『時をかける少女』、『サマーウォーズ』と立て続けにヒットを飛ばしてきた細田守氏が、満を持してスタジオ地図の設立とともに発表した映画が2012年公開の『おおかみこどもの雨と雪』でした。ティーンズ達の不思議な体験を描いてきた細田守監督が、次なる主人公に選んだのは、子育てをする“母親”!当時はそのテーマに驚かされながらも、蓋を開けてみれば、映画らしい不思議な体験とどこか共感が伴う感動作となっていました。
そんな『おおかみこどもの雨と雪』は、今改めて見直して観ても多くの発見がある映画です。一度観た人も改めて見返したくなる、『おおかみこどもの雨と雪』の魅力をネタバレ含めて振り返っていきます。
『おおかみこどもの雨と雪』(2012)あらすじ
大学生の花(声:宮崎あおい)は大学の授業に訪れる彼(大沢たかお)と出会い、恋に落ちる。やがて、彼は人間の姿で暮らす“おおかみおとこ”であることを知るのだが、花の気持ちは変わることなく、二人の間には新たな命が生まれるのだった。雪の日に生まれた姉は「雪」、そして後に生まれた雨の日に生まれた弟には「雨」と名付けられ、家族となった4人は都会の片隅でひっそりと暮らし始める。
しかしある日、彼は帰らぬ人となってしまい事態は急転する。取り残された花は、打ちひしがれながらも、二人をちゃんと育てると心に誓う。しかし、彼の血をひく雪と雨は、“おおかみこども”として普通の人間の子供を育てるのとは別の問題も生まれ、それは雪と雨自身にも成長の過程で、二人に試練を与えていくことになる。
※以下、『おおかみこどもの雨と雪』のネタバレを含みます。
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監督・細田守が“子育て”に挑む以前の物語
監督を務める細田守氏は、後年には『バケモノの子』(2015)、『未来のミライ』(2018)と立て続けに親と子の姿を描いた映画を発表しています。これには、細田守氏自身が親となり子育てを経た経験が作品に反映されていることは、各所で語られている通りです。
そういった背景を踏まえると、この『おおかみこどもの雨と雪』も、実際に自身の子育ての経験から生まれたのかと思ってしまいますが、意外なことに第一子が生まれるのは本作の公開直後。監督が親となる以前に、『おおかみこどもの雨と雪』は誕生したのです。
本作の制作のきっかけについては、自身の身近で親となる知人が増えてきて、その姿から着想を受けた公式サイトでも紹介されています。まさかの実体験ではないのに、これほどまでに子育てをする親の姿を具体的に描いた映画を作れることに驚かされます。
しかし、もう一つの視点として、『おおかみこどもの雨と雪』は、子供の視点から生まれた映画と観ることできるかもしれません。実は、後年の第29回東京国際映画祭のトークイベントでもう一つの企画の発端を語っています。それが、長らく入院されていたという細田守氏の母が『サマーウォーズ』完成前のタイミングで亡くなられたこと。それをきっかけに、映画を通して母への気持ちを表現する意図があったことが語られます。
『おおかみこどもの雨と雪』は、雪が語るモノローグで始まります。この映画の本筋は確かに母親の花の子育てを描く映画ではありましたが、それは育てられた子供側から見た母の姿を強く反映して映画と言っていいのかもしれません。
キャラクターたちとの距離感
『おおかみこどもの雨と雪』のテーマの珍しさだけでなく、その表現の仕方自体も珍しいアニメーション映画です。
言われてみればと気付く人も多いかもしれませんが、この映画、人物達を俯瞰……いわゆるロングショットで見せるシーンが多いです。子供ができたことを打ち明けてから初めて花と彼が対面したであろうシーンも、大切な彼が今にもゴミ収集車で破棄されそうになるシーンも、後半では花と雪が狼となって争うシーンも、遠景で描かれています。
作り手によっては、こういったドラマチックな場面ほどキャラクターにズームして、感情移入させようとしてもおかしくはないのですが、『おおかみこどもの雨と雪』がそれらのシーンをどこか突き放すようにその姿を追っているのは、本作の大きな特徴です。
この見せ方によって花が体験する数々を客観的に観ることができ、寓話的に受け取りやすくしていると言っても良いでしょう。その場に自分がいたら何を思うか、と言った想像の余地をこの登場人物達の距離感が与えてくれます。
花や雪たちメインキャラクターに苗字が設けられていないのも、そんな距離感を感じる一つかもしれません。花と結ばれる彼に至っては名前すら定められていません。だからこそ、観ている我々を完全には登場人物に憑依させず、批評的な視点を欠かさず与えてくれていると言えます。
あるべき母親像を描いた映画なのか?
もちろん批評的な視点を欠かさず与えてくれることは、必ずしもプラスに働かないこともあります。花が子育てをする姿にどこか危機感を覚える人も居るでしょう。雪がタンスや瓶を倒したり、乾燥剤を口にして一歩間違えれば大怪我をしていたかもしれない場面や、児童福祉司が訪問しに来て定期検診や予防接種を受けていないことを責め立てるシーンなどには、批評しやすさからも“母親としてかくあるべきか”を疑問に声を上がりやすいシーンと言えます。
ただし、忘れてはいけないのはそれに関して、花のことを正しい母親像とも悪しき母親像とも描いていないこと。あえてそれらの事象に対して、この映画が示しているメッセージがあるとすれば、当時は花が苦労し、憔悴していたこと。そして、それを解決したのは、田舎で暮らしをし始めて出会った人との交流や助け合いであったことです。
子育てを描いた映画として身構えると、どうしても正しい母親像としての脅迫感が強まってしまうかもしれませんが、『おおかみこどもの雨と雪』が描いているのは母がたった一人で子供を育てた姿……ではなく、母一人だけでは育ててはいけないことに気付く物語だということです。
現に物語の終盤、雪と雨を導くのも花ではありません。雪は草平との出会いが、雨はアカギツネの先生が自立への導き手となります。子育てに限らず生きていくには、他者の存在が必要であることを『おおかみこどもの雨と雪』が描いているのは確かでしょう。
無数の本が彩るアニメーション
『おおかみこどもの雨と雪』は、作中に2つの意味で本があふれている映画でもあります。
一つはもちろんそのままの意味で“本”の描写が多いこと。花と彼が親しくなるきっかけも、教本を見せてあげたり、一緒に図書館へ行ったりと、本が重要な意味を持っていました。それ以降も、出産前には自然出産の本、子育て中には小児医療の本、畑作りの際には、自然菜園の本と、それぞれの本棚に並ぶ本に至るまで細かく場面やキャラクターに沿った本の選出がされています。制作の際には、どんな本が並んでいるかの会議も設けられたというほどなのだから、どこまで細かく作られてるんだと驚かされます。
そしてもう一つの本というのが“BOOK”です。BOOKとはアニメーション制作で用いられる専門用語で、実は前述のような本のことではありません。BOOKとは背景の上に重ねて描かれる絵のことを指します。
かつてアニメーションの制作はセルという透明なセルロイドを重ねることで一枚の絵に見せていました。現在は、その作業もパソコン上で行うことがほとんどとなりましたが、ベースとなる背景の上に人物の絵やパーツを重ねていくことは現在も変わっていません。その重ねていく絵が増えていくごとにBOOK1、BOOK2……と番号が増えていくのですが、『おおかみこどもの雨と雪』ではBOOK50以上に及ぶカットが存在するというのだから度肝を抜きます。
BOOK数が多くなればなるほど、制作時に完成した時の絵をイメージするのが難しくなるので大変になるのですが、そのかいあってか、『おおかみこどもの雨と雪』は緻密な背景が風に煽られて靡くシーンが自然と描かれています。
さり気なさすぎる3DCGアニメーションの存在
風に煽られる木々もそうなのですが、『おおかみこどもの雨と雪』の緻密さは、あまりにも緻密すぎて、観ているこちらも気づけないほどです。いや、気づかれないようにしていると言って良いでしょう。
本作ではシーンの多くに3DCGが用いられています。3DCGアニメーションといえば、ディズニーやピクサーの映画が描く立体的なアニメーションを想像しやすいですが、本作でもその3DCGが手描きアニメーションにさりげなく織り交ぜられています。
例えば冒頭で花が寝転ぶ野原に咲く白い花々。例えば雪たちが滑走する際に迫り来る雪林の木々。例えば屋根下の巣のツバメに、雪の周りを舞う昆虫に至るまで。実は3DCGでありながらもそれと気づかせないアイテムが無数に隠されています。
『おおかみこどもの雨と雪』がアニメーション的に挑戦していることの一つがこの3DCGと手描きアニメーションの融合であり、それと気づかせない域にまで達しているのは、本作がその挑戦に成功している証拠と言えるでしょう。
『おおかみこどもの雨と雪』の物語を何度かなぞったという人も、今一度その背景の隅々まで注目して観ると面白いでしょう。実際の自然が詰まっているかのごとく、異様なまでにディテールが確認できます。これに関しては、何度も見直しても終わりが来ない魅力と言えるかもしれません。
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(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会
※2021年7月2日時点の情報です。