「映画の8割は脚本で決まる」
『情婦』や『アパートの鍵貸します』などで知られる巨匠ビリー・ワイルダー監督は、脚本について上のように述べています。 脚本がいかに重要であるかは、誰の目にも歴然です。
しかし脚本は、漫画や小説などの書物とは異なり日常生活では中々お目にかかれません。 ぼくも学校で脚本について学ぶまで、実際のところ「脚本がどういうものか」全く知りませんでした。
今回は「面白い脚本とは?」という件ではなく(未熟なぼくにはわかりません!)、もっと根本的な「脚本とはどういう媒体なのか」を簡単にご紹介したいと思います。
脚本は何のためにある?
例えばストーリーが抜群に面白い10巻で完結した漫画を映画化するとします。これを脚本化せず、そのまま映像化しようとしたらどうなるでしょう。無論大変な長尺な作品になります。
映画は第七、第八芸術と言われる一方で、商業的な側面を絶対に切り離すことのできない産業です。収益で言えば制作費の3倍回収しなければ利益が出ないとも言われています。
予算を抑え、より多く回収する為には尺を映画用に納めなければならないのです。それゆえにまず、脚本化をすることはさけられない作業といえます。
上映時間と脚本
脚本は20×10の原稿用紙で約30秒に計算されます。脚本を書く際、あらかじめ上映時間に寄せて脚本は書かれます。 多くの映画が約90分〜120分で作られますが、それは1日の上映回数を保つのが目的です。短ければ短いほど上映回数が増え、収益が増えます。
とは言っても物語が面白くなければなりませんので、短すぎて駄作ではおはなしになりません。 その上映時間の妥協点は、監督(面白さ)とプロデューサー(経済)の戦いによって決まります。その決定によって作品の尺が決まり、脚本は書かれるのです。
脚本と制作費
漫画を映画化する場合、作品が内包するスケールによって予算は大きく異なります。 極端に言えばSFやファンタジー、時代ものなどの非日常的な要素が入っていれば大作にならざるを得ませんし、逆に学園内での成長劇などであれば予算は控えめになります。
プロデューサーは、あらかじめスケールに応じて予算を立て、そこに収まるように脚本家とありとあらゆることを練り合わせて脚本化していきます。 また日本では90分〜120分の大作映画を撮る場合、撮影スケジュールは往々にして1、2ヶ月ほどです。また撮影前には準備期間、撮影後には編集期間が想定されます。
なぜ期間が決まっているかといえば、製作期間中はスタッフ、及びキャストを拘束する人件費が掛かります。 さらにスタジオ利用料、車両費、機材費、美術装飾費などのレンタル代も撮影期間が長ければ長い程増していきます。 時間を多く要するシーン、大変になるであろう柱、そういった全てのことを考慮して脚本は書かれています。
漫画にはない柱とは?
例えば漫画のなかに「渋谷のスクランブル交差点で銃を乱射する」という件があったとします。 プロの映画制作は公道で撮影を行う場合、必ず道路使用許可申請書を警察に届けなければなりません。それが受理されて初めて撮影が行えます。
しかしスクランブル交差点をはじめ、新宿の歌舞伎町などはまず受理されません。東京都内にはそういった撮影ができない場所が山のようにあります。 ではどうするか。
1.『スクランブル交差点っぽく見える場所を日本中ロケハンして探し、作り込んで撮影を行う』
2.『CGで作る』
3.『許可なく撮影を行う』
4.『脚本でその件を変える。または除外する』
考えられる選択肢は以上の4つです。
残念ながら上2つは時間とお金がかかり過ぎます。(ハリウッド並の超大作なら可能かもしれませんが) 3つ目は、言語道断。つまり4が妥当といえます。
学校などの、どこかの施設の構内や渋谷に拘らないなどのジャッジ、あるいはシーンのテーマだけをスポイトして全く新たなシーンを作ります。 そして決まるのが「どこで撮影するか」という柱です。
漫画はどこで物語が進もうと自由ですが、映画は違います。実際に映像化されてしまうので、「本物に見える」ことが求められます。 簡単に思える「道」と書かれた柱でさえ、その選択肢は無限にあり、そういった全ての柱が作品のテーマと経済を踏まえて描かれるのです。
漫画や小説にあるけど脚本にないもの
漫画や小説などと脚本が最も異なる点は、映像化(物理化)されることを前提として書かれているかどうかです。 本質的に映画は、映像で物語を語る表現です。漫画や小説で頻繁に描かれる心の声や頭の中で起きる回想は、文字ズラで存在したとしても物理的に存在するものではありません。
漫画や小説は読むことはそれ自体が主体的な行為ですので、書かれた文章を読めば脳内で反芻され、個人の心と同化して脳内で具現化されます。
一方、映画を観るという行為はあくまで受動的です。心の声を闇雲にナレーション化してしまうとそれは情報でしかなく、右から左へ流れて鑑賞者の頭には残りません。 知らず知らずにもっと知りたい、早く次が知りたいと観客をのめり込ませる(主体的にする)必要があるのです。
どうしても伝えたい心の声があったとしても、脚本の場合は、台詞にせず映像で表現できるよう工夫した方が賢明な場合もあります。
脚本は設計図
脚本は、小説や漫画などのようにそれ自体が独立した媒体ではありません。
ゆえにただ面白ければ良いというものでは無く、経済的側面や映像化されることを加味して描かれることがおわかり頂けたかと思います。 そしてスタッフ、キャストが映画という建設物を作り上げる為に読むものです。
あくまで脚本は設計図ですが、そこには多くの考慮と思案が組み込まれています。 「大好きな映画をより深く理解したい」そんな時は映画の出発点である脚本にそれが印されている場合があります。
脚本には書かれていなかった役者の動線、カメラワーク。脚本にはあったのに、本編では無くなっているシーン。 その全てに意図があり、その一つ一つの積み重ねが映画を作り上げています。
そういった映画の側面を知ることで映画の内面の理解が深まるのは疑いようもありません。
もっと映画について知りたいと思っている方は、日本映画の脚本だと比較的入手しやすいのでぜひご覧になってみて下さい。必ず新たな発見があるはずです。