『岸辺の旅』が第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受賞したことも記憶に新しい黒沢清監督。すでに国内外からの評価が高い黒沢監督が、満を持して放つ海外進出監督作が『ダゲレオタイプの女』です。本作で主演を務めるタハール・ラヒムが来日し、黒沢監督と共にインタビューに答えてくれました。
“ダゲレオタイプ”とは世界最古の写真撮影方法のことで、長時間露光を必要とするため、モデルは器具で拘束されたまま動くことを許されません。タハールはこの手法の写真家ステファンのアシスタント、ジャン役を演じました。
やがてジャンは、苦痛を強いられながらも写真のモデルを務め続けるステファンの娘マリーと恋に落ちますが、2人の行く手には暗雲が立ち込めていきます。
黒沢監督がオール外国人キャスト、全編フランス語で撮り上げた本作。その舞台裏についてお二人にお話を伺いました。
日本とフランスでの撮影文化の違いとは?
―初の海外進出作ということで、チャレンジされた中で一番困難だったことはなんですか?
黒沢監督:想像していたよりも全然大変ではなく、むしろ驚くほどスムーズでした。映画を撮るのは日本でも何かと大変ですし。たとえば太陽が沈むまでに撮らないといけないとか、天候がどうだとかそういうことは、日本と全く変わらなかったです。
スタッフや俳優とはもちろん通訳を介しての会話でしたが、みなさんスムーズに仕事をしてくれたというのが正直な印象です。言葉が通じない分、僕が話していることを、ひと言も聞き漏らしちゃいけないという感じで、全員が集中して耳を傾けてくれました。
―タハールさんは、黒沢監督と初めて会った時の印象はいかがでしたか?
タハール:僕が監督に初めてお会いしたのはパリのホテルでした。監督の持っているエネルギーや人となりが伝わってきて、お会いした時はとても安心しました。
黒沢:僕もよく覚えています。タハールが通訳を通していくつか質問してきたので、一生懸命答えようとしましたが、ミーティングが終わった後で、半分もちゃんと答えられなかったと反省しました(苦笑)。
また、フランスで驚いたことといえば、撮影現場や打ち合わせを含め、タハールがたった1人でひょっこりやってきたことです。マネージャーや付き人などは一切ついてこない。これはある種、文化的な違いだなと思いました。
日本では俳優を特別な存在という感じで丁寧に扱いすぎる風習があるのかもしれない。フランスではどんなに有名であろうがベテランであろうが、俳優もスタッフも自分1人で映画に参加します。そこの平等さはすごいなと思いました。
タハール:もちろん私は常に1人ですし、フランスではそれが普通です。おそらくすごいスーパースターならお抱えの人がついてくるかもしれないけど、通常俳優たちは1人でどこへでも行けます。
黒沢:最初は一流ホテルでお会いしましたが、それ以外の打ち合わせは本当に普通の喫茶店でした。食べながらの打ち合わせで、周りの人たちはタハール・ラヒムだとわかっているはずですが、見て見ぬふりをするんです。
日本でそんなことをしたら「サインしてください」「握手してください」という人がいっぱい出てくると思うんですが、そんな野暮なことをする人は1人もいなくて。その文化も日本とは全然違うなと思いました。
日本とフランス「幽霊」の描き方の違い
―本作では日本的な幽霊が描かれますが、フランス人にそれを説明するのは難しくなかったですか?
黒沢:タハールは「映画のなかでそういう幽霊はよく出てくるので、あなたのやりたいこと、あなたの狙いはよくわかります」と言ってくれました。
一度僕は、タハールに聞いたことがあるんです。「幽霊だけじゃなくて、生きているか死んでいるか、どちらかわからかないものをジャンは愛している。そして最終的に、愛するという点においては、死んでいるか生きているかは関係ないというところにまで到達する。それって理解できますか?」と。
そしたら彼は「それはたぶん『聖闘士星矢』に出てくるもの(セブンセンシズ)に近いですね」と言ってきて。(笑)日本の漫画の力はすごいと思いました。
タハール:確かにそう言いました。でも、本当にすぐ理解できたんです。フランスにはそういうゴーストの存在を信じる人もいれば、信じない人もいます。そういえば小さい頃に、幽霊と遭遇した体験を扱う番組もありました。もちろんフランスで描かれる幽霊はどちらかと言うと恐怖感を与えるような感じで、愛せる存在ではないんです。それは文化の違いかもしれない。
世界に共通する普遍的な物語があると信じている
―海外チームで撮ったことの手応えや得たものについて聞かせてください。
黒沢監督:映画を作る上で、言葉はしゃべれなくても、ほとんど不自由なく仕事ができるんだと実感できました。だからまたフランスで映画を撮りたいです。もちろん僕自身、日本人ですから、現代のフランスが抱えている問題を直接映画で扱うことはたぶんできません。それでもやはり映画においては、世界に共通する普遍的な物語があると信じていいんだと思いました。
今回の作品も、フランスの社会的な何かが反映されていることはないと思いますが、タハールは今のフランスに存在する若者を演じているし、僕には理解できていないところで、ちゃんとフランスが映っているはずです。映画はそういう大らかな表現として成立するんだと、今回はより実感できました。
逆に言えば、現代の東京で映画を撮ると、今僕自身が抱えている問題や、東京や日本が抱えている問題よりも、お客さんが何を求めているのかにとらわれ、そっちを表現してしまうのかもしれない。もちろんニーズに応えることも映画の重要な役割ですが、純粋に僕が映画でやりたいものがひっそりと隠れてしまっていた可能性もあるというか。今回は日本だ、東京だという枠が外れたので、より映画的なものが見えやすくなったのかもしれません。
―タハールさんはこれまでも多数の外国映画に出演されていますが、海外の監督の映画に出演するメリットはどんなところですか?
タハール:海外の作品に出ることは、自分が慣れ親しんだ言語や文化から離れることになります。そうすることによって、僕自身がより責任感をもって俳優の仕事ができるようになり、より豊かな経験ができるようになります。何よりも他国から来た人と出会って何かをすること自体、とても大きなチャンスだとも思っています。外国の監督は私に対して新しい見方をしてくれるので。実際、これまでになかった役をオファーされることもあります。
―あなたのマイベストムービーを教えてください。
黒沢:じゃあフランス映画から1本。いかにも僕が言いそうなものは避けて(苦笑)。僕がフランス映画でトップクラスの1本だと思っているのがロベール・ブレッソン監督の『ラルジャン』です。これは、素晴らしい。とてもシンプルなのに、これだけ複雑なことを、これだけ力強く表現できるのかと、驚きました。強烈に印象に残っています。
さらに付け加えると、主要な登場人物はもちろん、エキストラなど脇の人たちの存在が素晴らしい。僕は今でも映画でエキストラの人たちにどう存在してもらうのかを示す時、必ずアシスタントディレクターに「『ラルジャン』みたいにしてくれ」と言ったりします。
タハール:僕は黒澤明監督の『七人の侍』や、深作欣二監督の『現代やくざ 人斬り与太』、あと、『カミカゼ野郎 真昼の決斗』などです。深作欣二監督は70年代のアメリカン・ニュー・シネマの監督たちにとても大きな影響を与えていると思います。
黒沢:そんなの観ているんですね!すごいなあ。
タハールさんは元々日本映画に造詣が深い方でしたが、その知識の豊富さに黒沢監督も感心しきりでした。お二人が意気投合して、映画談義を交わされる様子を見ているだけで、こちらまでほっこりとした気持ちになりました。
そんなお二人が言葉の壁を超えて初タッグを組んだ『ダゲレオタイプの女』は、黒沢監督作の中でもかなり純度の高いサスペンスの秀作に仕上がりました。まさに「映画に国境はない」という黒沢監督の言葉が心に染み入ります。
『ダゲレオタイプの女』は、10月15日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国公開!