漫画家・羽海野チカ
羽海野チカさんは非常に稀有な漫画家さんなのかなと思います。画風は可愛らしくて少女漫画っぽいのですが、男性の読者も非常に多いです。代表作『ハチミツとクローバー』は、CUTiE Comicという少女向けの漫画雑誌から連載がスタート(のちに何度か移籍)。実写化映画が公開中の『3月のライオン』は、ヤングアニマルという青年誌で現在も連載中です。
羽海野さんの漫画は情報量が多く、ともすれば、読みにくいとも言えます。たとえば、ひとつのシーンにセリフとモノローグに加え、さらにモノローグを重ねる手法や、説明を足すなど、漫画だからこその表現を用いてます。漫画だからこその表現=映像化の難しさとも言えるのではないでしょうか。
『ハチミツとクローバー』は羽海野チカさんの名前を広く知らしめた代表作。同作は美大を舞台に繰り広げられる全員片想いの青春群像劇です。少女漫画っぽい題材なのですが、不思議とラブストーリーらしさを感じさせません。
物語の比重としては、恋愛の要素はもちろん大きいのですが、学生の時分に起こる様々な出来事のひとつに恋愛があり、友情も、就職も、挫折も、どれも丁寧に描かれてるから、ラブストーリーに免疫のない読者でも読みやすいのだと思います。
これは、羽海野チカさんの作家性とも言えるのですが、人生における嬉しさも難しさもはらんだ大小問わずの出来事、人生を丸ごと慈しむような描写が目立ちます。それは些細な日常のひとコマや、胃がキリキリと痛むような展開も含めてです。とりわけ、人生=食事とでも言わんばかりに、にぎやかな食事のシーンが多く、ジブリ映画を彷彿とさせます。
たとえば、食事の大切さを重んじる、こんなセリフもあります。
落ち込んでる時に冷たいモノ喰ってるヤツがあるかっ
命取りになるぞ! あったかいモノをとれ!
誰にでも思い当たる節があるというか、ナルホドと思わせらますよね。
同作は将棋の漫画で、正直、将棋に興味の向かない読者は、ルールはもちろん、対局がどのようにおこなわれるものなのかとか、わからないことだらけだと思います。しかし、羽海野さんは取材から得た着眼点を興味に引き寄せるのが非常に上手いです。
映画『3月のライオン 前編』の劇中でも扱われてますが、「負けを悟った側よりも、勝った側のほうが消耗している場合が多い」ということに言及する場面があり、それも羽海野さんならではの観察眼なのかなと思います。
その観察眼は羽海野さんが実際に目にしたものはもちろん、ご自身が生み出したキャラクターにも向けられています。いわゆる、脇役と呼ばれてしまうようなキャラクターの経歴や心理描写にも妥協はないのでしょう。それぞれが物語の中で息づいてると感じられる。
わたしは物語に人生を感じらられるのが映画の醍醐味のひとつだなと個人的には考えているのですが、羽海野チカさんの作品に関しては、漫画の時点ですでに映画的だと思うのですよね。だからこそ、実写化もされるのかなと。今後の作品も楽しみな漫画家さんのひとりです。
ハチミツとクローバー(2006)
今回は映画版のご紹介ですが、アニメ化やドラマ化など、何度か映像化されていますね。映画『ハチミツとクローバー』の監督は高田雅博さん。本職はCMディレクター、今作が長編映画デビュー作。主な出演者は、櫻井翔、蒼井優、伊勢谷友介、加瀬亮、関めぐみなど。
今作は、原作をかいつまんだ独自のエピソードなので、原作とは少なからず印象が異なります。主要なキャラクターにも変更点があり、とりわけ、伊勢谷友介さんが演じる、森田は別人と言ってもいいほど。どちらも天才肌の男なのですが、ベクトルが違うとでも言いましょうか。ほかのキャラクターは原作の要素を感じられる部分を残してますが、森田の役どころに関しては、かなり思い切った改変だったと思います。
昨今、漫画原作の映画は多く、そのたびにファンのあいだでは論争が巻き起こりますが、個人的には改変もありだなと思うのですよね。もちろん、原作に忠実なのはファンも嬉しいですが、それぞれの監督の解釈で物語に新たな命を吹き込むのも映画の楽しみ方のひとつなのかなと。今作は原作が結末を迎える以前の映画化なので、なおさらでしょう。
CMディレクター出身の映画監督の持ち味
高田正博監督に限らず、CMディレクターの方が映画を撮るケースはたまにあります。有名なところだと、『嫌われ松子の一生』や『告白』の中島哲也監督。前者ではいい意味で邦画らしくないミュージカル調の作風で物語を描き、後者ではこれまでの色彩感覚とは異なる抑えめの色合いでしたが、それが非常に効果的な作品でした。
CMに求められるのは、わずかな時間で商品を記憶に残すことだと思います。高田正博監督も、中島哲也監督も方法は異なりますが、どちらもパッと見たときの画の強さが特徴的です。
映画『ハチミツとクローバー』に関して言えば、非常に挿入歌が多く、そのどれもがシーンとの相性がバッチリと噛み合ってます。中島哲也監督は画でも音楽でもビビッドで強烈なイメージを植えつけますが、高田正博監督の場合はやわらかく、ヒロインのはぐみの空気感にも似たイメージを与えてます。CMで培われたことの強みを落とし込み、物語の空気感も詰め込まれた作品です。
3月のライオン(2017)
そして、現在も絶賛公開中の『3月のライオン』。若き天才と呼ばれる高校生プロ棋士・桐山零と彼を取り巻く人々を描いた成長譚です。監督は大友啓史さん。漫画原作の映画を多く手がけ、『るろうに剣心』シリーズや、最近では『秘密 THE TOP SECRET』や『ミュージアム』など、幅広いジャンルの作品を映画化。意外にも純粋なドラマ作品は今作が初。主な出演者は、神木隆之介、有村架純、染谷将太、倉科カナ、佐々木蔵之助、加瀬亮、高橋一生、豊川悦司など。
今作のキャスティングの素晴らしいところは徹底的に原作を再現しているところでしょう。桐山のライバル・二階堂を演じた染谷将太さんの特殊メイクは予想外でしたが、メイクをせずとも漫画とそっくりだった俳優陣には驚かされました。とりわけ、プロ棋士・島田開を演じる、佐々木蔵之介さん、名人・宗谷冬司を演じる加瀬亮さんはイメージともぴったりで、原作が当て書きだったのではないかと思うほど。
前項で「羽海野チカさんの漫画は脇役と呼ばれてしまうようなキャラクターの経歴や心理描写にも妥協はなく、それぞれが物語の中で息づいてると感じられる」と述べましたが、それは今作でも活かされてます。あくまでも主人公は桐山零なのですが、彼を取り巻く人たちの人生が少しずつ垣間見れるように描かれ、羽海野チカさんの丁寧な漫画のつくりが映画にも受け継がれてるのだと思いました。
漫画原作の映画は原作への愛情を感じられるかという点が大切ですし、物語はもちろん、原作者と映画化に伴うスタッフ、双方のリスペクトが感じられると、ファンもうれしいですよね。