旬)さんが“僕”(北村演じる)の大人役で、当時、月川(翔)監督に「北村匠海は感じる芝居をしているのか、感じさせる芝居をしているのか、どっちなんですか?」とだけ質問したそうなんです。監督が答えて、「そうだよね。じゃあわかりました」と言ったとだけ聞いていて。僕は初めてあのときの小栗さんの感覚がわかったような気になったんです。「それが聞ければ大丈夫」という感じがして、今回やらせてもらいました。

内山監督は、脚本を書き進める中で、親という存在の描き方が変わったり、ご自身の中で変化した部分もありましたか?

内山監督:これまでずっと変化はしていると思います。ポスタービジュアルにある「母が嫌いだった。それでも今は寂しい。」というコピーは、脚本の1ページ目にも、実際に台本にも載せていた文章でした。僕の人生は母親がすべてだったんです。ある時期は距離を置いたり、まっすぐに見ないようにしていたけれど、年に一度は思い出すきっかけがあって。不思議な存在というか、どこかマジカルなものという感じでした。そんな中、30歳を超えたあたりから、僕自身のフェーズが変わってきたんです。

30歳までと30歳から、どのように変わっていったんでしょうか?

内山監督:僕は10代のときまで、本当に早く大人になりたくて仕方なかったんです。大人になれば、すべてが自由になると信じていたんですよ。

北村:僕もです。

内山監督:ふふ。そうしたらまったく想像とは違っていて、また別の大変さがあって、うまくいかない日々でした。僕で言えば、明日の生活をどうしようとか、家賃を払えるのかなとか、自分が本当にやりたいことは何だろう、とか。映画を撮って、ありがたいことに賞をいただけたとしても、「まだずっとバイトしてるな」みたいな。自分のなかでもいろいろな変化がありながら、『佐々木』と『若き』を撮っていたのが30歳まででした。

『しびれ』は、自主映画の『ヴァニタス』を入れて長編4作目ですが、実は、最初に脚本を書き始めていたのが『しびれ』でした。その次に書いたのが『ヴァニタス』、『若き』、で、最後に『佐々木』。つまり、世の中に出ている順番と、脚本を書いている順番が逆行しているんです。公開順では、どんどんパーソナルに寄っていっているので、今が最も“個”に向かっている感覚があります。同時に、親への向き合い方も最初は距離があったものが、近づいてきた。その分岐点が『しびれ』なのかなと思っています。何と言うか、『しびれ』をようやく「撮る、撮れる、みんなで作るんだ」というフェーズに辿りついたんです。

先ほどお話されていた、前に進むというお話につながりますね。

内山監督:僕の今の一番の目標は「人生を楽しく生きること」なのですが、それと同時に、母親との向き合いも変わってきたように思います。『しびれ』では、過去と握手して、母親を抱きしめて、そして東京に向かう、という感覚でした。観てくださった方にも、誰かにちょっと会いたくなったり、連絡したくなったり、そういう気持ちになってもらえたら本望です。それが母親でも、そうじゃなくてもいい。ただ、僕にとっては、母親はそういう存在です。

ところでポスタービジュアル、とっても素敵ですよね。

内山監督:ああ、そう言っていただけてよかったです。

北村:みんな、すごい言ってくれますよね!

皆さん、おっしゃいます?

北村:そうなんです。役者の友達からビジュアルについて言われることは普段なかなかないですし、僕も友達に「あのポスター、めっちゃいいね!」と言うことはなかったんです。『しびれ』は、ちゃんと言葉にして伝えてくれる友人がすごく多くて、そういう力があるんだなあと思っていました。

このビジュアルは、いわゆる劇中の一篇ではなく、二人の心象風景や「もしも…」という希望のようなものも込められていると感じています。内山監督はなぜこの1枚を撮ろうと思われたのか、北村さんには撮影のときに考えていたことや思い出があれば聞きたいです。

内山監督:撮影に入る前からカメラマンといろいろ考えながら、「このショットを撮ろう」と準備していました。おっしゃる通り、この瞬間の大地と亜樹は(現実では)出会えないけど、「母が嫌いだった。それでも今は寂しい。」という感情が一番ダイレクトに伝わるような時間を凝縮して、二人が共存する瞬間を収めたいと思いました。こういう世界があったかもしれない、と思えるような。そして、二人の視線の先はポスターには写りませんが、二人が見ている景色は一緒で、それを二人は見ることができている、というコンセプトを映画に内包したくて、届けたかったんです。

北村:この撮影は、宮沢さんがオールアップした後に撮影しに行きました。僕はこのときに初めて宮沢さんと言葉を交わしたんですが、僕ら二人の感覚としても、映画の世界というよりかは、どちらかというともっともっと二人のパーソナルに近い感じの空気でした。大地であり、自分であり…みたいな、不思議な時間でしたね。事前に「この撮影は、こういう意味で」という説明はなくて、それがよかったんです。分かった上で撮影しちゃうと、違う気がしたので。自然と、初めて大地として心地よく生きれた時間でした。「こんな時間あったらな」って、僕はすごくそういう気持ちになっていました。

たくさんお話いただきありがとうございます。最後に北村さん、今回初めてご一緒してみて内山組ならではの経験、魅力はどこでしたか?

北村:僕は内山くんの使う言語が大好きなんです。それはこうして取材を一緒に受けていても思いますし、現場で僕たちにするディレクションや、シーンに対しての言葉選びも然りで。その感覚の共有の仕方が、何より内山組にしかない、監督のオリジナリティだと思いました。

ポスタービジュアルの撮影時、僕はリアルな撮影日数としてはまだ数日だったけれど、宮沢さんがオールアップの日だったんです。そこでこの『しびれ』という映画が宮沢さんと共に歩んできた時間を感じました。「こんな現場、ないな」と思って思わず泣いてしまったら、内山くんも宮沢さんも泣いていて。そんなオールアップだったんです。あんな感覚は本当に久々に味わいましたし、内山組ならではだと感じました。

(取材・文:赤山恭子、写真:You Ishii)

 

映画『しびれ』は2026年9月25日(金)より、TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館ほか全国公開。

監督・原案・脚本:内山拓也
出演:北村匠海 宮沢りえ
榎本 司 加藤庵次 穐本陽月
赤間麻里子 / 永瀬正敏
公式HP:https://shibire.jp/

(c)2025「しびれ」製作委員会

※2026年9月24日時点の情報です。

 

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