【ネタバレ解説】映画『ファイト・クラブ』製作秘話&伏線・ラストシーンの意味を徹底考察

ポップカルチャー系ライター

竹島ルイ

映画『ファイト・クラブ』をネタバレ解説。デヴィッド・フィンチャー監督の製作秘話、伏線やサブリミナル効果、「信用できない語り手」の技法、ラストシーンの謎などについて徹底考察。

世紀末の1999年に公開され、現代社会の資本主義&消費主義に警鐘を投げかける問題作として反響を呼んだ『ファイト・クラブ』。

イギリスの映画雑誌「エンパイア」が発表した「歴代最高の映画ランキング500」で10位にランクイン。「最高の映画キャラクター100人」ではブラッド・ピットが演じたタイラー・ダーデンが1位に輝くなど、カルトムービーとして今なお根強い人気を誇っている。

ファイト・クラブ

今回は、製作秘話をはじめ、巧妙に隠された伏線やサブリミナル効果、ラストシーンの解釈などをテーマに『ファイト・クラブ』についてネタバレ解説していきましょう。

映画『ファイト・クラブ』あらすじ

自動車会社でリコール調査に従事している“僕”(エドワード・ノートン)は、一流のインテリアに囲まれて物質的には充足した生活を送っていたが、精神的には満たされずに不眠症の日々を送っていた。

そんなある日、飛行機でタイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)という謎の男に出会う。自由で、マッチョで、自信家。全てにおいて自分とは正反対の彼に、“僕”は強烈な羨望とシンパシーを覚える。

やがて“僕”とタイラーは、メンバー共通のルールのもとで男同士が素手で殴り合う「ファイト・クラブ」という組織を結成。拳と拳を交えることで、生きる意味を見出していく。

しかし、やがて組織はテロリズムに走り出し、コントロールが効かない状態に。そして“僕”は、衝撃の事実を知ることになる……。

ファイト・クラブ出典元:YouTube(Movieclips)

※以下、映画『ファイト・クラブ』のネタバレを含みます

D・フィンチャー監督の痛快な製作秘話​

原作小説を書いたのは、アメリカの小説家チャック・パラニューク。

いろいろなイタズラを仕掛けては世の中を混沌の渦に巻き込む非営利団体「Cacophony Society(不協和音の会)」のメンバーだったというから、作者自身がファイト・クラブ的資質を持ち合わせた人物と言えるだろう。

この小説に目をつけたのが、映画会社・20世紀フォックス。

当初、20世紀フォックスは『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズで知られるピーター・ジャクソンが監督の適任者と考えたが、当時彼は映画『さまよう魂たち』の撮影中だったためNG。

『トレインスポッティング』のダニー・ボイル監督は脚本を読んだものの関心が別のプロジェクトに移ってしまい、「X-メン」シリーズのブライアン・シンガーに至っては脚本を読むことさえしなかったという。

最終的にこの映画の監督を務めることになったのが、鬼才デヴィッド・フィンチャーだった。彼は原作の熱狂的ファンで、自分自身で映画化の権利を買い取ろうとしていたほど。

このオファーは彼にとって渡りに船だったわけだが、処女作『エイリアン3』の製作時に、自分の意向を無視してスタジオ主導の撮影を進めた20世紀フォックスに強い不信感を抱いていた。

エイリアン3

その復讐とばかりに、デヴィッド・フィンチャーはある謀略を巡らす。

確かに興味深い内容ではあるものの、およそ商業的にメガヒットを狙えそうもないこの作品の製作にあたり、デヴィッド・フィンチャーはあの手この手のプレゼンを駆使。そして、なんと6,300万ドル(約70億円※)という途方もない予算を20世紀フォックスから引き出すことに成功したのだ!

資本主義を嘲笑する映画の製作費として、資本主義の権化ともいうべきハリウッド・メジャーから大金をせしめたわけだ。後年、フィンチャーは「この映画にあんなに予算をつけるだなんて、奴らは本当にアホだよな!」と嘲笑ったという。

まさに『ファイト・クラブ』を地でいくような、痛快な製作秘話ではないか!

観客をミスリードさせる技法

ファイト・クラブ出典元:YouTube(Movieclips)

エドワード・ノートン演じる“僕”は、作中でその名前がいっさい明かされない。実は「彼自身がタイラー・ダーデンだった」という二重人格オチがあるからなのだが、この場合の主人公はいわゆる「信用できない語り手」に定義される。

「信用できない語り手」とは、文芸評論家ウェイン・ブースが著書「フィクションの修辞学」で初めて提唱した技法・考え方で、「読み手をミスリードさせる一人称の語り手」を指す。(ミステリー小説などに使用されるパターンが多い)

ネタバレになるので他の映画の参考例は避けるが、『ファイト・クラブ』の“僕”は、映画史上でも類を見ないほどに「信用できない語り手」が成功している作品ではないだろうか。

“僕”は『バードマン』に登場している?

実は『ファイト・クラブ』の“僕”を、そのまま別の映画に登場させた作品がある。第87回アカデミー賞で最優秀作品賞を獲得した『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』がソレだ。

バードマン

エドワード・ノートン演じる「有名俳優のマイク」役が完全に『ファイト・クラブ』の“僕”なのだ。

マイクは現実世界では女の子にキスすらしないくせに、虚構世界(お芝居)ではベッドシーンで本番行為をしようとするくらいのヤバい奴。イケてない現実世界の“僕”と、イケイケマッチョの虚構世界のタイラーという関係性を、完全にトレースした役柄だと言えるだろう。

エドワード・ノートン

ラストへの伏線、サブリミナル効果を解説

『ファイト・クラブ』には、周到に張り巡らされた伏線やトリックがそこかしこに仕掛けられている。タイムシートと一緒に振り返ってみよう。

[0:34]オープニングタイトル

ロックバンド・Nine Inch Nailsによるアッパーなビートにのせて、脳細胞を超高速で駆け巡るオープニングシーン。この映画は、ある男の脳内に生み出されたオルターエゴ(別人格)と対決する物語だから、実は最初から伏線が張られているわけだ。

[4:06]“僕”が会社でコピーをとりながら、会社を見回すシーン

「眠れないと、すべてが朦朧(もうろう)と遠くにかすんで、コピーのコピーのコピーのようだ」というナレーションが入る時に、画面右側に一瞬だけタイラーが映る。サブリミナル効果によって、観客の無意識下にタイラーという男がインプリンティングされるのだ……!

[5:47]“僕”が病院で医者と会話しているシーン

“僕”が医者に「たまに眠って起きると別の場所にいる」と語っている。すでに自分がもうひとつの人格タイラー・ダーデンに乗っ取られていることが暗示されている。

[6:18]医者に睾丸ガン患者の会合に出るように諭されるシーン

病院の廊下で、かかりつけの医師に「睾丸ガン患者の会合に出てみろよ。あそこにあるのが本当の苦痛だ」と諭されるシーンで、医者の右後ろに一瞬タイラーが映る。再びサブリミナル!

[12:36]結核患者の会から立ち去るマーラを振り返るシーン

立ち去るマーラ(ヘレナ・ボナム=カーター)を見送りながら、「今度の会合で瞑想の後、互いに抱き合う時が来たら、あの女にどなってやる」というナレーションが入る直前、マーラを覆い隠すように一瞬タイラーが映る。またまたサブリミナル!

[19:41]“僕”が空港で移動中のシーン

「違う時間に違う場所で目覚めたら、違う人間になれる?」というナレーションが入った時に、タイラーが映る。あざといくらいに分かりやすい暗示だ。

[20:19]ホテルのテレビでCMが流れるシーン

テレビのCMで、ウェイターらしき大勢の男たちが「ようこそ!」と手を広げている一番右端に、タイラーが写っている。サブリミナル!というより、これはもはや「タイラーを探せ」状態か!?

[23:15]飛行機でタイラーが鞄を取り上げるシーン

タイラーが取り上げる鞄を見て、“僕”が「同じ型だ」とつぶやくが、二人は同一人物(二重人格)なので当然のことなのである。

[32:26]“僕”がタイラーについて説明するシーン

“僕”がタイラーについて「人が眠る時間に働く、映画館でパートの映写技師」と説明し、寝ている時間は“僕”がタイラーになっていることを暗示させる。「ファミリー映画に、ほんの一瞬ポルノ映像を入れるのがタイラーの密かな楽しみ」であることは、ラストシーンに繋がる伏線となる。

[38:45]“僕”が本を読んでいるシーン

“僕”が「人間の臓器が一人称で語っている」という謎すぎる小説を読んでいるが、その中に「俺はジャックの脳の延髄です」という一節が。ここでも、さりげなく体が乗っ取られていることが暗示されている。

[1:07:51]ボブに呼び止められるシーン

“僕”がボブ(ミート・ローフ)に「コーネリアス?」と呼び止められるシーン。コーネリアスはSF映画『猿の惑星』(1968)に登場するチンパンジーと同じ名前だが、コーネリアスは「人類の敵」と見なされ、「世界の秘密を最後に知る人物」でもある。

「社会の敵であるテロリスト」で、「二重人格である秘密を最後に知る」主人公にとって、これほどうってつけの名前はない。

ちなみにボブがタイラーについて「何でも精神科病院で生まれた奴で、睡眠時間は毎晩1時間」と語るが、これがあながちウソではなかったことが後になってわかる。

[1:24:27]タイラーが独白するシーン

「職業が何だ。財産が何の評価に? 車も関係ない。人は財布の中身でもファッションでもない」というセリフをタイラーが吐くシーン。

最後に画面がガタガタと震えだし、左右にフィルムの切れ端が見える。彼は「映画の中の人=虚構の人」であることが、さりげなく暗示されている。

[1:24:56]キッチンで“僕”がマーラと会話するシーン

“僕”はマーラと会話をしながら、地下室にいるタイラーの呼びかけに耳を傾けている。実はこの映画、“僕”とタイラーが向かい合って会話するシーンはあるが、そこに第三の人物が映り込んで会話するシーンはない。

“僕”とタイラーは同一人物なのだから当然なのだが、映画としてのトリックが破綻しないように、律儀にそのルールを守っている。

ファイト・クラブ出典元:YouTube(Movieclips)

[1:44:12]自宅からビールを持った“僕”が出てくるシーン

「タイラーだけが計画の全容を知っている。だが質問は禁じられている」という“僕”のナレーションが入る。

本来なら計画の首謀者であるタイラーに、手下があれこれ聞いてきそうなものだが、この「質問を禁じられているという掟」によって“僕”自身がタイラーであることが悟られないように仕掛けられているわけだ。

[1:48:25]“僕”が飛行機で全米中を駆け回るシーン

飛行機に乗りまくってタイラーの足取りを追う“僕”。そもそも彼は自動車会社でリコール調査に従事していて、日頃から全米を飛行機で飛び回る職業だった。その仕事のかたわら、全国各地にファイト・クラブの拠点を作っていたことが察せられる。

[2:16:15]ビルが崩壊するラストシーン

「[32:26]“僕”がタイラーについて説明するシーン」で張った伏線を最後の最後に回収。サブリミナルで一瞬、男性器が思いっきり映し出される。

謎すぎるラストシーンの“もう一つの解釈”

ロックバンド・Pixiesの「Where Is My Mind?」が響き渡るなか、超高層ビル群が音を立てて崩れ落ちる印象的なラストシーン。崩壊するのは、資本主義システムの中枢ともいえる、クレジット会社や銀行などの金融系企業ビルだ。

そう、この映画は「ブランド・ボーイ」と揶揄されるほどに消費社会にズッポリとはまっていた男が、真の精神的自由を獲得するために戦いを挑む物語。

タイラーがバーで語るセリフには、消費社会に対する挑戦が高らかに謳い上げられている。

我々は消費者だ。ライフスタイルに仕える奴隷。殺人、犯罪、貧困も誰も気にしない。それよりアイドル雑誌にマルチチャンネルTV、デザイナー下着、毛生え薬、インポ薬、ダイエット食品、ガーデニング…。何がガーデニングだ! タイタニックと一海に沈めばいいんだ! ソファなんか忘れちまえ!

だが、それにしても本作のラストシーンは謎すぎる。とても謎すぎる。そもそも、“僕”が銃を口にくわえてブッ放しても平気なのってどうなのよ?と筆者は長年疑問に思ってきたのである……。

例えばこんな解釈はできないだろうか? 実は自分自身を銃で撃った後は、死後の世界であると。そう考えると、“僕”がマーラに語りかけるこのセリフが違う意味を帯びてくる。

これからはすべて良くなる

それは逆説的に、「今のこの世の中は決して良くなりようがない」ということを言っているのではないか? 資本主義は腐敗しきっていて、もはや救いようがないことを指し示しているのではないか?

さらに続けて彼は、こんなセリフも吐いているのだ。

出会いのタイミングが悪かった

マーラと手を取り合ってビルの崩壊を眺めながら、なぜ彼はこんな言葉を発したのだろうか? どんな意味が含まれていたのだろうか?

それは、現世では幸せになれなかったことへの後悔の念ではなかったか。

仮に筆者のこの考察(暴論!?)がひとつの解であるとするならば、「真の精神的自由を獲得するための戦い」は、少なくとも現世では決着が着かなかったことになる。

決着をつけるのは、これからの実人生でたゆまぬ実践と、たゆまぬ挑戦をし続ける、観客=あなた方自身なのだ!

11出典元:YouTube(Movieclips)

※1ドルを110円として換算したおおよその金額

(C)2014 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.

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