公開前から、アカデミー賞で数々の賞を受賞するなど話題になり、既に「2021年公開のベスト映画」の呼び声も高い映画『ファーザー』。今回は、そんな本作の魅力をネタバレなしで紹介していきたいと思います。

映画『ファーザー』(2020)あらすじ

ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニー(アンソニー・ホプキンス)は記憶が薄れ始めていたが、娘のアン(オリヴィア・コールマン)が手配する介護人を拒否していた。そんな中、アンから新しい恋人とパリで暮らすと告げられショックを受ける。だが、それが事実なら、アンソニーの自宅に突然現れ、アンと結婚して10年以上になると語る、この見知らぬ男は誰だ。なぜ彼はここが自分とアンの家だと主張するのか。ひょっとして財産を奪う気か。そして、アンソニーのもう一人の娘、最愛のルーシーはどこに消えたのか。現実と幻想の境界が崩れていく中、最後にアンソニーがたどり着いた“真実”とは……。

番狂わせとなったアカデミー賞

本作を語る上でまず、日本公開に先立って行われた第93回アカデミー賞について触れる必要があります。今回のアカデミー賞は波乱に満ちた締めくくりとなりました。というのも本作の主演アンソニー・ホプキンスが最優秀男優賞を受賞したからです。

異例尽くしであった今回のアカデミー賞で指摘したいのは、NetflixやAmazon Prime Video、Disney+といったストリーミングサービス作品が多くノミネートされていて、まさにコロナ禍以降の世相を反映していた点です。

そんな例年とは異なった変更がある中、目玉である作品賞と監督賞が最後に発表され、監督の言葉で大円団迎えるのが(外国語作品である『パラサイト』が受賞した際のポン・ジュノの言葉はまだ記憶に新しいはず)通例の定番ですが、今回は最後に「最優秀男優賞」が置かれたことが一番の驚きでした。ここで多くの映画ファンは、昨年43歳の若さで亡くなった名優・チャドウィック・ボーズマンが受賞して、彼への追悼を偲ぶ流れだろうと考えました。

しかし、呼ばれたのは『マ・レイニーのブラックボトム』のチャドウィック・ボーズマンではなく、『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスだったのです。

名優・アンソニー・ホプキンス

まさかの受賞となったアンソニー・ホプキンスは当日欠席しており、彼がいたイギリスは現地時間で朝4時であったために寝ていたそう。後日、ビデオでコメントを発表し、チャドウィック・ボーズマンへのコメントも寄せ、紳士的な一面を見せました。

そんなアンソニーは1990年公開の『羊たちの沈黙』以来のアカデミー賞受賞で、同作ではジョディ・フォスター扮するクラリスを苦しめた映画史に残るヴィラン、ハンニバル・レクターを熱演しました。最近では、『2人のローマ教皇』でも変わらぬ演技力を見せつけましたが、本作でのアンソニー・ホプキンスの演技はまさに傑出の出来。茶目っ気がありながら、ちょっとのことでキレてしまうアンソニー。その一筋縄ではいかない性格によって、ただの感動ドラマではない魅力的で唯一無二な作品に仕上がりました。次項からは本編の魅力に触れていきます。

記憶を失う恐怖

本作はずばり“詐欺映画”と言えるでしょう。ポスターを見る限り、認知症になったアンソニーと娘アンとの絆を描いた感動ドラマとミスリードを誘われるからです。実際、話のプロットとしてはそれで正しいですが、むしろ本作は“記憶を失うことの恐怖”が真のテーマではないかと思います。

“記憶”をテーマにした映画はこれまで数多く制作されてきました。例えば、クリストファー・ノーラン監督の『メメント』では前向性健忘症の主人公を描き、時系列が逆になる複雑なプロットで観客の心を鷲掴みにしました。同時に“記憶”があやふやになることで、語り手が信用できないという点では、アカデミー賞を総なめにした『ジョーカー』でもその手法が用いられています。

どこまでが現実でどこからが虚構かが曖昧になることで、観客はこの語り手(主人公)を信用できないと不安になります。すると途端に、スクリーンから流れてくる映像は不気味でスリリングなものへと変容します。その点、本作では認知症の高齢者を主人公に据えることで、その記憶は前述の作品よりも数年単位のダイナミックなものとなっています。それを巧みに表現した脚本と撮影技術には驚嘆しかないです。

全くあたらしい家族映画

本作は監督であるフロリアン・ゼレールが自ら執筆した戯曲をもとに映画化した作品です。同時に家族の絆の描き方が難しくなっている現代において、全く新しいアプローチで描かれた家族映画です。

今まで病を患った高齢者は、主に看護する側からしか描かれてきませんでした。それは先述の信用できる語り手を主人公に置くことが基本だからです。その点、語り得ぬものであった高齢者を主人公にすることで、本作は物語や映像としての新しさを観客に与えました。また介護問題の深刻さを伝えるだけでなく、高齢者に悪意はなく、彼ら自身困惑している世界を描くことに成功しました。映画が持つ、自分とは異なる目線を追体験すること装置としての役割を最大限活かしたと言っていいでしょう。

だからこそ、本作は単純に「認知症が大変」といった安易な共感を誘うのではなく、「人と出来事を共有できない悲しさ」を描くことで認知症以外の人が観ても、その苦労や恐怖を追体験できるストーリーテリングになっています。人間は他者と見ている世界が同じだと思いがちで、ゆえに人と考えが共有できない時に恐怖を感じます。そう考えと本作は、自分と同じ価値観の人としか繋がれない現代への警告とも言えるのではないでしょうか。だからこそ、安易な共感を拒んだ本作のラストシーンは観客に驚きと深い感動をもたらすのです。

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※2021年5月17日時点の情報です。