みなさん、漫画家の吉野朔実先生はご存知でしょうか?映画の記事なのになぜ漫画家の名前が?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが実は吉野先生、大の映画好きで『こんな映画が、吉野朔実のシネマガイド』(2001年)、『シネコン111 吉野朔実のシネマガイド』(2007年)という2冊のシネマガイドを書かれています。
それも文章だけのシネマガイドではなく吉野先生の本業は漫画家ですから、もちろんイラスト付き。映画のワンシーンが吉野先生の手によって再現され、それが見事なまでに彩りを与えてくれているのです。
今回はこの2冊のシネマガイドを紹介しつつ、同時にその中から筆者がピックアップした映画も紹介したいと思います。
『こんな映画が、吉野朔実のシネマガイド』
『an・an』、『PECマガジン』などで連載したエッセイを一冊にしたもの。様々なジャンルの映画105本をイラストとともに紹介されています。カラーイラストあり、モノクロイラストあり、文章のみのページあり・・・いろんなテイストで楽しめる一冊。
文庫本サイズなので持ち運びやすいのも嬉しいですね。
フェティッシュ(1996年/原題:CURDLED)
故郷のコロンビアで殺人事件を目撃して以来、異常な程殺人事件に興味を抱いているガブリエラと世間を震え上がらせている連続殺人鬼“ブルー・ブラッド・キラー”の物語。
題材が題材なだけに血の量はわりと多めですが、全編ラテン・ミュージックのオンパレードで雰囲気が底抜けに明るいのが本作の特徴。おまけに主人公ガブリエラを演じたアンジェラ・ジョーンズがとても美しいので画面も華やかです。
このガブリエラ、見た目はエキゾチック美女なのに中身は少女のままで風船ガムをプクーっとする仕草もかわいいし、やたらと質問攻めなのも子供のようで愛らしさがあります。声もなんだか子供っぽい。
逆に連続殺人鬼を演じたウィリアム・ボールドウィンはタレ目の優男顔なのですが、とにかく気持ち悪い。温厚そうな顔だと逆に何を考えているのかが全く分からなくて怖いし、こういう人がいきなりキレたりするのが一番怖かったりするんですよね。
さて、そんな2人が出会ったらどうなるか・・・?殺人マニアと本物の殺人鬼が織り成す、妙な味のあるブラックコメディです。
Amazon Prime Videoで観る【30日間無料】マルコヴィッチの穴(1999年/原題:BEING JOHN MALKOVICH)
マルコヴィッチの穴。それは15分間だけ俳優ジョン・マルコヴィッチになれるという奇想天外な体験の入り口だった…。
これ、脚本を書いたチャーリー・カウフマンがマルコヴィッチになりたい願望から生まれた話だったりするの?と思ってしまうくらいには奇抜な作品。まずマルコヴィッチになれるという穴以前に7と2分の1階にあるオフィスからして普通の人では考えつかないでしょう。これはとんでもないカルト映画です。
マルコヴィッチだらけのシーンはもはやただの生き地獄で、これを観て喜ぶのはファンの人だけかも?色んな人々が脳内に居座ることとなった哀れなマルコヴィッチですが、こういう使われ方は俳優として一番嬉しいだろうなあとも思います。自分だったら誰になりたいだろう?と想像するのも楽しいですよね。
Amazon Prime Videoで観る【30日間無料】運動靴と赤い金魚(1997年/原題:BACHEHA-YE ASEMAN)
妹が大切に履いていた靴を無くしてしまったお兄ちゃん。家庭が貧しく、靴など買ってもらえる余裕はない。両親に怒られるのが嫌で代わりに自分の運動靴を妹に履かせることにしたものの、自分自身も学校に行かなければならないため妹が学校から帰ってきたら即座に靴を交換し猛ダッシュで学校へ向かう。妹も授業が終わると兄が待つ家に走って帰るが・・・。
小さな小さな貧しい兄妹の健気で無垢なやり取りに心を揺さぶられるイラン映画です。ちなみにイランでは女の子が午前中に学校へ、男の子は午後に学校へ行くらしいので、この靴交換という可愛らしくも切ないやり取りが実現しているのです。
全編を通してお兄ちゃんのボロボロになった運動靴がどんなに新しい靴よりも一番輝いて見えるのがとても印象的。やはり靴は誰かに履かれ続けてこそ光輝くものなのですね。
そしてハッピーエンドの有無をなんとなくぼかしているラストがまた何とも言えない深みを与えています。
Amazon Prime Videoで観る【30日間無料】6IXTYNIN9 シックスティナイン(1999年/原題:69)
不況によってリストラされたOLのティムは、ある日部屋の前に100万バーツ(恐らくかなりの大金)が入った段ボール箱を見つける。しかしその100万バーツは6号室に住むティムではなく、9号室の者へ宛てられたものであった。部屋番号6の数字がひっくり返り、9になっていたために間違えられたのだ。
こちらはなんとなく珍しい気がするタイ映画。
大金を取り戻そうと押しかけてくるムエタイヤクザをはじめ、警官、アパートの住人たちが立て続けにティムの部屋を訪れ、あれよあれよという間に死体の山が築き上げられていく。事態はどんどんまずくなる一方で、主人公のティムには悪いのですが、これがこの先どう展開していくのか全く想像がつかず面白い。 そして何より6と9の相互性が見事なぐらいに効いていて上手いなあと思わず唸ってしまうこと間違いなし。
それから近所のおばちゃんがナンプラーを切らして借りに来るのがいかにもタイというお国柄を表していて笑えます。日本だったらきっと醤油を借りに来るに違いない。
HEART ハート(1998年/原題:HEART)
心臓発作を起こし車椅子生活を余儀なくされたゲイリーは、心臓移植を決意する。ゲイリーに移植された心臓は、バイク事故に遭い脳死状態に陥っていた16歳の少年のものであった。やがてゲイリーは自分の中に別の誰かが存在していると感じ始め、心臓提供者である少年の母親マリアと接触するが・・・。
全身に返り血を浴び電車に乗る女性。カバンからは大量の血が滴り、手には血まみれの紙袋が握られていた。その中に入っているのは愛する息子の心臓・・・。
冒頭のこのショッキングなシーンが最後にきっちりと収束され、物語の全貌が明らかになる。心臓提供を許可したものの、その屈折した愛故に息子の心臓を取り返そうとする母親。一部分だけでも、息子は確かに他人の中で別の生を得て生きている・・・。
「そこに息づいている心臓は過去の写真でも記憶でもない血と肉を分け、私の子宮で育った息子の一部」 ああ、なんて悲しい話。
悲しい話なのに、背筋が凍りつくほどゾっとする終わり方とまるで氷を当てられているかのような冷ややかな雰囲気は最後まで一切薄れることはありません。臓器提供という実際に起こり得る出来事がそう感じさせているのかもしれません。
『シネコン111 吉野朔実のシネマガイド』
シネマガイド第2弾。『X-Knowledge HOME』、『My HOME+』などで連載した111作品を収録。こちらは全てイラスト付きとなっております。
これは前述した『こんな映画が、』にも言えることなのですが、吉野先生のシネマガイドはミニシアター系の作品を多く取り上げている点が非常に魅力的。もちろんハリウッド大作も忘れずにしっかり完備しているところはさすがですよね。
デブラ・ウィンガーを探して(2002年/原題:SEARCHING FOR DEBRA WINGER)
我々はなぜ犠牲を払いながらも創造するのか?
本作は女優ロザンナ・アークエットによるドキュメンタリー映画です。女優は家庭と仕事の両立が出来るのか?ということにフォーカスを当て、計34人の女優たちにロザンナが一対一で、または大人数で煙草を吹かし、酒を飲み、食っちゃべりながら会話をする。一対一の方が深い話は聞けそうですが、大人数でわいわいやっている姿の方が観ていて楽しいです。
映像に映る34人の飾らない女優たちの姿が本当に素敵。女優って大変だなあと思わせる苦労話もあれば、思わず吹いてしまう笑い話もある。そしてそこに映る彼女たちのサバサバとした明るさと力強さに思わず励まされるのです。
そう考えると悩んだり、行き詰まった時にちょっとだけ元気をもらえそうな気がする作品かもしれません。彼女たちのことを完全に女優として見てしまうと手の届かない存在になってしまうので、あくまで一人の人間として見ることが出来るのならば。
出演女優に関しては監督曰くそもそもこれは自分自身の旅でもあるそうなので、監督の好きな、または憧れの女優さんが多いのかなあ、という感じ。妹のパトリシアもちゃっかり出ているあたりなんかは微笑ましくなりました。お互い女優同士としてのやり取りと姉妹としてのやり取り、よかったです。
それと出演者全員がエンドクレジット用にミラーに紅い口紅で自分の名前を書き、キスマークをつけるという映像があるのですが、実はそこが一番印象に残っていたり。
それよりも、誰か作ってくれないでしょうか。『デブラ・ウィンガーを探して』の逆バージョンを。となるとデブラ・ウィンガーではなく一体誰を探すことになるのでしょうね。
マグダレンの祈り(2002年/原題:THE MAGDALENE SISTERS)
性的に“堕落 した”女性を更正させるための施設として、1996年に閉鎖されるまでアイルランドに実在していたマグダレン修道院。そこに多くの女性が監禁・虐待され、心を清める行い=洗濯を無給奉仕でさせられていた。そんな非人道的な施設が1996年まで実在していたという事実を描いた作品です。
本作の監督である俳優ピーター・マランはテレビドキュメンタリー『マグダレン修道院の真実』(DVDに特典収録されています)を見てその衝撃的な実態と犠牲の大きさを知り脚本を書き上げたと言っています。
性的に“堕落 した”女性とはレイプの被害者や未婚の母、あまりの美貌に男を魅了する者たちを指し、これだけの理由で強制的に修道院へ収容。女性に非は無いにしても罰を受けるのは女性だけです。
そんな過酷な環境を生き抜くため必死になって生きる彼女達の姿をしっかりと目に焼きつけて欲しい。脱走を試みて、失敗して鞭打ちの刑にされて、頭を丸刈りにされても彼女達の眼差しは決して光を失いはしない。生きて、生きて、生き抜いて、ここを出てやるという強い意志と不条理に決して屈しないその姿は本当に生きている。映像の中で生きているのです。
96年に全廃されるまで3万人の女性達が犠牲になったと言われています。そしてオープニング・タイトルとエンド・クレジットに載っているたくさんの名前。これはマグダレン修道院の墓地の墓碑からとった300名の方の名前だそうです。10代の頃に収容されて、そこで一生を終える女性もたくさんいたとのこと。彼女達が生きた証としてこの映画にその名前が永遠に消えることなく刻まれています。
ミトン(1967年/原題:MITTEN)
『チェブラーシカ』のロマン・カチャーノフによるパペット・アニメが収録された作品です。収録作品は『ミトン』、『ママ』、『レター』の3本。かわいらしいパペットたちがクルクルと動く姿は眺めているだけで楽しい。どの作品も心がほっこりすると同時に切なさも感じられる味わいになっています。
この3作品の中でのオススメはやはり表題作である『ミトン』。『ミトン』の主人公は犬を飼いたいとある女の子。母親に友達から貰ってきた子犬を飼いたいとお願いするのですが、母親の答えはNO。自分の赤いミトンを犬に見立てて、遊んでまわるようになります。このミトンでできた犬がとんでもなくかわいいのです。
筆者も子どもの頃、犬がどうしようもなく飼いたかったのでその時の気持ちが痛々しいほど鮮明に浮かんできました。動かないぬいぐるみを(水族館で買ってもらったクジラのぬいぐるみでした)、ペットがわりにして遊んでいたことも。クジラのクジちゃんとか、名前を付けたりなんかして。こういうエピソードは子供だった頃に誰しもが経験したことがあるのではないでしょうか。
ハックル(2002年/原題:HUKKLE)
ハンガリーの牧歌的な農村に鳴り響くおじいさんのハックル(しゃっくり)。おじいさんのハックルは一向に止まりません・・・というほのぼのとしたあらすじに対し、中身はとんでもないものが詰め込まれていました。
本作は台詞とBGMが一切使用されていないサイレント・ムービーなのですが、生々しい環境音だけが息づく中、どうやら村では何かが起きているらしい。ヒントとなるのは村の女性たちが持っている赤い×マークの付いた小瓶。それに反し村の男たちの人数は時間が進むにつれ段々と減っていく…。
さらに豚の睾丸のアップやのどかな農村の上をすっ飛んでゆく戦闘機、川底に沈む謎の死体といった映像がこの作品の持つ底知れぬ不安感に追い討ちをかけるのです。もしかしたらホラー映画よりも怖いかもしれない映画。のどかな農村の風景とそれに似つかない異様な雰囲気が共存し、そのアンバランスさが上手く溶け込んだ不気味な作品です。
ターネーション(2004年/原題:TARNATION)
“ターネーション”とは天罰、破滅、地獄に落ちる、永遠の断罪という意味を持つそうです。タイトルの意味を知るとかなり強烈ですが内容はもっと強烈。何故ならこれはジョナサン・カウエットという人間の人生、いや、魂そのものが納められたものだから。
これはジョナサンが11才の頃から撮りためたビデオや写真をiMovieを使って、わずか218ドルという低予算で自らが編集し、作りあげたドキュメンタリー作品です。
画面に映るのは離人症を患い、心と体が分裂状態にあるジョナサンの姿、時としてゲイとして生きるジョナサンの姿、そして昔は女優だったが事故によって今は精神を患う母親と息子の関係・・・。
自分の居場所を失い、消えてしまうことを恐れるかのようにありのままの自分をカメラやビデオの中で永遠に繋ぎ止め、全て晒け出す。
自分を他人に全て晒け出すということはなかなか出来ることではない。自分がしたことを後から見直すことは実はとても勇気がいることではないでしょうか。映像は常に強烈で痛々しくて、気持ち悪くて…。でもそこに映るジョナサンはとても美しい。
映画に貴賎はない
『こんな映画が、』の冒頭で吉野先生はこう語っています。
映画に貴賤はありません。ハリウッドだろうがフランスだろうがイギリスだろうが何でもいい。インドにアラブに中華に北欧、何処の国のものでもオッケーです。
(中略)
また年齢制限も性差別もしていません。主人公は子供でも大人でもじじばばでも、男でも女でもゲイでも動物でもかまわない。
映画に貴賎はない、と断言するその視線そのものが直球かつ優しい文章を紡ぎだす。眺めているだけでも楽しいイラストももちろん魅力的ですが、決して飾ることのないナチュラルなその文章には先生の人柄が反映されているようです。きっとこの人は映画を心から愛している人なのだと。
蛇足になりますが、その他にも『中欧世紀末読本』(別冊宝島WT)では『ひなぎく』、『存在の耐えられない軽さ』、『スイート・スイート・ビレッジ』などチェコ・スロヴァキアに関連する映画を、『もっと賢くワインを飲みたい!』(別冊宝島)では『ミザリー』、『バベットの晩餐会』、『そして船は行く』などワインが出てくる映画を紹介されています。こちらもぜひチェックしてみて下さい。
※2022年9月29日時点のVOD配信情報です。