今月、10月15日に公開になった『何者』。
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直木賞を受賞した朝井リョウ原作の同名小説を元にした作品である。
小説家・朝井リョウと言えば、『桐島、部活やめるってよ』でのデビューが記憶に新しい。こちらは学校の中でのそれぞれの立ち位置や役割、心理描写などが鮮やかな作品だったが、本作品『何者』では、就職活動に奮闘し頭を抱える大学生の男女5人が主人公だ。これを、今人気も実力も確かとする俳優たちが演じている。
物語の主観となる主人公は佐藤健演じる、真面目な大学生、二宮拓人(タクト)。就職活動を始める前は演劇に没頭し脚本を書いたり稽古に明け暮れる日々を過ごす。作品を一緒に作っていた友人は演劇一本で暮らす人生を選択したのに対し、タクトは就職活動を始め会社員になることを選択する。
そんなタクトとルームシェアで同じ部屋に暮らすのが、今回スポットを当てたい神谷光太郎(コータロー)だ。ノリがよく誰とでもすぐに打ち解ける才能を持ち、自身が組むバンドでもヴォーカルを務める所謂”軽い”天真爛漫な大学生を菅田将暉が演じた。
コータローが見せる「あざとさ」「ズルさ」とは?
タクトが部屋に帰ると、茶色く明るかった髪を黒に染めたコータローが風呂から上がり出てくる。バンドも引退したし、真面目に就職活動がんばる!と宣言し、色々教えて欲しいと、就活の先輩であるタクトにお願いするのだ。
コータローはその人懐っこさが売りだ。大学に入ってすぐの飲み会で場を盛り上げ、タクトや有村架純演じる田名部瑞月(ミズキ)に声をかけすぐに打ち解ける。少し高すぎるくらいのテンション。何も考えていなさそうな軽い言動。街でやたらと騒ぐ大学生を見かけたりすると、思い浮かべるのはコータローのような人物像ではないだろうか。
深刻さを欠いて生きるのは、時にズルくもある。自分の考えや思いを生のまま外に出すのは誰にでも抵抗があるからだ。取り繕い、笑うのは楽ではないかもしれないけれど、「あいつはああだから」と言わせてしまえれば勝ちかもしれない。コータローにはそんなズルさがある。
ミズキとの関係性も、就職活動が誰よりも順調に進むのもタクトにとっては嫌味でしかない。けれどそれを責める綻びも見つからない。女性のような綺麗な顔面で大きく口を開けてにかっと笑い、お願いしたり謝ったりすることで相手に何も言わせなくさせてしまうのは間違いなくズルい。
少し甘えたような表情は、あざといくらいだ。コータローはあの笑顔で誰にも破れない鉄壁を作りあげている。
「現実」と「ネット」の中の自分
本作品で重きを置かれるのが、現代では当たり前に日常の一部となったSNSでの発信。
タクトは、一緒に住むコータローや、周りにいる人間のTwitterのツイートをチェックし、呟きからその人間性や考えを分析している。そして就職活動に対し感じたことや、経験を重ねるごとに得た知識を呟いている。
コータローは、Twitter上でも明るいキャラクターを壊さない。自意識をひけらかしたりもしないし、あえて自分からSNSと距離を置くようにしている印象も受ける。承認欲求に関しても、あまり人付き合いに悩んだことがない彼故か、他のキャラクターよりも執着がない。
タクトとコータローの部屋の上に住む就活生の小早川里香(リカ)もまた、初めの登場シーンから強烈な雰囲気を醸し出す。二階堂ふみのハスキー気味の声が、明るく仕切り屋なだけでは無い彼女の性格を表すようだ。
巷で言う「意識高い系」代表のような女子大生だが、彼女の少し行き過ぎたSNSの使い方にコータローは度々嫌悪を示す。そんなコータローの意見も含め、あくまで客観的に見ているスタンスを崩さないタクトの表情が印象的だ。
たった140文字で人間性や考えを知るのは無理なはずなのに、そのたった140文字に含まれる”何か”が強い意思を持つことに気付いているから、私たちはそれを自分の分身のように発信し続けるのかもしれない。
フォロワーの数や「いいね!」の数は、自分自身が肯定されている数のような気分にさせる。またSNSは、現実世界では思っていても言えないことを吐き出す場所にはふさわしい。その魔力に依存し取り付かれてしまうのはもはや自然なことだ。でもそれだけになってはいけないと思う。
現実で人に気を使い疲れてしまう自分も大事にしたい。相手とぶつかることを避けてネットの中だけで生きていても、”何者”にもなれないことを改めて突きつけられる。
ゾクゾク冷や汗が出るような登場人物のリアルな描写
本作品の最大の魅力は絶妙な”リアル”にある。登場人物どのキャラクターをとっても、「こういう奴いる!」と思わず知っている誰かを思い浮かべてしまいそうなほどだ。
オシャレすぎる生活やファッションで周りを固め、就職活動をバカにしながら自分は人とは違いますオーラを漂わすリカの彼氏、宮本隆良(タカヨシ)なんかは特に分かりやすい。長すぎる前髪、おしゃれ眼鏡、人を小馬鹿にしたような目線。演じる岡田将生にぴったりはまり、彼の新しい役者としての一面に出会える。
画面いっぱいに映るTwitterの呟きは、アイコンや@以降のIDまで、どこかでタカヨシに出会ったことがありそうな気がするほどに細かい設定だ。就職活動なんかや世代ごとに行き当たる問題に自分から距離を置いていた私にとっては、目を背けたくなるようなキャラクターだった。
他にも、タクトがテーブルの上で食べ頃を待つカップラーメンの蓋の上にスマートフォンを伏せて置く場面や、コータローの無造作で毛先の傷んだ髪型、ミズキがあえてコータローではなくタクトに電話をかけるシーンなど緻密に作られた現実感がひどく痛い。演出だとは分かっていながら、誰にも見られたくない自分を見られたような気にさせられてしまう。
そんな中、山田孝之演じるタクトの先輩は時代に流されず地にしっかり根を生やし生きている印象を受けるが、彼の発する一言一言はタクトだけではなくこちらまでピリピリと痺れさせる。姿勢のよい後ろ姿が少し憎たらしいくらいに。
そしてコータローの鉄壁は崩れないように思われたが、ひどく酔った日にタクトに本音を漏らすシーンには唾を飲む。まるで自分がタクト自身になったかのような錯覚を覚え、ナイフを一突きで刺されたように心臓が轟いた。しかし、あのコータローの言葉も計算し尽くしたものではなかったのか。全てを知っている故の言葉だったとしたら・・・。
そこから作品はガラッと纏う雰囲気を変える。結末まで一気に走り出し、観る者がどこかで恐れていた不安や身に覚えのある罪悪感などをかき乱していく。さすが劇作家でもある三浦大輔監督ならではの演出に、ラストには長い戯曲を読み終えたかのような充足感を得た。
『何者』かであることへの執着
全く違う5人の言動や思惑や、仲間やライバルに対する妬みや嫉み。どの人物にも、自分と重なる部分があるから面白い。誰のことも理解できるし、したくもない。
登場人物の彼らと同じくらいの歳頃にこの作品を観ていたら、と考えると恐ろしくなる。それほどに人間の真理を突いた絶妙な演出や描写が素晴らしい。見逃すにはもったいない。本当の自分なんて、環境や状況によっても変わってくる。それでも「誰か」でいたい。「何者」かでいたい。不確かではなく確かなものを求めてしまう。きっとそれはいくつ歳を重ねても変わらないのではないだろうか。
本作は至極のエンターテイメントだ。是非劇場に足を運び、肌で感じて欲しい。
(C)2016映画「何者」製作委員会 (C)2012 朝井リョウ/新潮社
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※2021年3月8日時点のVOD配信情報です。