隣に住んでいる人のこと、どれだけ知っていますか?今話題の「隣人映画」を徹底分析!

映画に夢中な書店員

ふじわらなお

あなたの住んでいる家の隣人はどんな人ですか?

最近はご近所付き合いなんて滅多に聞かなくなってきました。かく言う私も、近所の人とは通勤前に顔を合わせたら挨拶する程度の関係です。

ただ、夜にテレビを消して、部屋が静かになると、どこかの家の生活音が聞こえてきます。コツコツと、帰宅した誰かが外を歩くヒールの音が聞こえる時もあります。

そんな時、彼らはどんな仕事をしているんだろう。どんな生活をしているんだろう。どんな人生を送っているんだろう。

ふと、そんなことを思うことがあります。

今回は、そんな隣人への興味がもたらした出来事を描いた映画を3作品紹介します。

趣味で事件を追っていたらこんなことになっちゃった!?『クリーピー 偽りの隣人』

クリーピー 偽りの隣人

(C)2016「クリーピー」製作委員会

元刑事で犯罪心理学者・高倉(西島秀俊)は、新しい家に引越し、妻・康子(竹内結子)と幸せな生活を送っていました。そんな時、刑事時代の部下から6年前の一家失踪事件の分析を依頼されます。唯一の生き残りの長女に話を聞き、彼女のまばらな記憶を辿ることで、事件の真相へ興味を募らせていく高倉。

一方、康子は変わった隣人・西野(香川照之)に不信感を抱きつつもご近所付き合いと思い、西野とその娘・澪と交流を深めていきます。そんな中、澪が高倉の元に駆け込んできて、言うのです。

あの人、お父さんじゃありません。全然知らない人です。

次第に明らかになっていく一家失踪事件の真実。不気味な西野一家。西野に接近され、様子がおかしくなっていく高倉の妻・康子。姿を消す、謎を追う人々。

後半は怒涛の展開で、「もう、どうなっちゃうの??」と何度も叫びたくなりますが、本当に凄いです。

「まるで映画の教科書!」(by西島秀俊)/黒沢清監督の映像技法

本作は『岸辺の旅』でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門監督賞を受賞した黒沢清監督の最新作です。

なにが凄いって映像が凄い! 明らかに何かがおかしい配置、設定、構図、照明。それだけで観客を居心地の悪い状態にして、怒涛の展開に引きずり込みます。最後は車で異世界へぶっとんじゃいます。

犯罪心理学者の無邪気な興味

高倉はなぜ事件に巻き込まれたのでしょうか?

それは、事件への「興味」です。

彼は、犯罪について調べることを趣味だと言います。何人も殺したサイコパスを前にして、嬉々とした表情をして「こんなサンプル、滅多にお目にかかれない」と喜びます。彼に悪気は全くないし、興味自体が悪いことではないのです。

無邪気に事件に夢中になり、隣人家族の奇妙な関係性に対して不信感を抱きながらも興味を持って近づきます。自分自身が巻き込まれるとは露ほども思わずに、西野というサイコパスを分析し、わかったつもりになっています。

自分の一番傍にいる妻の異変には全く気付かずに…。

この映画は、香川照之演じる西野の異常性が際立っているため、巻き込まれる側の人々は普通のように見えますが、彼らもどこかおかしく、ちょっとしたことで暴発する闇を抱えています。

覗かれるって騒いでいる側も実は覗いている!『ル・コルビュジエの家』

ル・コルビジュジエ

本当に滑稽なのはどっち?

こちらは2009年製作のアルゼンチン映画。

有名建築家ル・コルビュジエの私邸を舞台に、主人公と隣人の「窓」を巡る攻防を描いた作品です。しょっぱなから真っ白い壁の裏と表が示されて、轟音とともに穴が空いていくさまを見せられるというなかなかインパクトのある作品なのですが、これもまた、『クリーピー 偽りの隣人』の西野よろしく不気味なおじさんが登場します。

主人公が住む豪邸に面した部分に穴を開けて窓を作りたいという隣人の要望に、主人公の家族たちは、「覗かれるからいやだ」と猛反対します。でも、彼らの住む家は観光地に登録されているくらいの大邸宅で、外壁とともに記念撮影をする人たちもいるほどの「覗かれてなんぼ」の家に住んでいるのです。

そのうち主人公たちもまた、向かいの家の様子が気になり、隣人が作った窓を通して彼らにとっては不思議極まりない男の日常を覗こうとします。

映画を見ていると、間違っているのは隣人なのか、主人公の家族なのか隣人は意外といい人なのではないのかと不思議な気分になってきます。

そして意表をつくラスト。謎のおじさんは、観客に大きな違和感を抱かせたままいなくなります。

壁が破られ、また閉じるまでの物語。必見です。

理由のない尾行が彼女にもたらしたのは?『二重生活』

二重奏

(C)2015「二重生活」フィルムパートナーズ

主人公は大学院で哲学を学ぶ珠(門脇麦)。ゲームデザイナーの卓也(菅田将暉)と同棲し、穏やかな日々を送っています。ところが、担当教授の篠原(リリー・フランキー)から修士論文の題材に「哲学的尾行」を薦められたことがきっかけで、彼女は隣人・石坂(長谷川博己)を尾行するようになります。

次第に明らかになっていく隣人の秘密。尾行することへの快感に目覚めていく珠と、彼女の変化に戸惑う卓也。一方的なはずの「理由なき尾行」は隣人や彼女の周りの人々を巻き込んでいきます。

【詳しくはこちらの記事を参照ください】気付いたらあなたも秘密のとりこ!原作から読み解く『二重生活』の魔力とは

原作とは違った切り口で、尾行する珠、そして登場人物たちの孤独を描いた秀作

映画を見た純粋な感想としては、原作とは全く別ものとして捉えてください、という印象です。

特に、原作にはない珠の憧れや篠原教授の内面を掘り下げた部分は、切なく、心にズシンと残ります。

登場人物全てが抱える満たされない心孤独が、珠の視点やアパート前に設置された監視カメラによって浮き彫りになります。そして、それを見ているしかない珠もまた、満たされないからこそ、人々の秘密を見つめているのです。

修士論文のための無作為な尾行が純粋な興味へと変わる時

教授に尾行を提案されなければ、なんとなくベランダから見下ろした時に見えたのが石坂でなければ、珠と石坂は関わることのない他人同士のままだったでしょう。珠も卓也も、どこか満たされない心を抱えているとはいえ、平穏な生活を続けていたのかもしれません。

そのうち珠は、尾行をただの研究材料ではなく、自分自身への探求としてのめりこんでいきます。なぜ、珠は尾行することで自分の中に湧き上がる快感を抑えることができなかったのでしょうか。

「深いところはいつもからっぽのまんま」という珠に、石坂は「この世界に満たされている人間なんていない」と返します。

尾行とは、他者の人生を疑似体験すること

珠が書く論文の序文にそんな記述がありました。それはそのまま「映画」にも置き換えられます。

つまり、珠と私たち観客は同じであるということ。石坂の言葉は、そのまま観客の心に重く投げかけられるのです。

覗いている側も覗かれている側も実は同じ

今回ご紹介した3作品の主人公たちには共通点があります。それは、自分とは全く違った人生を送っている隣人への興味が発端であるということです。

そして、彼らは自分たちが正しい側にいて隣人が特殊であると感じています。観客も同様です。

でも、次第に観客は気付きます。主人公たちも十分に特殊であると。

『二重生活』の珠が、尾行を通じて揺らぎ葛藤しながらも自分自身を見つめ直すことができたように、彼らは、隣人と向き合うことで自分たちと向き合うことができたのでしょうか。

そして、これらの映画を見たあなたは、きっと映画館に座っている自分自身について思いを馳せるでしょう。

今なら、『クリーピー 偽りの隣人』と『二重生活』で映画館をはしごするのがオススメです。

ただ、ひとり暮らしの人は周囲の音が気になって、その夜なかなか寝付けないかもしれませんが。

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    記録用
  • okyk
    3.6
    何の知識もスキルもない学生が、全く知らない他人を尾行するとか、恐怖でしかない とにかく下手すぎるし、何か起きたときの対処もできない とりあえず、設定がすごいなぁと思った キャストがいいので、見ていられる 誰もが秘密を抱えていて、それは自分の中の穴を埋めるためで、他人のそれを知ることは、面白いだけではなく、ある意味自分を知ることなのかもしれない、ってことなのかな? 哲学的なことはよく分からないけれど やってみたいとは思わないなぁ笑 ラスト、先生は死んじゃったのかしら・・・? どっち? 誰かに尾行されてたら嫌だなぁ・・・ 怖すぎる
  • j
    2
    ストーカーしてもいいことない
  • kazata
    3
    大学時代に文学部で哲学をかじった身として言いたいのは……門脇麦ちゃん演じる主人公が哲学科の大学院に進学できていることが理解不能!"実存主義"的な理論武装ぐらい最低限できてるっしょ!……その上で「(勉強したけど)実存とは何かがわからない!」ってなるのはOKだけど、そもそも何も分かってない状態で「私にはわからない!」って言われてもトホホだよ……。 (これまた基本なソクラテスの「無知の知=自分が無知であることを知っている」すら備わっていないだなんて…) 長谷川博己さんが途中で言うセリフの「(人に聞いて答えを得ようとするんじゃなくて)お前が自分で考えろ!」がまさにズバリ!100%同意!!それこそが哲学!!! (さすが"鈴木先生"…鈴木先生だって"わからないこと"をいつまでも真摯に考え続けているじゃないか!笑) (「生きるべきか、死ぬべきか」パロディが炸裂で…思いがけず『リミット・オブ・スリーピング・ビューティー』からのハムレット繋がり!) で、"理由なき尾行"の果てにどんな論文が書き上がるのか期待したら……レヴィナス的な「他者を通して自己=自分の存在を定義する」って辺りに落ち着くのも、まぁ予想通り。 (「尾行=他者の人生を覗き見=映画を見ることの楽しみ」というのもヒッチコックを例に出すまでもなく"お約束"だし) (ただ、貧乏な大学院生にセレブの尾行は金銭的にキツいでしょ…) ただ何だろう……このラストだと「自己肯定感を得るには他者の認知(=承認欲求)こそが大事なの!?」と思えなくもないというか。 「まず確かな"自分"があった上で"他者"がいる」のか「"他者"がいて初めて"自分"がある」のか、、、いやいや、ぶっちゃけどっちも大事でバランスの問題じゃね!?(…と思うからその辺の言及も欲しい) (例えば、菅田くんのキャラをもっとわかりやすくデカルト的な「我思う、故に我あり」の"強い自己を持ってる型"として描いてくれたらよかったのに…) (それかロマンチスト系キャラにして主人公のリアリスト系実存主義キャラと対比させるとか…) 以下、余談ですが…… ピーター・パン好きなこともあって自分が10代の頃に一番関心のあった哲学的テーマは「時間」でした。で、時間と言えばハイデッガーなんで「存在と時間」とかを高校生の頃に背伸びして読んだりしたんですが…(長くなるんで省略)…要するに「他人と関わることで(相対的に速く)時間は進む」という考えに至ったわけです。逆に言えば「孤独だと時間の進み方は遅い」んだと。 (すなわち「ピーター・パンは孤独である」…だから切ない!) ("無人島で独りぼっち"が究極形で、「関わる人数が増えるのに比例して時間は速くなっていく…」という定理を得て自己満に浸っていました 笑) そんなわけで、「実存」に関する本作の論文作成過程で「時間」の問題にも言及があったなら……嬉しかったです。 (誰もそんなこと求めちゃいないだろうけど…) (リリー・フランキーの件でそこに触れるチャンスはあった気がする…) (以下、ラストのネタバレと言うか解釈について↓) 「篠原教授は死んでない説」もあるようですが、最後に主人公が見たのは自殺した篠原教授の幻影だと思います。 その上で、なぜ全身が映っていないのか…… それは、その存在が"抽象的な尾行者"だから。 つまり、主人公がかつて愛した父親の親友と、孤独な自分を救ってくれた篠原教授と、映画の観客というイメージが重ね合っているから=「私の理解者にはこの映画を見ているあなたも含まれてますよ」っていうメタ表現なんじゃないかな、と。
  • あやめ
    3
    いまいち世界観に入り込めなかった。 尾行シーンにもう少し丁寧な描写が欲しかったかなぁ。 ゴミ捨て場の監視カメラシーンもそこで何かが展開するわけではないので使いどころというか効果に疑問があった。 冒頭とラストのシーンは単純に理解が及びませんでした。 解説が欲しい←
二重生活
のレビュー(35580件)