知れば知るほど解らなくなる映画の話(3)~モンタージュでゴリラは何を思うか?~

2017.01.30
雑学

Why So Serious ?

侍功夫

どうも、侍功夫です。

まずはこの動画を……

 

チーム★アメリカ ワールドポリス劇中。北朝鮮に囚われたメンバーを救出すべく、新米のゲイリーが所長の猛特訓を受ける場面。ノリの良い音楽に合わせ、細かなカットを重ねることで「長くて辛い特訓に耐えて成長した」ことを短く効率的に表している。のだが、実はロッキーシリーズやスポーツものなどで便利に多様され過ぎている手法を茶化したパロディでもある。この曲名が、その手法の名前ズバリそのまま「モンタージュ」だ。

一般的に「モンタージュ」で思い起こされるのは、最近はあまり見かけないが犯罪事件で目撃証言を元に継ぎ接ぎに作られた「モンタージュ写真」だろうか。

映画における「モンタージュ」とは「色々な場面を繋ぎ合わせて1つの印象を作る」という、ほぼ「映画編集」そのものの意味があり、「特訓場面」だけを指しているワケではない。

今回は映画編集全般の中から特に、「編集/モンタージュで出来る表現」について取り上げる。

 

時間の短縮

これは上の動画に代表されるように、編集の役割における代表格になるだろう。ほとんどの映画は上映時間ぴったりの出来事が描かれていない。ある出来事にまつわる、重要な部分が編集により抜粋され,、2時間ほどにまとめられている。

最も顕著な例は2001年宇宙の旅であろう。モノリスに触ったサルが骨を放り投げた次のカットで、人類は宇宙時代へ突入している。

また、リチャード・リンクレイター6才のボクが、大人になるまで。では6才の少年が18才になるまでの12年間を、実際に12年間かけて撮影している。膨大な映像素材は編集によって166分の作品にまとめられている。

 

時間の引き延ばし

インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説終盤。インディは採掘場で働かされている子供たちを助けるため、屈強な男たちと対決していく。しかし、呪い人形によって動きを封じられてしまい、石を粉砕するローラーに押し込まれそうになる。この場面は「モンタージュ」の視点で見ていくと面白いだろう。

迫るローラー! 押し込むターバン野郎! 人形にナイフを突き立てる王子! がんばれショートラウンド! 悲鳴を上げるウィリー!

というカットの連続が何度も何度も繰り返され、インディのピンチの瞬間が引き延ばされる。観ているコッチはジリジリとした瞬間を繰り返し見せられ、ハラハラとした瞬間が長く楽しめるワケだ。

 

ゴリラ+X=???

今度はこの2枚の写真を見て、どんな印象を持つか考えてほしい。

mon01mon02

「おいしい」「食事」「幸せ」といった印象ではないだろうか?

 

では、この2枚ではどうだろう?

mon01mon03

「環境破壊」「住処を追われる」「悲しさ」といった印象であろう。これら写真1枚々には感情を表す記号は無いが、組み合わせ次第で違った感情が立ち上がってくる。この現象は「クレショフ効果」と呼ばれる、映画編集が生み出す効果の中でも重要なものだ。

難解な作品だといわれる映画でも、この「クレショフ効果」を念頭に置いて観てみれば、実は「観て、感じたままの印象」こそが、表現しようとした印象そのものだという、当たり前な解釈が浮かび上がってくる。

ニコラス・ウィンディング・レフン監督の新作ネオン・デーモン。田舎から出てきたばかりの新人モデル、ジェシー(エル・ファニング)が大抜擢で大物デザイナーのショーに出演する場面。暗闇の中、煌めき瞬くネオンの光彩の中にジェシーが登場する。ここにネオンで出来た三角形がインサートされる。前後の場面に三角形にまつわる何かが語られたワケでもないし、後に三角形が何なのか説明もない。

しかし、三角形にはピラミッドに代表されるミステリーや「ピラミッド・パワー」といった人知を超えた超常的なイメージがある。また、レフンの過去作ドライブケネス・アンガー監督のスコーピオ・ライジングからイメージの引用をしていることを鑑みれば、同監督のルシファー・ライジングを思い起こすのも正しそうだ。

このように、ジェシーの艶かしい姿に三角形を合わせるだけで、ジェシーの魅力に「超常的」かつ「悪魔的」であるといった複合的な意味を思い起こさせるのだ。

 

まだまだいっぱいある役割

映画において編集が担う役割は上記に留まらない。

スターウォーズ ジェダイの帰還ではデス・スターでのルークとベイダーの戦い、エンドアでのハンソロやイウォークたちの戦い、宇宙でのランドの戦い、といった異なる場所で同時に起こっている出来事を交互に見せることでサスペンスを高めている。

かつてはタブー視されていたジャンプ・カットも「同じ場所で長い時間ヒマをつぶしている」といった怠惰さを表現するのによく用いられている。

オリヴィエ・メガトン監督作では、アクション場面で1秒以下のカットを矢継ぎ早につなぎ「なんかよくわからないけどスピーディー」といった印象を与えている。

 

編集に注目してみよう!

映画の感想を言い合うときに「あのスペクタクルが良かった!」「あの情念が良かった!」とはよく出るが「あの編集がよかった!」とは滅多にでない。しかし、「スペクタクル」も「情念」も編集/モンタージュによって形作られたものだ。面白いと思ったスペクタクルも、編集の力なしでは盛り上がりに欠ける場面だったかもしれない。強い情念を感じる場面も編集いかでボンヤリした場面だったかもしれない。

これから映画を観るときには「どんなタイミングでどんな場面へカットが変わっていったか」を気にいてみると良いかもしれない。

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  • キタコーヘイ
    2.5
    パリコレとかの映像が流れる度に思う。 「美を突き詰め過ぎて、庶民の自分にはさっぱり良さが理解できない」と。 その感覚をそのまま映画にされた様な作品で、結局どういうこと? 自分からすると、モデルの人達みんな美女よ。もう神々の争いということでいいでしょうか??
  • me
    4.0
    女はこんなにも妬み嫉みの醜い生き物なのか。 淡い色、鮮やかな色、暗い色、キラキラしたもの、いろんな演出が施されていて どの場面も、血さえも美しかった。 不気味な音楽と色と演出がそれを象徴しているようだった。 メタファーが多く、 情報が詰め込まれすぎていたけど 繋げてって、色々想像させられた。 這いつくばって生きる女の綺麗くとも汚くともとれる生き様が描かれてた。 いろんな意味でエグくてグロい。
  • あいり
    2.0
    とてもとても美しく色彩も良く、ワンシーンワンシーン、どのシーンを切り取っても素敵なんだろうなあとは思ったけど、ストーリー性がなんとなぁくありきたりだった気がしました。レズセは、とても、良かった。
  • LEON
    2.5
    モデルは〝商品〟ではなく、あくまで動く〝マネキン〟でしかない。 あくまで〝商品〟は服やアクセサリーで有り、その〝商品〟をいかに美しく見せ引き立てるのが価値あるモデルの存在理由。 しかし、モデルそのものの容姿やスタイルに存在価値を世間は評価するという矛盾。 そういった意味でモデル自体が商品化されてしまえば、この映画のような出来事は現実に起こっても不思議ではない。 容姿やスタイルは作り上げることはできても、それをも超える内面から湧き出る〝美〟が人間には現実にある。 それが生まれ持った〝美〟は未熟だろうと関係なく、ダイヤモンドの原石のような魅力をもった人間は確かにいる。 そこが単なる〝マネキン〟では不可能な理由でもあるが、モデルも生身の人間がする必要がない時代もそう遠くはないだろう。 完成された美しい作られたモデルはもちろん、未熟であどけなく不安な瞳のモデルだって人工的に作れるだろう。 ただ美しさが永遠なら、それはまた美しさの価値は下がるだろう。 ダイヤモンドの原石が磨かれ輝きはじめる過程が美しく、それが永遠でないからまた美しい…ようするに寿命があるから儚い…だからこそ美しい。 映画の描きたいことは十分は伝わるが、残念ながらそれが表現不足に感じる。 なんかもうひと工夫すれば、もっと良くなる映画になりそうな気もし、配役なのか脚本なのか惜しい印象にある。 〈ホラー〉というジャンルに分類されているようだが、醜い人間の醜態を晒す人間ドラマにもなり得たのではないか..★,
  • ken
    3.0
    モデル メイク 女同士 嫉妬 整形 本物 →調子のると食われます →◯ 映像、音楽、グロ おもさたりず
「ネオン・デーモン」
のレビュー(9800件)