いつの時代も色褪せない映画というものは多々あるもので、私もいくつかそんなお気に入りの作品があります。映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』もまさにそんな一本です。
「クレヨンしんちゃん」といえば、2020年に原作漫画の連載から30周年を迎える、日本では知らない人のいない長寿作品の一つです。同じように日本の家庭を描いた「サザエさん」や、「ちびまる子ちゃん」といった作品は多く存在しますが、「クレヨンしんちゃん」の大きな違いは、いつの時代も現代を舞台に描かれていることです。
今やTVアニメシリーズにはドローンが登場したり、野原一家はスマートフォンを駆使していたりと、永遠の5歳児を続けながらも、その時代には大きな変化が生まれています。そんな未来を追い続ける「クレヨンしんちゃん」のスタンスが決定づけられた映画が『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』なのです。
※以下、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』のネタバレを含みます。
映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』はどんな映画か?
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』は、2001年に公開された映画クレヨンしんちゃんシリーズの第9作目に当たる作品でした。
しんちゃん達の暮らす春日部に“20世紀博”というテーマパークがオープンするところから物語は始まります。そこには、昔のテレビ番組や、映画、暮らしなど70年代頃を再現した世界が広がっていました。大人たちは20世紀博の懐かしさにハマってしまい、ついには子供そっちのけで熱中してしまうのでした。大人たちは20世紀博へ行ったまま帰ってくることなく、子供たちは町に取り残されてしまいます。戸惑う子供たちでしたが、しんのすけや、仲間のカスカベ防衛隊のメンバーは、20世紀博に大人たちを迎えに行くことを決心する、という物語でした。
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『イエスタデイ・ワンスモア』とは?
この20世紀博というテーマパークは、実はケンとチャコの二人が率いる「イエスタデイ・ワンスモア」という組織の計画の一環であることが明らかになります。ケンとチャコは、20世紀の懐かしいニオイを使って、大人達に未来へ進むことを放棄させ、永遠に昭和の世界を生き続けさせようとしていたのでした。
ケンとチャコは二人とも華奢な体型で、ビジュアルはジョン・レノンとオノ・ヨーコを思わせる姿でした。映画クレヨンしんちゃんシリーズといえば、世界や人を支配しようといった単純な理由の悪役がよく登場するのですが、そんな中でも独特の手法を駆使するケンとチャコは異質な存在でした。そんな異質ぶりは、作中のあるシーンで描かれた計画の理由を語るシーンでも顕著になっています。
ケン「昔、外がこの町と同じ姿だった頃、人々は夢や希望に溢れていた。21世紀はあんなに輝いていたのに、今の日本に溢れているんおは汚い金と燃えないゴミぐらいだ。これが本当にあの21世紀なのか。」
チャコ「外の人たちは心が空っぽだから、モノで埋め合わせしているのよ。」「だから、いらないものばっかり作って、世界はどんどん醜くなっていく。」
ケン「もう一度、やり直さなければいけない。日本人がこの町の住人達のように、まだ心をもって生きていたあの頃まで戻って。」
この会話からケンとチャコは、日本の21世紀に希望が持てなくなり、20世紀に戻ろうとしていたことが伺えます。「あの頃はよかった。」なんて気持ちは多くの人が感じたことがある感情でしょう。
同じようなことを思ったことがあるからこそ、「イエスタデイ・ワンスモア」の計画はどこか共感できるものになっていて、一概な悪役として切り捨てられる存在ではありませんでした。
臭いという記憶を刺激するアイテム
そんな、ケンとチャコの思惑に、しんのすけの父であるひろしはハマってしまうのですが、しんのすけの機転によって、目を覚まします。ひろしは自分の靴のニオイを嗅がされて、自分の人生を思い出します。父に連れられた子供時代に始まり、学生生活を経て、就職し、妻みさえに出会い、結婚をし、子供が生まれ、そしてかつて父に連れられたように、しんのすけや家族と一緒に行動を共にしている。そんな自分の人生を思い出して、正気を取り戻します。
靴のニオイで正気を取り戻すというのがなんだか間抜けですが、科学的にも嗅覚と記憶は強く結びつく関係にあり、イエスタデイ・ワンスモアの計画も、しんのすけの機転も理に適っているというのが面白いところです。「あの頃はよかった。」とどうしても思ってしまう感情に抗う術として、今生きる自分のニオイが正気を保たせてくれるというのは象徴的です。
やはりこの映画において、今を生きるということの力が、どれだけ大きなものなのかを実感に変えさせてくれるシーンでした。
東京タワーを駆け上がる根性勝負
そして、映画のクライマックス。ケンは東京タワーの展望台階にある機械で、20世紀のにおいを世界にばら撒こうとしていることを野原一家に伝えます。あえて、不利になるような情報を教えるケンからは、今思うとどこか未来を奪うことへの罪悪感があったようにも感じられます。
ケンから計画を聞いた野原一家は、東京タワーを懸命に駆け上がります。追っ手を蹴散らし、一人、また一人と脱落していく野原一家。最後はしんのすけ一人が、エレベーターで後から颯爽と登っていくケンとチャコを自身の足で追いかけます。
結果的に展望台階に先に到着するのはケンとチャコだったのですが、しんのすけの懸命な姿を観た町の人たちが未来を生きることを望み、20世紀のにおいが薄くなっていくことを知り、敗北したことを知ります。
この決着の付け方も象徴的です。ただ野原一家が根性勝負で勝ったのではなく、その野原一家の姿が、町の人々の心を動かして、みんなが未来を生きることを選んだと言えます。
作品の印象にも影響を与えたしんのすけ
あの東京タワーを駆け上がるしんのすけが描かれた時、しんのすけが未来を生き続けるのは決まったといっても過言ではないのかもしれません。当時、クレヨンしんちゃんと言えばPTAが発表する「子供に見せたくない番組」の筆頭として上がっていた作品でした。
そんなクレヨンしんちゃんも『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』をきっかけに、大人も泣ける作品として名前が上がるようになり、この時期から決定的に評価が変わってきます。あのしんのすけの姿は、現実世界にも大きな影響を与えていたのです。
そんなしんのすけの姿を思うと、「クレヨンしんちゃん」という作品を、90年代の家庭の姿を描く作品として、永遠に時を止めたまま継続することはあってはいけないことに思えます。
たとえ年齢を重ねることはなくとも、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』で、しんのすけは未来を生き続けることを選んだ以上、いつまでも現代をベースにしんのすけを描いていく必要があるのです。
2020年代から見えるオトナ帝国の景色
そして2020年。オリンピックや大阪万博などかつての高度経済成長期を思い出させるようなイベントが目前となってきました。不景気が叫ばれて長いですが、かつての栄華を取り戻そうと国をあげて盛り上げようとする姿には、どこか「イエスタデイ・ワンスモア」のような危うさを感じる瞬間もあります。
我々も今を生きていることを忘れてはいけません。時には昔のことを思い出すことはあっても、最後は未来を見据えて、これからの日本を作って行かなければいけません。そんなことを改めて思わせてくれる『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』は、観るたびに背筋がぴんとなり、やはりいつ観ても色褪せない映画です。「イエスタデイ・ワンスモア」からみんなで勝ち取ったこの21世紀。単なるラッキーパンチで勝ち得たものではないと、ケンが納得できるような時代にしていきたいですね。
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※2020年5月21日時点の情報です。