映画『スリー・ビルボード』の原題は「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」。タイトルの中に「Missouri(ミズーリ)」という地名が入っています。
本作の舞台となる町 Ebbing(エビング)は架空の町ですが、Missouri(ミズーリ)はアメリカの中西部に実在する州です。そして、このミズーリ州が舞台になっていることが、『スリー・ビルボード』においてとても重要な意味をもっています。
ポスターの中央にもミズーリ州のカタチがはっきりと刻まれていますね。
アカデミー賞で見事2部門(主演女優賞・助演男優賞)を受賞し、その社会的な意義を含めて高く評価された『スリー・ビルボード』。本作をより深く味わうために、まずミズーリ州という土地について解説していきます。
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田舎者の白人「ヒルビリー」
ミズーリ州は、保守的な気風が漂う田舎町で、白人が多く住んでおり、いまだに人種差別が根強く残る地域です。昨年、丸腰の黒人青年が白人警官に射殺される事件が起き、全米が騒然となりました。
その一方で、ミズーリ州に住む白人もまた差別される対象になっています。ミズーリ州の白人の大半は、高所得層や中産階級のエリート層ではなく、低賃金の労働者。アメリカの経済成長から取り残されてしまったミズーリ州の人々は「ヒルビリー」と呼ばれ、蔑まれる存在です。
ヒルビリーとは、ミズーリ州やヴァージニア州などの山地(ヒル)に暮らす人々を指す言葉で、そこに住む多くが白人であることから、転じて白人の田舎者を揶揄する言葉となっています。
彼らヒルビリーは、トランプ政権の支持基盤とも言われ、映画では「貧しく劣等感を抱えた存在」としてネガティブに描かれることが多く、西海岸のエリート層であるハリウッドの人々から見れば侮蔑の対象なのです。
暗く閉鎖的なコミュニティ
同じミズーリ州を舞台にした映画に、ジェニファー・ローレンス主演でアカデミー賞4部門にノミネートされた『ウィンターズ・ボーン』(2010)があります。この作品ではホモ・ソーシャル(特に男性同士の強い連帯)があり、閉鎖的なコミュニティが幅をきかせている様が不気味に描かれています。
主人公の少女リーは、失踪した父を探すために町の人々に聞き込みをしますが、この土地独特の閉鎖的な雰囲気の中で、さまざまな妨害にあってしまいます。
やがて、父が死んでしまったことが判明しますが、それもコミュニティの掟を破ったことを理由に死んだことがわかるのです。
『スリー・ビルボード』も『ウィンターズ・ボーン』と同じく、ミズーリ州の閉鎖的な人間関係の中で生きる人々を描いたドラマです。
「White trash(白いゴミ)」とまで蔑まれる彼ら白人は、差別的で暴力的、女性を侮蔑し、閉鎖的なコミュニティに生きていて、好意的な存在には見えません。しかし、そんな彼らも人間なんだということを『スリー・ビルボード』は描いています。
「“白人の彼らも人間だ”なんて言われるまでもなく当然のことだ」と思う方もいるかもしれませんが、そんな当たり前が今まで通じなかったからこそ、この『スリー・ビルボード』は社会的にも意味深い作品になったと言えるのです。
※以下、映画『スリー・ビルボード』のネタバレを含みます。
あっけない復讐譚ともう1人の主役
本作の主人公ミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は娘を殺され、犯人を逮捕できない警察に対し、抗議の意味で3枚のビルボード広告を打ちます。
娘の命を奪った犯人に対して、そして愚鈍な警察組織に対して、たった一人で立ち向かうぞという決意の現れとも言えるでしょう。この物語は、ある種の「復讐モノ」として観ることができます。
主人公のミルドレッドのキャラクター造形は、西部劇のアウトローを意識して作られています。
ミルドレッドのテーマ曲とも言える『Mildred Goes To War』は、明確にウェスタンを意識した曲調になっていますし、一匹狼が悪徳保安官に復讐する物語は西部劇の定番です。
しかし、ミルドレッドの復讐譚は、なんとも中途半端な展開を迎えることになります。
悪人だと思われていた警察署長は実は立派な人物で、捜査も熱心に行っていたことが後からわかってきますが、そんな好人物である署長が自殺するというかたちで、彼女の復讐劇はあっけなく幕を下ろしてしまいます。
ここから登場人物たちのやることなすことが、上手くいかなくなっていきます。
復讐相手を失ったミルドレッドは、犯人の手がかりとなる情報がある警察署に火をつけてしまい、その火の海に飛び込んでしまった悪徳警官のディクソン(サム・ロックウェル)は、かつて自分がいたぶったビルボード広告の会社の男に慰められることになります。
このように、復讐譚を終えたあとのストーリーはまるでボタンが掛け違っていくように展開していき、それぞれの登場人物の思惑が少しずつズレていき、なんとも悪い冗談を見ているような気分になります。
人種差別も女性蔑視も凄まじいミズーリ州の田舎町で、復讐劇として始まった物語は予想できない方向に転がっていき、気がつくと別の物語になっています。
映画の後半でフォーカスされるのは、ミルドレッドではなく、絵に描いたような差別主義者の白人警官ディクソンです。酒飲みで乱暴者でレイシスト、普通の映画だったら悪役で終わりそうなこの男が、ボタンの掛け違いの末に、後半では準主役のような立ち位置に成長していきます。
『スリー・ビルボード』において心の変化が大きいのは、主人公のミルドレッドよりむしろ彼かもしれません。
ハリウッドに蔑み続けられた白人たち
現在、ハリウッドではかつてないほどに多様性を重視し、マイノリティへの配慮と平等性を重んじるようになってきました。しかし、そこに「ヒルビリー」や「白いゴミ」は加わる余地があるようには見えません。
実際には、白人は人種的にはマジョリティであり、被差別層ではありません。しかし、だからこそ、見落とされがちな弱者としてヒルビリーたちは取り残されています。かつてのアメリカの経済成長からは置いてけぼりになり、今度は多様性の輪からも外されているかのようです。
これまでハリウッドは、彼ら弱者をどのように描いてきたでしょうか。
前出の『ウィンターズ・ボーン』では、父を探す少女に対して酷い仕打ちをする閉鎖的な人間たちとして描かれました。それでもまだ良い方かもしれません。
最も有名なヒルビリー的キャラクターといえば、『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスが挙げられます。
「Dead by Daylight」というたくさんの殺人鬼が登場するサバイバルホラーゲームに、レザーフェイスをモチーフにした殺人鬼キャラが登場するのですが、名前はそのものズバリで「ヒルビリー」です。
ヒルビリーは、映画やゲーム業界においては、人間ではなくホラーモンスターですらあったわけです。
そんな差別を受ける彼らが、リベラル(自由主義者)を敵視するトランプ政権を支持するのも、ある意味では当然と言えるかもしれません。
『スリー・ビルボード』は、ハリウッドが蔑み続けてきた彼らを“人間”として扱っている映画です。ディクソンのような人間もまた、成長し変わり得る存在だと示唆します。
敵対していたはずのミルドレッドとディクソンは、ボタンの掛け違えの果てに、奇妙なカタチで結託します。
2人の出した結論は、ある意味で「白いゴミ」らしい乱暴で身勝手なものかもしれませんが、彼らの抱えるやり場のない怒りを端的に表しているのではないでしょうか。
こうしたアメリカリベラルの自己批評的な視点を持った作品を、イギリス出身のマーティン・マクドナー監督が作ったという事実もまたひとつの皮肉に感じられます。
多様性を重んじるハリウッドやリベラルメディアが長年見落としていたものを、この映画は見事にすくい取り、私たちに見せてくれるのです。
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