2018年にスタートしたTVアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の記念すべき最初の劇場公開作品は、2020年公開の『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』……ではなく、2019年に公開され、劇場版とは謳われてはいない『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 –』でした。
なぜ、本作では劇場版と謳われていないのか。なぜ外伝なのか。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」シリーズにおいて、不思議な立ち位置となっている本作への疑問とその理由について、ネタバレありでその謎を解き明かしていきます。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 –』(2019)あらすじ
C.H郵便社で手紙の代筆業を担う“自動手記人形”として働いている少女、ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、ある日、教育係として良家の子女が通う女学校を訪れる。そこに通うイザベラ・ヨークという少女の教育係を任されたからだ。周囲の生徒とも馴染めず、当初はヴァイオレットにも強く当たることの多かったイザベラだが、ヴァイオレットとの交流を深めていくうちに次第に打ち解けていき、二人は親友となる。
そして、そんなイザベラにはかつて実の妹とのように可愛がっていた孤児の少女・テイラーと暮らしていた過去を明かし、テイラーへの手紙の代筆をヴァイオレットに依頼するのだった。そしてその手紙は、テイラーをある行動へ動かしていくことになる……。
※以下、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 –』のネタバレを含みます。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 –』の異質さ
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 –』は一見、OVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)のように見える作品です。OVAとは、TV放送を想定した作品とは異なり、DVDやBlu-rayなどで直接発表することを想定したアニメーション作品のこと。近年はリリースのPRとして、期間限定の劇場公開などを実施する例も少なくなく、“外伝”というタイトルから、上映前には本作もそんな一つのように思わせられました。
しかし、ディスクリリースも劇場公開から半年を経て実施され、約90分というサイズからも間違いなく『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』シリーズの映画シリーズ第1作目に相当する作品なのは間違いないでしょう。それでありながら、後年2020年に『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という映画シリーズ一作目を思わせるようなタイトルの映画を登場させたことは、少し不思議にも思えます。
本作が“外伝”という立ち位置となったのにはいくつかの理由があります。まずは、本作の原作となる小説版が4冊刊行されているうち、今回映像化された作品が、上下巻刊行後に刊行された3作目にあたる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝」に収録されていた内容だったことに起因しているのは間違いないでしょう。
また、TVアニメシリーズとその先の完結編として描かれた『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の間の物語としてつながりはあれど、実は本作を観ていても、ストーリーは成立してしまうといった特徴を持っています。そして何より本作で描かれている物語の主人公はヴァイオレットではなく、ゲストキャラクターであるイザベラ、そしてテイラーの二人であることは間違いありません。ヴァイオレットはどちらかといえば狂言回しのような役割を担っており、まさに“外伝”に相応しい内容となっています。
「外伝」だからできること
ヴァイオレットが依頼主と出会い、その依頼の中でドラマが生まれていくという流れは、TVアニメシリーズで描かれてきた1話完結のエピソードに近い内容と言えます。ただし、実はそれまでのTVアニメシリーズでやってこなかったことに『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 –』では挑戦しています。
まず単純に、イザベラ、テイラー共にそれぞれのエピソードに割かれている時間は、1話20分ほどのTVアニメシリーズよりも長め。そして、イザベラとテイラーの二人に関する長編の物語でありながら、二本の中編作品という体裁にもなっています。
そして、実はこの外伝で起こる内容でさり気なく大きいことに、作中で大幅に時間が経過していることがあります。前半のイザベラの物語と後半のテイラーの物語ではなんとその間に3年という月日が流れています。
丁寧にヴァイオレットの成長を描いていたTVアニメシリーズを思うと、ヴァイオレットに作中で3年という時間経過が設けられるのは異例。ヴァイオレットの成長譚として一区切りを終えたTVアニメシリーズの後だったからこそ、できたことと言えるでしょう。ちなみに本作でさり気なく描かれる、ヴァイオレットが自身の手紙を書くという行動も後のエピソードだからこそできたこと。TVアニメシリーズの最終話を飾る13話はヴァイオレットが初めて自身の手紙を書く重要なエピソードとなっていました。
そして、この映画が描く時間の経過はヴァイオレット自体の物語を次のステージへ運ぶ役割も担って行きます。同僚にも新しく家族ができ、科学も発達していく。そこにはヴァイオレットにも否応なしにこの先のドラマが待っていることを暗示している様でもあります。そしてその暗示は、ヴァイオレットの人生を次のステージに進めていく“外伝”ではない『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』へと繋がっていくことになります。
制作体制からも分かるこれまでとの違い
作品の構造、立ち位置、時間の流れ。その多くが“外伝”に相応しい、それまでとは実は異端な『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 –』ですが、実はこの映画では作品の制作体制にも一つの変化が設けられています。
それが、TVアニメシリーズで監督を務めていた石立太一氏が監修という立ち位置に回り、シリーズ演出を務めていた藤田春香氏が監督を務めるという編成になっています。上記のような話の作り方の違いももしかすると、この制作体制の違いがあらわれているのかもしれません。
過去の雑誌のインタビューにて、二人が『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の制作の姿勢にどんな違いがあるのかを問われて、以下のように石立太一氏は答えています。
石立 どちらかと言えば、僕のほうが派手好きでわかりやすい演出を好んで、藤田さんはマニアック。渋くて一見わからないような演出をするタイプかなと思っています。というのが、演出表現の方向性の話なのですが、一方、物語の運び方になるとこれが逆になって、藤田さんのほうがわかりやすく組み立てているなあって思いますね。物語の進行のさせ方とそこにかぶせる演出の方向性が逆なんです。
引用:Newtypev 2018年4月号(角川書店)
TVアニメシリーズと外伝の作品の違いは、石立氏の言うような演出や物語の運び方の違いに表れているのかもしれません。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 –』の派手でないながらも、その手堅さを感じさせる例として、ヴァイオレットとイザベラの別れのシーンがあります。
最後に別れの言葉をかけるヴァイオレットに少しずつ光が射します。しかし、そのすぐ後、ヴァイオレットが居たはずのその道には彼女は居ません。門の柵越しに、それを眺めるイザベラは再び籠に捕らえられた鳥のようで、孤独や寂寥感を掻き立てます。そして、誰も居ない構内で一人光が当たるイザベラに射す光は無情さを感じさせるのですが、そこに現れるのがランカスター。
日陰に立っていた彼女が、イザベラの家柄ではなく、イザベラ自身に興味を持っていることを伝え一歩踏み出した時、ランカスターにも窓からの光が射します。それを聞いたイザベラを仰いだ先には天井の空の壁画が露わになります。そして先ほどは一人残されていたかのように見えた鳥籠の人影は2つになります。これがわずか1分半ほどのシークエンスで展開されることに驚かされます。
そんな演出の妙が、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 –』の随所に潜んでいます。光や視点、反復するシチュエーションに至るまで、それはそれとなく観せられるのですが、作り手の真意を想像しながら観ると、その一つ一つの雄弁さに舌を巻くはずです。
(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
※2021年11月5日時点の情報です。