【ネタバレ解説】映画『ラ・ラ・ランド』オープニングに隠された意味、賛否両論のラストを徹底考察

ポップカルチャー系ライター

竹島ルイ

映画『ラ・ラ・ランド』の渋滞シーンや賛否両論のラスト、オーブニングに隠された意味、歌詞の解釈、元ネタのミュージカル映画などについてネタバレ解説。

日本では2017年2月に公開され、「何度も観たくなる映画!」とリピーターが続出して大ヒットとなったミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』。第89回アカデミー賞では史上最多14ノミネート、うち6部門を受賞するなど高い評価を得た。

ラ・ラ・ランド

間違いなく2017年を代表する作品として語り継がれるであろう本作だが、中には「結末に納得がいかない」「ミュージカル映画としてはレベルが低いのでは」「単純に話としてつまらない」といった、否定派も少なからずいらっしゃる賛否両論の作品であることも確か。

そこで今回は、

■ミュージカル映画にかけるデイミアン・チャゼル監督の製作秘話

■全編にちりばめられた古今東西のクラシック映画の引用

■高速道路のオープニングに隠された意味

■夢か愛か、賛否両論の理由考察

を主なテーマに『ラ・ラ・ランド』についてネタバレ解説していきましょう。

映画『ラ・ラ・ランド』あらすじ

ラ・ラ・ランド

女優の卵のミア(エマ・ストーン)と、ジャズ・ピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴズリング)は、何度かの偶然の出会いを経てお互いの夢を語り合う仲となり、やがて恋に落ちる。

セバスチャンの励ましもあってミアは一人芝居の公演準備を進め、セバスチャンは旧友のキース(ジョン・レジェンド)の誘いを受けて、彼がリーダーを務めるバンドに加入。しかし本心では昔ながらのジャズを演奏したいセバスチャンの心情を察し、ミアは本当に今のままでいいのかを問いただし、口論に。

ミアはいたたまれず家を飛び出してしまうのだが、彼女に重要なオーディションのオファーが舞い込んでいた……。

ラ・ラ・ランド

※以下、映画『ラ・ラ・ランド』のネタバレを含みます

ミュージカル映画にかけたデイミアン・チャゼルの執念!『ラ・ラ・ランド』製作秘話​

ラ・ラ・ランド

監督・脚本を務めたデイミアン・チャゼルはもともとプロミュージシャンを目指してジャズ・ドラムを学び、自分の才能に限界を感じて映画製作を歩みだしたという、一風変わった経歴の持ち主だ(それでいて、史上最年少でアカデミー最優秀映画監督を受賞するのだから、とてつもない才能である!)。

音楽と映画をこよなく愛する彼にとって、ミュージカル映画は是が非でも手がけてみたいジャンルだった。2010年にチャゼルは『ラ・ラ・ランド』のシナリオを書き上げ、映画スタジオに出資を持ちかけるが、首を縦に振ってくれる会社はゼロ。

それもそのはず、ミュージカル映画はフレッド・アステアやジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドが活躍した’40〜’50年代が黄金期。ディズニーのアニメ映画など一部例外はあるものの、現在ではなかなかヒットが見込めない“死に絶えたジャンル”だったのだ。

そこでデイミアン・チャゼルは、もう一つ温めていた企画の『セッション』をまず製作し、商業的成功を収めてから『ラ・ラ・ランド』の出資を取り付ける、という作戦を練る。

この目論見はみごと的中し、製作費わずか330万ドルの『セッション』は、最終的に5,000万ドルもの興行収入をあげた。

セッション

一躍、映画界のニューヒーローとなったデイミアン・チャゼルに対して、映画製作会社のサミット・エンターテインメントとブラック・レーベル・メディアが『ラ・ラ・ランド』への出資・配給に同意。

かくして、念願のプロジェクトは始動したのである!

古今東西のクラシック映画を引用! 映画愛に満ち溢れた『ラ・ラ・ランド』

『ラ・ラ・ランド』には、往年のミュージカル映画に対するデイミアン・チャゼルの愛がぎゅうぎゅうに詰まっている

冒頭いきなり「シネマスコープ」のロゴがドーンと映し出される演出しかり、昔ながらの35ミリフィルムで撮影しているのもしかり、画面サイズが昔のミュージカル映画で数多く使用されていた「2.55 : 1」であることもしかり。

しかもこの映画は、古今東西のクラシック映画をふんだんに引用しているのだ。例えば、ハリウッドを代表するミュージカル映画の名作『雨に唄えば』。

大雨が降りしきる中、ジーン・ケリーが「Singin’ in the Rain」を歌いながらタップダンスをするシーンはあまりにも有名だが、ライアン・ゴズリングがLAを見下ろす丘の上で踊るシーンはこのオマージュだろう。

出典元:YouTube(Movieclips)

また、カラフルでポップな衣装&美術や、男女の愛を冷徹に見つめた物悲しいエンディングには、​ジャック・ドゥミ監督の『シェルブールの雨傘』の影響が見て取れる。

各章ごとに「春」「夏」「秋」「冬」と時系列でキャプションを映し出す手法も、『シェルブールの雨傘』が「1957年11月」「1958年1月」「1959年3月」「1963年12月」とキャプションを出す演出にオマージュを捧げたものだろう。

ちなみに『シェルブールの雨傘』のヒロインの名前はジュヌヴィエーヴだが、ミアが書いた一人芝居の主役の名前もジュヌヴィエーヴである。

(C)Cine-Tamaris

他にも『バンド・ワゴン』『パリの恋人』『ロシュフォールの恋人たち』など、’50〜’60年代の名作をはじめとする様々なミュージカル映画のエッセンスがそこかしこに溢れている。

そんな中、オープニングのLA大渋滞の元ネタとしてデイミアン・チャゼルが挙げている作品が意外にも『フォーリング・ダウン』。

この作品はミュージカルでもなんでもなく、真夏の太陽が照り返すハイウェイでイライラを募らせた中年男性が完全に正気を失い、しまいには銃をぶっ放しまくるという激ヤバムービーである(褒めてます!)。

このカルトムービーを観て、ミュージカル映画のオープニングのヒントを得るというデイミアン・チャゼルの“発想転換力”には、ただただ感服する限り。

フォーリング・ダウン

高速道路のオープニングに隠された意味とは?

『ラ・ラ・ランド』でまず度肝を抜かれるのが、オープニングのミュージカル・シークエンスだろう。大渋滞の高速道路で、およそ100人のダンサーが「Another Day of Sun」を歌い踊るシーンは、実際にロサンゼルスのフリーウェイを2日間封鎖して撮影された。

デイミアン・チャゼルによれば、往年の名映画監督マックス・オフュルス(代表作に『輪舞』(1950年)、『歴史は女で作られる』(1955年)など)の作品を参考にして、まるでダンサーのように動き回る流麗なカメラワークを考え出したという。

チャゼルが自身のiPhoneでリハーサルしている映像がYouTubeにアップされているので、興味がある方はぜひチェックしてみてほしい。

出典元:YouTube(USA TODAY)

しかしこのオープニング、ただ単純に「楽しい歌と踊りが楽しめる」というだけにあらず! 実は本作のテーマをメタファー(暗喩)としてそっと忍ばせているのだ。

そもそもロサンゼルスの愛称である“ラ・ラ・ランド”という言葉には、「現実離れしている状態」という意味がある。つまりLAは“夢が叶う場所”の象徴。中高年のオジ様、オバ様がいっさい登場せず、なぜか高速道路にいるのが若者ばかりなのは、『ラ・ラ・ランド』が「成功を夢見る若者たちの物語」であることの表明だからだ。

彼らが歌う『Another Day of Sun』にこんな歌詞が出てくる。

I’m reaching for the heights and chasing all the lights that shine.
(今 私は頂を目指す。輝く光を追い求めて)

この歌詞だけで終わってしまえば、「夢はきっといつか叶う」的な安っぽい話に聞こえてしまうが、ポイントなのは高速道路が大渋滞を起こしているということ。

つまり、「夢を追いかける者たちは大勢いるけれど、成功という出口にたどり着けるのはほんの一握りしかいない」という、冷徹な現実をノッケから提示している訳だ。

ラスト近く、結婚したミアはオープニングと同様に高速道路で渋滞に巻き込まれるが、インターチェンジから楽々と一般道に下りる。女優としてすでに成功を収めている彼女にとって、「夢への一本道」に再び身を置く必要はないのだ。

『ラ・ラ・ランド』は夢見るロマンティック・コメディ・ミュージカルではなく、現実を残酷なくらい冷徹に見つめたビタースウィート・ムービーなのである。

エマ・ストーン

成功のためなら愛も犠牲に? デイミアン・チャゼルの芸術観とは

『ラ・ラ・ランド』はなぜ賛否両論を呼んだのだろうか? 筆者が独断と偏見で考えるに、その理由は2つある。

まず1つは、「ミュージカル映画としての完成度が今ひとつ!」という意見があること。エマ・ストーンもライアン・ゴズリングも素晴らしい歌と踊りを披露してくれてはいるが、俳優であり、実力あるプロのダンサーとしても活躍したジーン・ケリーやフレッド・アステアに比べてしまうと、見劣りするというのも事実かもしれない。

実は、同様の議論は前作の『セッション』にもあった。「主人公が、アメリカ最高の音楽学校で修行を積むジャズ・ドラマーという設定の割には、その技術レベルが稚拙じゃね?」という否定的意見が、ジャズマニアの間から噴出したのだ。

しかしデイミアン・チャゼルは、超絶技巧を誇るプロミュージシャンが演奏シーンで吹き替えをするよりも、主演のマイルズ・テラー自身が演奏を行う“ライヴ感”を優先させた。

多少の技術レベルには目をつぶってでも、主役の二人に歌い踊らせるという『ラ・ラ・ランド』の発想もまた、そのスピリットが活かされたものと考えるべきだろう。

ラ・ラ・ランド

賛否を呼んだもう1つの理由は、ずばりエンディング。夢を誓い合った二人が結局結ばれなかったという悲しい結末に、一部のファンから不満の声があがったのだ。

確かにこの映画を恋愛映画として鑑賞すると、バッドエンド感は拭えない。しかしその一方で、「セバスチャンは自分のジャズクラブを持つという夢を、ミアは女優になるという夢を叶えたので、ハッピーエンド!」という見方もできる。

思い返して欲しいのが、ミアがこれからの自分たちの未来についてセバスチャンに問いかけるシーン。彼はこんなセリフを投げかける。

没頭しないと。全力で。君の夢だ。

セバスチャンは、ミアが本当に女優としての夢を掴み取りたいなら、別れた方がいいと提案する。これはデイミアン・チャゼルの芸術観といってもいいだろう。

かつてジャズ・ドラマーとしての夢を諦めた彼にとって、アメリカン・ドリームを成就させるためにはそれくらいの覚悟が必要!ということなのだ。

『セッション』でも、せっかく付き合い始めた超かわいい彼女に向かって、主人公がこんなセリフを言い放つシーンがある。

ドラムを追求するためには、もっと時間が必要なんだ。君と会う余裕なんてない。

成功のためには恋愛にうつつを抜かすヒマはなし!

『ラ・ラ・ランド』は恋愛映画の構造をまといつつも、実は恋愛に対して冷ややかなスタンスを取っている、とってもとっても奇妙なミュージカル映画なのだ。

ラ・ラ・ランド

Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate. (C)2016 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.、(C)2013 WHIPLASH, LLC. All Rights Reserved.、(C)Cine-Tamaris

記事をシェア

公式アカウントをフォロー

  • RSS