【ネタバレ】映画『君の名は。』複雑な時系列を整理&伏線を徹底考察!

魚介類は苦手だけど名前は

スルメ

映画『君の名は。』複雑な作品中の時系列を整理&伏線を考察!三葉たちの家系が持つ入れ替わりの力について徹底解説!

筆者が『君の名は。』を初めて鑑賞したのは、台湾でのことだった。

久しぶりに聞く日本語や、日本の原風景が郷愁かきたてたが、なによりも台湾の観客たちの熱狂が忘れられない。

笑い声はもちろん、重要なシーンで観客が息を吞む音すらも伝わってくる。新海誠監督の映画が、世界に通用することを肌で感じた瞬間だった。

そんな『君の名は。』が2022年10月28日(金曜日)に、本編ノーカットで地上波放送される。

本記事では、時系列の整理をおこないつつ、『君の名は。』が持つ面白さの謎をひも解いていきたい。

君の名は。』(2016)あらすじ

「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」

岐阜県の山間にある小さな町・糸守に住む三葉(上白石萌音)の叫びが、こだまする。三葉は封建的な糸守の地で、毎日息苦しさを感じていたのだ。

ある日、三葉が目を覚ますと、なぜか東京に住んでいる高校生・瀧(神木隆之介)と身体が入れ替わっていた。身体的な変化に戸惑う三葉だったが、憧れていた東京での学生生活を満喫する。

一方、三葉になっていた瀧もまた、慣れない生活に苦労していた。ふたりは入れ替わりを夢だと思い込んでいたが、周囲に与えていた影響から、現実に起きている現象だと気がつく。

ふたりは厳格なルールを定め、お互いの生活を守ろうと必死になる。しかし、ある日を境に入れ替わりが起きなくなってしまう。三葉を忘れられない瀧は、彼女が住んでいた糸守を探そうとするのだが……。

 

※以下、ネタバレを含みます。

君の名は。』の時系列

『君の名は。』の物語が複雑化した理由は、入れ替わりの際に起きている時間のズレにある。

三葉と瀧は、同じ時間に入れ替わっているように見えて、実は3年のズレがあった。また、物語終盤では歴史の分岐点が存在する。これにより、2つの未来が存在する、複雑な形になっているのだ。

まずは『君の名は。』の時系列を整理し、1本の線にまとめていきたい。

物語開始前のできごと

『君の名は。』の物語は1,200年前から始まっていた。1,200年前、後に糸守となる場所に隕石が落下する。この隕石が落下した衝撃により、糸守湖が形成された。隕石は1,200周期で糸守に落下しており、次の大災害を防ぐため、宮水の女性たちよる入れ替わりが始まる。

隕石落下から1,000年後。物語開始時点より200年前に、山崎繭五郎なる人物が起こした火災が発生。「繭五郎の大火」と呼ばれる大火事により、数々の文献が消失してしまう。宮水神社の神事に関する情報もすべて焼失し、以降は演舞や口噛み酒などの伝統だけが残っていく。

さらに時は流れ、約70年前。三葉の祖母・一葉も誰かと入れ替わりをおこなっていた。一葉に当時の記憶が残っていないため、入れ替わった相手が誰であるかは不明である。また、それから数十年後、三葉の母・二葉も、夫のトシキと入れ替わっていたと思われる。

三葉の入れ替わり

2013年の9月。三葉の入れ替わりが始まる。相手は3年先の未来にいる高校生・瀧であり、三葉は2016年の世界を体験していた。一方、2013年の瀧は、まだ入れ替わりが始まっておらず、三葉のことを知らない。

しかし、時間のズレがないものと思い込んでいた三葉は、瀧に会うため東京へと向かってしまう。三葉は瀧に認識されていなかったことに深く傷ついたが、この際に中学時代の瀧に組紐を渡し、ふたりの間に“ムスビ”が生まれた。

ティアマト彗星が落下する

2013年10月4日。糸守で夏祭りがおこなわれ、浴衣を着た三葉が祭りへと出かける。しかし、彗星の破片が糸守に落下。三葉たちは死亡し、糸守の町は彗星落下の衝撃で跡形もなく破壊されてしまう。

また、10月4日は世界の分岐点でもある。未来の瀧と、2013年10月4日の三葉が入れ替わることにより、町民を避難させることに成功。「三葉が死なない別の未来」が生まれ、ふたりの再会へとつながっていく。

瀧の入れ替わりが始まる

充実した高校生活を送っていた瀧は、3年前に三葉から渡された組紐を肌身離さず持ち歩いていた。

そして2016年の9月。瀧は3年前の三葉と入れ替わり、ふたりのドタバタ生活が始まる。しかし、当の三葉はすでに死亡しているため、直接会うことはできない。作中で電話やメールが通じないのも、三葉が死亡しているためである。三葉が亡くなる10月4日を境に、入れ替わりが起きなくなり、瀧は糸守を探し始める。

瀧が糸守を訪れる

三葉に会うため、瀧は糸守を訪れるが、そこはすでに彗星に破壊されていた。その後、図書館にて、瀧は三葉らが死亡していることを知る。三葉が残したデータも次々と消えていく中、ふたりを結んでいた組紐だけは、瀧の手首に残っていた。

瀧は三葉を救うため、三葉の半身でもある口噛み酒を飲み、運命の日である2013年10月4日の朝へとさかのぼる。三葉の姿で過去に戻った瀧は、勅使河原たちに協力を仰ぎ、町民を避難させる計画を立て、実行に移していく。

しかし、三葉の父である町長の説得に失敗してしまう。2016年の自分と入れ替わっている三葉に会うため、瀧はふたたびご神体を訪れる。

一方、2016年の瀧の身体に入っていた三葉は、破壊された糸守を目撃。自身が死亡した事実を知り、瀧を探し始める。

カタワレ時

カタワレ時は、この世のものではない存在に出くわす不思議な時間である。3年の時を隔てて、ご神体がある山にやってきていた三葉と瀧は、カタワレ時に初めて出会う。この時点でふたりの入れ替わりは終了し、それぞれが元の身体に戻った。

未来の知識を得て3年前へと戻った三葉は、父の説得に成功し、町民のほとんどを救う。しかし、瀧の名前を忘れてしまい、心に引っ掛かりを抱えたまま、毎日を過ごすことになる。3年後にいる瀧もまた、三葉の名前を忘れ、自分がなぜ糸守にいるのかも覚えていなかった。

再会

5年の月日が流れ、瀧は就職活動に精を出し、三葉は東京で暮らし始めていた。お互いの名前はもう覚えていないが、「なにかを忘れてしまった」という事実が、ふたりの胸を締めつけている。物語の冒頭、「目が覚めるとなぜか泣いている」のシーンは、この時間軸のできごとだ。ふたりは何度もすれ違いを続けていたが、ついに再会することはなかった。

さらに時が流れ、就職した瀧は、向かいに走っていた電車の中にいる三葉と目が合う。お互いを認識したふたりは、須賀神社の参道にて再会し、物語は幕を閉じる。

 

君の名は。』は“つながり”の物語である

『君の名は。』を読み解くうえで、重要になるキーワードは“組紐”と“つながり”だ。

本作の冒頭で組紐の性質について、一葉の口からこのように語られた。

より集まって形を作り、捻じれて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。

これは組紐の説明であると同時に、『君の名は。』の作品構造そのものを表現したセリフでもある。先述したとおり、『君の名は。』は非常に複雑な時系列を有した作品だ。個々のエピソードが集まり、時間が絡まり、時には戻る。そして最後にはすべてがつながっていく。まさに一葉が語った組紐の説明とリンクする。

また、組紐の性質は、作中の人間関係ともリンクさせることができる。三葉と父の関係は、映画序盤こそ途切れてしまっているが、最終的にはつながった。三葉と瀧の関係も同様だ。お互いを理解できず少し捻じれた関係から始まり、一時期は途切れるが、ラストで再度つながる。

メタ的な視点で語らせてもらうと、『君の名は。』という映画そのものも、クリエイターたちの“つながり”から生まれた作品である。新海誠監督をはじめ、プロデューサーの川村元気氏、音楽を担当したRADWINPS、キャラクターデザインの田中将賀氏など、奇跡的なコラボレーションが実現した。

『君の名は。』は人と人とがつながる大切さを、作品全体で体現した映画といえるのではないだろうか。このふたつのテーマに注目すると、より深い部分の物語を楽しむことができるはずだ。

瀧と三葉の入れ替わりが起きた理由は?

男女の身体が入れ替わる作品は多くあるが、『君の名は。』ほど、入れ替わりに意味を持たせた映画は存在しないだろう。

そもそも、なぜラブコメアニメ的な入れ替わりが起こってしまったのか?

結論から書くと、瀧と三葉の入れ替わりが起きたのは、ティアマト彗星の落下から糸守の民を救うためである。一葉の口から語られたように、宮水の女性たちには、代々入れ替わりが起こっていた。しかし、当人が入れ替わった事実を忘れてしまう上に、「繭五郎の大火」で文献が焼失したため、入れ替わりの実態が伝承されてこなかったのだ。

ティアマト彗星は1,200年周期で糸守に落下する。ご神体にある祠の中には、彗星が落下する壁画が描かれており、太古の人々は2013年に彗星が落下する事実を知っていたと推察できる。

宮水の女性たちは、彗星から糸守の民を守るべく、1,200年ものあいだ未来にバトンを渡し続けてきたのだ。三葉の母・二葉は後に糸守の町長になるトシキと入れ替わり、“つながり”を生んだ。この“つながり”は、三葉の誕生に深く関わるだけでなく、住民を避難させる最後の切り札にもなる。

こうして宮水の女性たちは、入れ替わりをとおして、未来を紡いできたのだ。小説版「君の名は。」では、入れ替わりはある種の「警告システム」であると推測されている。すべては“アンカー”である三葉にバトンを渡すため。ここでも“つながり”のテーマが見えてくるのだ。

おそらく三葉の子どもにも、入れ替わりの力が継承されていくだろう。もちろん、1200年後の彗星落下に備えるためだ。

その時まで人類の繁栄が続いているかは、別の話だが。

 

忘れてしまう怖さ

三葉と瀧は、お互いが入れ替わっていたことを忘れてしまう。入れ替わりは現実ではあるものの、一種の夢でもあるためだ。

先ほどまで見ていたはずの夢が、まったく思い出せなくなる現象は、誰もが経験したことがあるだろう。少し覚えていても、昼までには、見ていた夢のことなど忘れてしまうのが常である。

“忘れる”ということは、人類に備わった基本機能であると同時に、どう頑張ってもコントロールすることができない。多くの人はその事実を知っているから、瀧が三葉の名前を思い出せなくなるシーンで涙し、忘却を超えたふたりの再会に歓喜するのだ。

しかし、筆者は『君の名は。』を鑑賞すると、興奮と同時に必ず切ない感情が湧いてくる。自分自身も瀧や三葉と同じく、大切な何かを忘れてきたことを実感するためだ。

これまで多くのものを忘れてきたし、これからもきっと大切なことを忘れていくだろう。それでも、せめて、『君の名は。』を初めて観たときの感動と興奮は、ずっと記憶の中にとどめておきたい。

君の名は。』予告

 

 

(C)2016「君の名は。」製作委員会

※ 2022年10月28日時点の情報です。

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