映画『コクリコ坂から』あの建造物は実際にあるの?俊の父親は結局誰?時代背景と共に徹底考察【ネタバレあり】

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ネジムラ89

ジブリ映画『コクリコ坂から』で描かれる時代とは?海と俊の関係は結局どうなる?父親は誰?ネタバレありで徹底解説!

『ゲド戦記』で監督デビューを果たした宮崎吾朗。そんな宮崎吾朗が監督作第二弾として世に送り出した作品が2011年に公開された『コクリコ坂から』です。

印象的なラストで清々しい気持ちで映画を見終えた人も多いと思いますが、結局それってどういうことだったの? と思う人もいるかもしれないので、映画の結末とそれに合わせて、本作が描いていることと現実世界の接点について紹介していきます。

※本記事にはネタバレを含みます。

コクリコ坂から』(2011)のあらすじ

昭和38年。女子高生の松崎海は港と見える丘に建つコクリコ荘で暮らしていた。海は日課として、亡くなった船乗りの父を思いながら毎朝「安全な航行を祈る」という意味の信号旗を揚げていた。

そんなある日、海は高校の文化部室となっている建物であるカルチェラタンの取り壊しに反対する青年・風間俊と出会う。次第に親しくなっていく二人だったが、お互いの親に関して思わぬ事実が判明するのだった……。

※以下、ネタバレを含みます。

コクリコ坂から』の描く時代とは

コクリコ坂から』の舞台となっているのは、昭和38年(1963年)の横浜。1963年といえば翌年に東京オリンピックを控え、高度経済成長が始まったとされる年です。当時を知らない人にとってはその頃の日本がどんな雰囲気だったのかが体験できる貴重な作品ではないでしょうか。

作中でテレビから流れる坂本九の「上を向いて歩こう」もまさにそんな時代を象徴する歌です。1963年、同曲は英語タイトル「SUKIYAKI」として、アメリカのビルボード誌でシングル週間1位という快挙を果たした年でもありました。『コクリコ坂から』ではそういった時代を表すアイテムが随所に登場しています。

実はこの1963年という年は、脚本を務める宮崎駿にとっても特別な意味を持つ年でもあります。なんと宮崎駿がアニメーターとなったのもこの1963年だったのです。公開当時、宮崎駿は『コクリコ坂から』に関して、“「どういう風に生きようと願っていたのか」ということを形にした”と述べています。アニメーターとしてスタートした宮崎駿自身の初々しい気持ちも、映画に込められているのかもしれません。

コクリコ坂から』の二人は結局兄と妹だったの?写真の人物は誰?

映画を観た人の中にも、話が一転、二転するので結局改めて、海と俊は兄妹だったの?と思う人も居るのではないでしょうか。改めて、海と俊の二人は兄妹だったのか? そもそも写真の人物は誰だったのか、といった映画の結末について、まずはおさらいしましょう。

海と俊は同じ写真を持っていることからお互いを兄妹だと思っていたわけですが、実際は別の親の子供だったことが映画の最後に判明します。その秘密を握るのが、映画の最後に登場する小野寺善雄という男です。この善雄こそが二人が持っている写真に写っており、唯一存命する人物です。

二人の写真中央で椅子に座っている人物は立花洋です。この洋こそ元々の俊の父親であり、船の事故で亡くなっている人物です。そして、洋の奥さんも俊を産んで亡くなってしまいます。

独りになってしまった俊を助けるのが、海の父親であり洋の親友だった澤村雄一郎です。独りの俊を自分の戸籍に入れて救い、その後風間家に俊を預ける事になります。

つまり俊には、血縁関係を持つ父の立花洋と、戸籍上の父である澤村雄一郎(海の父)、そして養父である現在の父・風間明雄という3人の父親が居るわけです

他人の子供を自分の子どもとして届けられるの?

海の父親が行なったような、生まれて間もない他人の子を、実子として出生届けをする例は、現在でこそなかなか起こり得ないのですが、昭和初期には「藁の上からの養子」と呼ばれて、実際に行われていたことでした。

映画のような境遇に限らず、子どもを授かっても育てられない女性や、逆に子どもが欲しいのに身体的に授かることのできない夫婦などの双方の合意などにより、他人の子どもを自分たちの子として育てていく実例がいくつもあったようです。かつては、自宅出産をすることも多く、こういった虚偽の申請が通り得る時代だったのです。

ある意味これも『コクリコ坂から』が描いている時代の風景と言えるかもしれません。

コクリコ坂から』に描くオリジナルの要素

実在の一時代を描いている一方で、『コクリコ坂から』には多くのオリジナルの要素も含まれています。

例えば映画の舞台。『コクリコ坂から』の舞台は、横浜の山手です。美しい山手の風景や人々の生活が描かれていますが、当時の山手は外国人の数も圧倒的に多く、映画で描かれているような景色もなかったようです

また、原作からも大きく改変が行われています。原作は月刊少女漫画誌「なかよし」に連載されていた同名の少女漫画です。実は原作は映画『コクリコ坂から』が描いている時代とも全く違い、連載当時の1980年代を舞台とした物語です。絵のタッチももちろん違えば、物語の雰囲気も、登場人物の性格も別物だったりします。

さらには映画の制作の過程でも物語は一転、二転しているようです。アニメ映画『コクリコ坂から』の脚本を務めるのは前述の通り崎駿。彼が用意した脚本を、監督の宮崎吾朗が汲み取りながら、取捨選択をして絵コンテにしていったそうです。宮崎駿の脚本を忠実に描いた最初の絵コンテはどうにも暗くなってしまうということで、吾朗監督も苦戦したことを語っています。

カルチェラタンは実際に存在するのか?

そうなってくると、どれがフィクションでどれがノンフィクションなのかということが気になります。中でも映画でも印象的な舞台でもある“カルチェラタン”は実際に存在するのか? というのは、映画を初めて観た時に最初に抱いた疑問だったことを強く覚えています。

カルチェラタンといえば『コクリコ坂から』においても物語の重要な役割を持つ建造物。南港学園高等部の校舎に隣接する建物で、文化部の部室として使われています。映画を追っていくと、大掃除によって綺麗な建物になるのですが、最初は巨大な物置のようにいろんな部活の道具や看板、さらには洗濯された制服などもので溢れた様子が映し出されていました。

そんな印象深いカルチェラタンですが、残念ながらこれは架空の建物。聖地巡礼のように、実際の風景が観られるような場所は公式で明言がされていないようです。

ただし、実はこのカルチェラタンの語源となる地域があります。それがフランスのパリにあるカルチェ・ラタン。この地域には多くのが学校が点在していて、学生街として有名です。そんな地名を名前にするところがオシャレですし、教養の深さを感じます。

このように『コクリコ坂から』には時代や現実のいろんな要素が詰まっている作品でした。映画に登場した様々なディテールに注目していくと、意外な自分の知らない日本や時代背景を知ることができるかもしれませんよ。

(C)2011 高橋千鶴・佐山哲郎・GNDHDDT

※2020年8月20日時点の情報です。

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