【ネタバレ解説】映画『ゴーン・ガール』に隠されたテーマ、タイトルの意味を徹底考察

ポップカルチャー系ライター

竹島ルイ

映画『ゴーン・ガール』をネタバレ解説。モデルになった実話、キャスティングの妙、タイトルの意味などについて徹底考察。

失踪した妻と、疑われた夫。メディアが暴く夫婦の秘密とは――。

女流ミステリー作家ギリアン・フリンのベストセラー小説を『セブン』や『ファイト・クラブ』で知られる鬼才デヴィッド・フィンチャー監督が映画化したゴーン・ガール

アメリカのローリング・ストーン誌が選ぶ「2014年の映画ベスト10」で5位にランクインするなど、批評的にも興行的にも高い評価を得た、2014年を代表する一本だ。

ゴーンガール

しかしこの作品、単なるサスペンス映画ではない。結婚というシステムの本質を露悪的に暴いた、とてつもなくヤバくて怖い映画なのである。

という訳で今回は、『ゴーン・ガール』についてネタバレ解説していこう。

映画『ゴーン・ガール』あらすじ

結婚5年目を迎えたニック(ベン・アフレック)とエイミー(ロザムンド・パイク)。二人はおしどり夫婦として知られていたが、結婚記念日にエイミーが忽然と姿を消してしまう。

美しい人妻の失踪事件は全米の注目を集め、ニックもマスコミに取り上げられる。やがて「妻が失踪した悲劇の夫」を演じているかのようなニックの態度が批判を浴びるようになり、彼は精神的に追い詰められていく。

そして事件は思わぬ方向に舵を切っていくのだった……。

ゴーン・ガール

※以下、映画『ゴーン・ガール』のネタバレを含みます

事件のモデルとなった「スコット・ピーターソン事件」とは

『ゴーン・ガール』にはモデルとなった事件がある。アメリカのバークレーで発生した「スコット・ピーターソン事件」がソレだ。

2002年12月24日、肥料メーカーに勤務するスコット・ピーターソンという男性から、「妻のレイシーが失踪した」という連絡が警察に入る。当時レイシーは身ごもっており、妊娠8ヶ月だった。

身重の妻がクリスマス・イヴに忽然と姿を消したというニュースは、瞬く間に全米注目の的となり、スコットは一躍「時の人」に。

スコットは捜査に協力的だったが、言動に不審な点があることから、警察は次第に容疑者として目を向けるようになっていく。

最初はスコットを擁護していた妻レイシーの家族だったが、彼がアンバー・フライという女性と浮気をしていたことが発覚すると、記者会見を開いてスコットの支持を撤回すると発表。彼のイメージはガタ落ちし、世間は完全に「スコット=真犯人」と認識するようになる。

そして捜査からおよそ4ヶ月後の2003年4月13日、レイシーとその胎児がサンフランシスコ湾で発見され、4月18日にスコットは逮捕。全米の注目を浴びた裁判で、死刑判決が下されたのである(2019年5月現在、控訴中)。

悲劇の夫が、妻殺しの真犯人としてマスコミから叩かれる……。『ゴーン・ガール』のベーシックなストーリー・ラインは、全米を騒がせた「スコット・ピーターソン事件」に基づいているのだ。

ゴーン・ガール

結婚というシステムの本質を暴くブラック・コメディー

『ゴーン・ガール』は、本質的な意味でサスペンス映画ではない。

拙稿『デヴィッド・フィンチャーは何故、サスペンスを描かないのか?』でも論じさせていただいたが、そもそも監督のデヴィッド・フィンチャーはサスペンス系の映画を数多く手がけているにも関わらず、サスペンス描写そのものに力点を置いた作品がほとんどないという、極めて特異なフィルムメーカーだ。

例えば、『ゲーム』は主人公が人生に価値を見出して再生するまでを描いた“イニシエーション”(通過儀礼)の物語だったし、『ゾディアック』は連続殺人鬼に魅入られた男たちを群像劇風に描いた社会派ドラマだった。

デヴィッド・フィンチャー

そして『ゴーン・ガール』は、男女の結婚観の違いをシニカルに描いたブラック・コメディー

そう! 一見すると、元カレの首をカッターで掻っ切る激ヤバ女のサイコスリラー映画に思えてしまうが、『ゴーン・ガール』は結婚というシステムの幻想を徹底的に破壊する、“笑えない”コメディー映画なのだ。

デヴィッド・フィンチャーはさるインタビューで、こんなコメントを残している。

This is the kind of stuff it’s very hard to make a cinema audience engage with.
これは、観客を魅了するのが非常に難しいタイプの映画です。

(イギリス紙「The Telegraph」のインタビュー記事より)

これは彼の偽らざる想いだろう。

『恋人たちの予感』(1989)や『ノッティングヒルの恋人』(1999)など、「最初はお互いに好意を持っていなかった男女が、最後には結ばれてハッピーエンド」という“恋愛至上主義的ロマンティック・コメディー”に慣れ親しんできたアメリカ人にとって、この映画で描かれる結婚観はあまりにヘビーすぎる。

では、『ゴーン・ガール』が暴く結婚の本質とは何なのだろうか?

『ゴーン・ガール』のテーマ=“役割を演じること”

ここで、文豪オスカー・ワイルドのお言葉を引用してみよう。

結婚のひとつの魅力は、双方にとってだまし合いの生活が絶対必要となることだ。

けだし、名言ナリ!とうなずく方も多いのではないだろうか。

人間というものは、あらゆる社会関係において様々な役割を演じ分けているもの。たとえば、もしあなたが管理職の立場ならば、きっと部下の前では良き上司を演じ、もしあなたがまだ新米社員ならば、きっと上司の前では良き部下を演じていることだろう。仕事を円滑に進めるために。

結婚もまた同じではないだろうか? 妻の前では理想の夫であることが求められ、夫の前では理想の妻であることが求められる。オスカー・ワイルド風に言えば「双方のだまし合い」こそが必要なエッセンスなのだ。

妻エイミーは幼少時より人気ベストセラー『アメイジング・エイミー』のモデルとして知られていた。彼女は物心ついた頃から、“完璧な少女エイミー”を演じて生きてきたのだ。だからニックもその役割を全うしなければならない。

映画中盤で、こんなエイミーのモノローグが流れる。

お互い別人を演じて幸せだった。(中略)でもニックは怠け、願い下げの男に成り果てた。
それなのに無条件で私の愛を求め、お金もないのに私を故郷に連れてきた。

そしてこともあろうに、若い巨乳の“いい女”に乗り換えた。(中略)大人は償うべきだ。

エイミーがニックを陥れる計画を立てた最大の理由は、彼が浮気をしたからではなく(もちろん、それもきっかけの一つだが)、良き夫を演じる役割を放棄したからだ。そして彼女が夫の元へ戻る決心をしたのは、ニックがテレビの前で良き夫を演じきったから。

そう、『ゴーン・ガール』が暴く結婚の本質(映画のテーマ)とは「役割を演じること」に他ならない。

ゴーン・ガール

それを示すかのように、この映画では様々なボードゲームが登場する。

バーでニックが妹マーゴとプレイしているのは「人生ゲーム」だし、薪小屋に置かれているのは「マスターマインド」(小国の領主として自分の領土を拡張するゲーム)と「レース・フォー・ザ・ギャラクシー」(星間国家を築き上げるゲーム)。

つまり小国の領主や星間国家君主など、自分とは異なる役割を全うする象徴としてボードゲームが登場しているのだ。

双子の妹マーゴの役割も非常に興味深い。

ニックは、エイミーと離婚して欺瞞に満ちた人生から脱出したいと考えていた。それは「理想の夫を演じること」に疲れ果てたから。彼は、本当の自分に戻りたかったのだ。

ニックが“本当の自分でいられる唯一の存在”が、マーゴ。つまり彼女は、“常に理想像を演じ続けなければならない存在”エイミーと、対極の位置に存在しているキャラクターなのである。

キャスティングに込められた意味

それにしても、愚鈍でマヌケなニック役をなぜベン・アフレックが演じることになったのだろうか?

ベン・アフレックといえば、『アルマゲドン』や『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』といった数々のヒット作に主演するスター俳優。しかも、アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した『アルゴ』を演出するなど、優れた映画監督・プロデューサーとしても知られている。

そんな完璧超人の彼に、ニック役は意外なキャスティングのように思える。しかし、実はベン・アフレックは世間から“バカでイタい奴”という烙印を押されていた時代があった。

かつて彼は女優のジェニファー・ロペスと婚約していたのだが、そのイチャイチャぶりが芸能ニュースの格好のネタとなってしまい、二人は「ベニファー(Ben + Jennifer で Bennifer)」と揶揄されて世間から嘲笑を買ったのだ。

ザ・セル

世間から総バッシングを受けるニック役にベン・アフレックをアテるというのは、実はかなり実人生をなぞったキャスティング。

これはデヴィッド・フィンチャーの意思(多少悪意アリ)によるものなのか!?……はさておき、そんなキャスティングの妙を見ることができるのも確かだ。

ゴーン・ガール

『ゴーン・ガール』に秘められた、タイトルの本当の意味とは?

筆者はゴーン・ガールを初めて観たときに、ある映画を連想せざるを得なかった。それは、アルフレッド・ヒッチコック監督によるサスペンス映画の傑作『めまい』である。

※以下、映画『めまい』のネタバレを少し含みます

めまい

『めまい』をものすごく乱暴に要約すると、「マデリンという愛した女を自殺で失った男(ジェームズ・スチュワート)が、彼女と瓜二つの別の女性ジュディと出会い、マデリンの髪型や洋服に似せることで、死んだ女を蘇らせようとする」という話である(変態である)!

デヴィッド・フィンチャーも『めまい』はお気に入りのフィルムのようで、

I know Vertigo really well, and I think Jimmy Stewart in Vertigo is so much crazier than any of villains in Hitchcock.

私は『めまい』をとてもよく知っています。そして『めまい』のジェームズ・スチュワートは、ヒッチコック映画のどの悪役よりも非常にクレイジーだと思います。

(「FILM COMMENT」のインタビュー記事より)

というコメントを残している。

「男が理想の女性を追い求めるも、結局はそれは虚像でしかなかった」というプロットは『ゴーン・ガール』と酷似している。

そう考えると、タイトルの『ゴーン・ガール』とは「失踪した妻」という意味ではなく、「男にとって理想の“女性像”が胡散霧消してしまったこと」を表しているのではないか。

この映画は、男性の“女性に対する理想主義”を粉々にぶち壊す。『ゴーン・ガール』の本当の怖さとは、極めてシニカルで極めてドライな現実そのものなのだ。

(C)2014 Twentieth Century Fox

記事をシェア

公式アカウントをフォロー

  • RSS