ゲイ映画が好き!
はじめまして! 阿刀ゼルダです。ゲイ映画ファン。オープンリー腐女子です。
「腐女子」はLGBTに疎まれる最たる存在。でも、そこをなんとか「ウザいけど息してていいよ」と言われるギリギリのラインで、あくまでも腐女子として生を全うしたい、というのが私の目標です。
ここでは、ゲイ映画への想いを語りつつ、LGBT問題についても、映画を通して、皆さんと一緒に学び、考えていけたらと思います。
女性にとってのゲイ映画の魅力とは?
あえて「腐女子」と名乗っていない女性の中にも、男性同士のゲイ映画が好きな人は思いのほか少なくないのでは?……これは、私が腐女子ブロガー歴の中で実感したことの一つです。
その昔、イギリスのパブリック・スクールや大学での同性愛を描いた『アナザー・カントリー』(84年)や『モーリス』(87年)が日本女性の間で大ブレイクし、熱狂的なファンたちがこぞって聖地巡礼にイギリスを目指した時代が。かく言う私も『モーリス』熱に浮かされてケンブリッジまで行ってしまった1人です。
この2作が英国紳士ブームを巻き起こしたあたりから、特にオタクというわけではない普通の女性にもゲイ映画を観る人が増えた気がします。
ただ、日本人女性のゲイ映画好きを語るには、やはり森茉莉の耽美小説や、竹宮恵子・萩尾望都らの美少年漫画など、二次元の世界に一つのルーツを求めるべきかもしれません。少なくとも私自身は、そのあたりが入り口だった気がします。もちろん、女性向け二次元作品の描く世界は、現実の同性愛とは異質なもの。
ゲイ映画を語るにあたって、ファンタジーとの混同は排除するべきなのか?は腐女子永遠の悩みどころではありますが、そこはありのままの私で(笑)。あえてファンタジックな目線を否定することなく、今後ともゲイ映画を観る一つの観点にしていきたいと思っています。
一方で、映画は生身の人間を扱う作品ですから、人間どうしの問題として目を覚まして向き合うべきテーマはしっかり受け止めていけたら……そうしっかり頭を切り替えられるのかどうか? でも、人間としてのマナーですもんね。
というわけで、今回は自己紹介を兼ねて、私の考えるゲイ映画の魅力をいくつか挙げてみたいと思います。
魅力その1:やはり「イケメンがダブル」というおトク感は正直大きい
これはどうしても最初に断っておかなきゃ!と思ったこと。どんなに呆れられようとも、この観点は否定できません。
今やゲイ役と言えばこの人!なベン・ウィショーや、ギャスパー・ウリエル、コリン・ファースなど、ゲイを演じることが多い俳優はこぞって美しくて、魅力的。
そんな彼らが一度に2人見られる!(しかも愛の苦悩が2人のセクシー度を確実に5割増し以上に!)というおトク感……バディムービーが女性にウケるのも、これに通じるものがある気がします。
『モーリス』
魅力その2:武骨な純愛に魅せられる
ゲイ映画に限らず、古今東西愛されてきた「純愛」映画。
純愛を描く名作と言えば『カサブランカ』(42年)や『タイタニック』(97年)……どちらも、恋人たちが大きな困難に見舞われ、困難を乗り越える過程で何度も互いへの愛を問い直しながら、愛の純度を高めていく物語です。
ゲイ映画にも『真夜中のカーボーイ』(69年)、『モーリス』(87年)、『ブロークバック・マウンテン』(05年)など、純愛をテーマの一つに据えた作品が数多くあります。
たとえすべてを捨て去っても愛を選び取るべきかどうか? 究極の選択の中で悩み、苦しむ主人公たち……男同士だけに容赦のないぶつかり合い、武骨な愛情表現に心をえぐられます。
魅力その3:メタファーを探す楽しみ
もう一つ大きいのがこれ。
ゲイ映画には、主人公のセクシュアリティーを表立っては語らず、音楽や小道具、あるいはさりげない仕草などの中にメタファーとして示す作品が多いですよね。
これは、欧米社会では同性愛を禁じる法律(いわゆる「ソドミー法」)が20世紀後半まで生きていた国が多く、当時は分かる人にだけ分かる暗示の形で同性愛が表現されていたため。
その後の作品にもメタファーが多く用いられるのは、当時の名残りかもしれません。
アラン・ドロンの出世作『太陽がいっぱい』(60年)が日本で公開された時、故・淀川長治が「これはホモセクシュアルの映画だ」と解説したものの、当時誰も信じなかったというのは有名なエピソード。
たしかにこの作品には、一見したところ同性愛のカケラも見当たらないんです。
その後同じ原作で同性愛を前面に出した『リプリー』(99年)が公開されてようやく、淀川長治の言葉に納得する人も増えてきたんじゃないでしょうか。
しかし、実は『太陽がいっぱい』にも、よく目を凝らしてみると、同性愛のメタファーがちゃんと散りばめられています。残念ながら今回はゆっくり語ることはできませんが、一つだけ例を挙げるとしたら、アラン・ドロンが鏡の中の自分にキスするあたりが象徴的なシーンかと思います。
『太陽がいっぱい』
魅力その4:多様なセクシュアリティーを描くことで、目からウロコの新展開がアリに
ゲイ映画の魅力として最後にどうしても挙げておきたいのは、登場人物が異性愛者に限定された作品に比べて、ストーリー展開の幅が飛躍的に広がるということ。
『キャバレー』
例えば、伝説の振付師ボブ・フォッシーが監督したミュージカル映画『キャバレー』(72年)。
ヒトラー率いるナチスが一党独裁を実現し、暴走を始める前夜・1931年のベルリンを舞台にしたこの作品には、キャバレーの踊り子サリーと貧乏文学者ブライアンという恋人同士、そこへ割り込んで来るドイツ人貴族マックスの三角関係が描かれています。
一見サリーを狙っているように見えるマックス……サリーもブライアンという恋人がいながら金持ちのマックスに惹かれている。
ところが、途中でマックスの狙いはサリーだけでなくブライアンでもあるということが分かってきます。そしてまたブライアンもマックスに惹かれ始めているということも……。
「友達の友達は皆友達だ」を合言葉にリレー式にゲストをつなげていく番組がありましたが、この映画ではなんと「恋人の恋人はまた恋人だ」という関係性がある瞬間成立してしまうんです。
これは異性愛者だけの三角関係ではありえなかったこと。同性愛がもたらした三角関係の眼からウロコの流動化と言えるんじゃないでしょうか。(もっとも、乱交的な展開は一切なく、愛とアイデンティティーの狭間で悩むサリーとブライアンの葛藤がメインテーマです)
1930年代初期のベルリン歓楽街の賑わいを描きつつ、刻々と忍び寄る狂気の時代の気配を色濃く映し出した本作には、恋愛模様以外にも見どころが満載! 私のイチオシ作品の一つです。
以上、私の考えるゲイ映画の魅力について駆け足でまとめてみました。話がずいぶん長くなってしまいましたね……。
次回以降は、もっとコンパクトに、そしてディープに!を目指して、いろいろな切り口からゲイ映画を語っていけたらと思います。
※2021年6月9日時点のVOD配信情報です。