「一生に一度は、映画館でジブリを。」のキャッチフレーズで2020年6月26日(金)より、全国372館の劇場で『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』の再上映が実施されました。
いずれもジブリ映画のヒット作品(『風の谷のナウシカ』制作当時にはスタジオジブリは存在していないので厳密にはジブリ制作ではありませんが)ということで、リバイバル上映に関わらず、多くの方が映画館に足を運び、興行通信社が発表する週末動員数ランキングでも上位をジブリ作品が占拠することになりました。そんな長きに渡り親しまれる4作品の中でも、少し異質な存在とも言えるのが、『ゲド戦記』です。
他の3作品に比べると、境遇が異なる映画と言って良い、特殊な制作背景を持った映画だったりします。改めて『ゲド戦記』がどういう作品かを掘り下げていきます。
『ゲド戦記』(2006)のあらすじ
魔法使いの住む世界。世界を住み分けたはずの竜が人間の世界へ現れたり、魔法使いが力を失ってしまったりと、何者かによって世界の均衡が失われ始めていた。
エンラッド王国の王子、アレンは国の平和を脅かす者への対策を考えるあまり、精神を病んでいた。そのためか、自分の体から影が抜け出してしまい、衝動的に国王である父を刺してしまうのだった。
国を逃げ出すアレン。途中で動物に襲われてしまうが、世界の異変の原因を探るべく旅をする男ハイタカに遭遇する。
ハイタカに救われ、行動を共にすることにしたアレンは、かつては美しい街だったが今では腐敗が進む街ホート・タウンを訪れる。そこで、奴隷として売られそうになる少女テルーと出会う。
こうした出会いが、世界の均衡を秘密につながる戦いへと発展していくのだった。
※以下、『ゲド戦記』のネタバレを含みます。
初の宮崎“吾朗”監督作品
『ゲド戦記』を語る上では、避けては通れないポイントとして、本作が宮崎駿の息子である宮崎吾朗監督の、監督デビュー作品だということがあります。
公開当時は、『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』なども公開された後で、宮崎駿が世界的に活躍するアニメーション映画監督として、大きな映画賞などを獲得し実績などを残した直後というタイミングでした。そんな中での、息子さんのデビュー作ということで、良くも悪くも宮崎駿作品と比べる形で、その仕上がりに注目が集まりました。
監督デビュー作が、日本を代表するアニメーション監督と比べられてしまうのは、今思ってもなかなか厳しい事態でしたが、その特殊な境遇ゆえに、強く宮崎駿監督と比較されてしまうのはしょうがなかったかもしれません。
結果的にはストーリーがわかりにくいといった声も上がったり、ポジティブな評価ばかりではなかったのが実情です。
『ゲド戦記』原作と映画の違い
わかりにくいかどうかは、人によって評価が分かれるところなのかもしれませんが、『ゲド戦記』が複雑な物語だと言える理由は、いくつかあげることができます。
まず、そもそもこの映画『ゲド戦記』は長い物語の途中を切り出した物語であるということがあります。
本作には原作として、アーシュラ・K.ル=グウィンさんの同名長編小説が存在します。原作は全部で6巻存在し、映画『ゲド戦記』は、原作の途中の巻である3巻「さいはての島へ」の物語がベースとなっています。
そもそも長い物語の途中を切り出している上、そもそもタイトルにもなっている“ゲド”とはハイタカのことであり、ハイタカが主人公の物語を描いています。アレンは原作にも登場するのですが、国王から命じられて、ハイタカに会いにくる青年ということで、映画とは異なる形で登場します。原作と主人公が違うというギミックも、映画『ゲド戦記』において複雑さに一役買ってしまっているかもしれません。
原作と原案が並ぶ変わった映画
もう一点、抑えておくと面白い制作背景があります。映画『ゲド戦記』には原作と原案という、似たようなクレジットが二つ存在していることがあります。原作は前述の通り同名の小説なのですが、宮崎駿が1983年に出版した「シュナの旅」という絵物語を原案としている映画でもあるのです。
絵物語というとピンと来ない人も多いと思いますが、絵本と漫画の間のようなスタイルで描かれた作品でした。内容は貧しい国の王子・シュナが、人々が豊かで平和に暮らせるという黄金の穀物の種を探しに旅にでるという物語です。「シュナの旅」は、もちろん宮崎駿のオリジナル作品なのですが、宮崎駿監督自身はチベットの民話である「犬になった王子」という作品をベースにしていると書いています。
しかし、映画『ゲド戦記』のプロデューサーである鈴木敏夫は、「シュナの旅」は小説「ゲド戦記」の影響も受けているであろうと考えていたそうで、宮崎吾朗と映画『ゲド戦記』を制作する際に、「シュナの旅」を基に作ることを提言したことをラジオで語ったことがあります。
実際に「シュナの旅」を見ると分かるのですが、描かれる国のデザインなどを見ると、映画『ゲド戦記』が影響を受けていることが明確に分かるほどだったりします。ある意味映画『ゲド戦記』は、小説「ゲド戦記」と絵物語「シュナの旅」のハイブリッド映画と言えるのかもしれません。
親殺しというオリジナルアイディア
そして、原作と原案が存在するだけでなくオリジナルアイディアが盛り込まれているところも忘れてはいけないポイントです。
原作ではハイタカが主人公であるところを、アレンを主人公にした言いましたが、アレンがハイタカと出会う背景にも大きな違いがあります。中でも公開当時も話題になったのが映画オリジナルの要素として、アレンが親殺しをしてしまうシーン。
宮崎駿の息子という立場であるが故に、宮崎吾朗が宮崎駿に対して楯突いている意思のメタファーと受け取られることもあったようですが、実際はこれもプロデューサーの鈴木敏夫が提言したアイディアであることが明らかになっており、個人的な父親に対する意識を描くつもりではなかったことは宮崎吾朗自身公言しています。
どうしてもスタジオジブリをよく知る人にとっては、宮崎吾朗の制作背景のことが映画を見る上で強く感じられてしまうし、よく知らないという人にも、原作も原案もオリジナルアイディアも詰まっているトリッキーな状態で作られた映画ということで、その複雑さを感じとって読み解くのを重たく感じる人も居るのかもしれません。
『ゲド戦記』は間違いなく大ヒット作品
その複雑な評価から『ゲド戦記』という作品はヒットしていない作品と思う人も居るようですが、公開当時に賛否両論あったとはいえ、多くのお客さんが足を運んだ映画でした。
興行通信社が発表している『ゲド戦記』の興行収入は76.9億円です。
この数字は、歴代スタジオジブリ作品の中でも2020年現在で7番に高い記録で、『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』といった往年のジブリ作品に比べると遥かに高い集客を獲得した映画となっています。
時代背景も違うので単純に数字だけでは比較はしづらいのですが、リバイバル上映としてジブリ作品のヒット作品を再上映しようとした時に、名前が上がってもおかしくないほどの記録を打ち立てた作品であることは間違いありません。
再評価を受けるのは明日なのかも?
そして、『ゲド戦記』がもしかすると改めて再評価される時代が来ても、おかしくないという時代が来ています。
2021年を迎え、世界は新型コロナウイルスなどによって、これまで当たり前だったことが揺らぐような時代に突入しています。『ゲド戦記』は均衡が保てなくなっていく世界が舞台となっていますが、現状を考えると、上映当時よりも今この映画を観た人の方がこの世界観を、身近に感じやすい境遇に立たされていると言えます。
世の中にある抑圧であったり、未来へのどことなく湧き上がる不安であったり、もしくは自分が犯してしまった罪であったり、『ゲド戦記』が内在している課題は普遍的に受け取れるものが多く、人によっては深く刺さるタイミングが、今であったり、将来的に生まれてもおかしくない映画だったりします。
上映当時やそれ以降に『ゲド戦記』を観てピンと来なかったという人も、改めて観直したり、この先に観直した時に、違う印象を受けてもおかしくない映画だと言えるのではないでしょうか。2021年というタイミングでリバイバル上映が行われたというのは、そういった時勢を考えての選出だったのかもしれません。
そして宮崎吾朗は、新作長編として『アーヤと魔女』の製作をしていることも発表しています。こういった新たな作品の登場を受けて、より過去作の持つ意味が浮き上がってくることもあるでしょう。過去作というよりも現在進行形の作品として読み解いていくと、より『ゲド戦記』は味が深まっていく映画なのでしょう。もしかしたら『ゲド戦記』という作品があなたの前に現れるのは、またもう一つの先の未来なのかもしれません。
※2021年4月9日時点の情報です。