突然、愛する人(愛していた人)を失くした人々は、どんな感情になり、何を思い、どう生きていくのか。
生きることをもう一度やり直す男の物語に、我々は映画の骨頂を見ることになる。西川美和は、世界の映画界に絶対的に必要だと再認識させられる。そんな彼女の最新作『永い言い訳』の魅力を紹介したい。
妻が亡くなる、そこから永い永い言い訳が始まる。
人気小説家の津村啓、本名 衣笠幸夫(本木雅弘)は美容師である妻 夏子(深津絵里)に髪を切ってもらい、旅行へ行く彼女を見送る。その晩、別の女を激しく抱いて翌朝起きたら、夏子が死んだと連絡を受ける。
どうしても救いようのない男の生活、彼の妻となった女の死、そこまで淡々と見せつけられ『永い言い訳』とタイトルが登場。つまり我々は幸夫の言い訳を映画館で見て、2時間もの間、答えのない問題に頭を悩ませるのだ。
子供というキーワード
私も映画を作るものだが、ここ数年は子供たちを描くことに力を注いでいる。子供というのは映画の中に「大人では見つけ出せない、あまりにも不思議な発見」をもたらしてくれたり、守るべきものという印象を強く与える。
本作では幸夫の妻、夏子と共に旅行に行き、命を落としてしまった ゆき(堀内敬子)の夫、陽一(竹原ピストル)と幸夫が一緒に食事に行くシーンがある。
陽一の留守中に彼の子供たちの面倒を幸夫が見るということになり、子供たちのシーンで溢れることになる。
その子供たちを演じた2人の子役たちが、素晴らしかった。
真平役=藤田健心
陽一の長男役を演じる。彼が演じた真平は、長男である=強くなくてはいけないという感情を持っている。母親の死に悲しむ様子も見せず、陽一の留守中は妹の面倒をみるとか、しっかり勉強するとか、料理を作るとか、大宮家の母親役を一手に引き受けている。
彼の中にある、本当はどうしたいという感情と、長男としての強さ、心も体も変わる時期、この難役を見事に演じきった。
灯役=白鳥玉季
真平の妹を演じる。彼女が演じた灯もまた、悲しさを胸の内に秘めている。アニメが好きで、カレーが好き。そして何よりもお父さんとお兄ちゃんが好き。だけど、嫌いなところもある。素直で、真っ直ぐで、その感情をコントロールしているようで、だけど全面に出し切ってしまい、お兄ちゃんと喧嘩する。
この子のお陰で、我々は一番安心感を得られたかもしれない。なぜなら、彼女は特に「自然体」であり、この映画の苦しさや悲しさを跳ね除ける笑顔、声、瞳をしている。
西川美和、小説家、映画監督。
原作「永い言い訳」を読んだ時、「この本は今年ナンバーワンだ」と思い、感情の高ぶりを様々な人にメールやFAXで送ったことを覚えている。一言で言うならば言葉がうますぎると感じた。この作品の映画化が決まったと知った時は、本当に嬉しかった。
映画を作るために脚本があり、その脚本家と監督は違う人が務める場合もあれば、脚本家と原作者が違う場合もある。
本作はそれらを西川美和が1人で担当した作品だ。原作、脚本、監督というものを1人の方が行うことは、ある意味とても効率的で、非効率的なのかもしれない。原作を書いた人が、それをもう一度映画の土台となる脚本に変身させる時、どんな感情なのか、想像するとその楽しさと辛さは計り知れない。
私の中で西川美和監督は映画と文字の天才であると思っており、過去に出版された「きのうの神さま」に出会った時、あまりの素晴らしさにしばらく熱が冷めなかったことも記憶に新しい。
初めて出会ったのは『ゆれる』をレンタルで拝見したとき。見終わった後の感情は、憎しみ、怒り、そんな類のもので、でも一瞬の光があったことを忘れない。あの一瞬の光に希望を感じ、生きて行くのだと10代だった私の心を強く揺さぶられた。
生きる強さと弱さ
大切な人が亡くなったら、どうすればいいのか? 泣けばいいのか、狂えばいいのか、笑えばいいのか、分からない。それが真実だと私は思う。例えば身内の死に涙を流さない人を他人は、冷たいやつだと言うだろう。しかし、人の悲しみなんて、誰にも決められない。
本作に登場する幸夫と真平は、劇中で唯一「大切な人が死んで泣かなかった」という言葉で明確に描かれる。幸夫と真平の出会いは、そんな大切な人の死を忘れるためのものだったのか。
私は、この映画でこの2人の関係が最も記憶に残った。彼らは互いを「真平くん!」「幸夫くん!」と呼び合う仲だ。2人とも妻が、母が死んでも泣かなかった。
劇場で是非、大切な人を突然失った彼らの生きる強さと弱さを見て欲しい。幸夫に訪れる突然の妻の死と、突然の子育て。求められる自分、子供たちから必要とされなくなったときのジェラシー。そしてもう一度、妻を愛する。
この映画は、愛の映画だ。
(C)2016「永い言い訳」製作委員会