宮崎駿が長編映画からの引退を宣言した2013年以降、アニメーション界は“ポスト宮崎”の座を巡って、群雄割拠の様相を呈しています。『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明、『バケモノの子』の細田守、『君の名は。』の新海誠…。
しかし長い沈黙を守ってきた本家本元・宮崎駿が、11月に放送されたNHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」で、まさかの長編アニメーションへの復帰発言! 第一線から離れ、ほぼ趣味のようなかたちで短編アニメをつくっていた彼が、なぜここにきて長編への復帰を決意したのでしょうか。
過去のフィルモグラフィーや発言から、その真意を探っていきましょう。
創作の原動力、それは“狂気”にも似た執念
そもそも宮崎駿が引退発言に至った理由は、「残り時間が少ない」ことにありました。
70歳を過ぎて体力の衰えを感じ、自らを自虐的に“老害”と呼ぶようになった彼は、「製作途中にバッタリ倒れて、周りに迷惑をかけるくらいなら…」と、身を引く覚悟を決めたのです。
ところが、テレビ番組の中でこんな発言をしました。
「何もやってないで死ぬより、やっている最中に死んだほうがまだましだ」
周りに迷惑をかけようがかけまいが、関係ない! 作りたいアニメをただ作りたいだけ! 「創作意欲、今なお衰えを知らず」というありきたりの言葉では片付けられない、クリエイターとしての性(さが)を感じずにはいられません。
2013年に『夢と狂気の王国』というスタジオジブリのドキュメンタリーが公開されましたが、まさに狂気にも似た執念です。
悪い言い方をすれば、これは「人が迷惑をかけようがかけまいが関係ない! 俺の芸術道を突き進むぜ!」というエゴイスティックな芸術至上主義。思えば、『風立ちぬ』がそういう映画でした。
主人公の堀越二郎は子供のころから飛行機に憧れ、「美しいものを作りたい」という無垢な気持ちから零戦を開発します。「太平洋戦争で零戦がどれだけの人命を奪ったのか?」という人道的立場からの批判なんぞ、どこ吹く風。芸術とは善悪の彼岸を超えたものであり、芸術家とはそういう罪深い存在なのだ、という表明です。
堀越二郎役に庵野秀明をキャスティングしたことからも、主人公が宮崎駿自身であることに疑いの余地はありません。
筆者がこの映画を観たとき、まっさきに思い出したのが芥川龍之介の短編小説「地獄変」でした。地獄変の屏風絵を描くように命じられた天才絵仏師が、牛車の中で焼け死ぬ女の姿をリアルに描くために、自分の娘を車に押し込んで火をかける、という凄まじい話です。
芸術至上主義を掲げ、芸術のために生き、芸術のために死ぬ。筆者の目には、その姿が宮崎駿に重なるのです。
『千と千尋の神隠し』に見る宮崎駿の“労働観”
もうひとつ、興味深いエピソードがあります。『風立ちぬ』の製作に追われていた2011年に東日本大震災が発生し、スタジオジブリは一時的に製作をストップしました。その対応に宮崎駿が激怒し、どんな事態に見舞われようとも我々は作り続けなければならないのだ、と一喝したのです。
単なるワーカホリックの発言ではありません。「生きること」と「つくること(働くこと)」は同義なのだという、彼の偽らざる想いなのではないでしょうか。
そんな宮崎駿の“労働観”は、彼の代表作『千と千尋の神隠し』に如実に表れています。
神々の世界へ迷い込んでしまった10歳の少女・千尋は、湯婆婆という魔女から名前をとりあげられます。名前を失い、仕事をしないと動物に変えられてしまうというこの世界のなかで、彼女は湯屋で働き始め、“千”という名前を得るのです。
名前とは自分を自分たらしめるアイデンティティー。それは労働によってでしか得られないと言っている訳で、まさに宮崎駿の“労働観”そのものではないでしょうか。
そう考えると、職についている訳でもなく、欲望にただ身を任せている“カオナシ”が何を指し示しているかは、推して知るべし、というところでしょう。
狂気にとらわれたもう一人の天才、手塚治虫
「生きることは、つくること」。狂気にも似た想いが、宮崎駿の圧倒的な創作活動の質と量を保証してきました。もうひとり、そんな狂気にとらわれた天才クリエイターがいます。
手塚治虫です。
手塚治虫の偉大さについて、今さら説明する必要はないでしょう。「鉄腕アトム」、「火の鳥」、「ジャングル大帝」、「ブラック・ジャック」など、60年の生涯であらゆるジャンルの傑作漫画を次々に世に送り出し、マンガの神様とまで称されました。
彼の戦争中の体験をもとに描いた自伝的漫画「紙の砦」という作品のなかで、動員された工場にも行かず、ただただ家でマンガを描くことに明け暮れていたというエピソードがあります。
それ自体、創作という狂気にとりつかれた行動ですが、どうやらこのエピソードは実体験に基づくものだったようです。つまり手塚治虫にとって、マンガを描くこと自体が生きるうえでの最優先事項であり、まさに「生きることは、つくること」だったのです。
手塚治虫は病床にあってもマンガを描き続け、最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」だったといわれています。そう考えると、同じ狂気にとらわれた宮崎駿が引退するなど考えられないこと。むしろ引退宣言撤回は自明のことなのです。
“宮崎駿の新作アニメーション”は、本当に生まれるのか
テレビ番組で、宮崎駿は鈴木敏夫プロデューサーに長編アニメの企画書を渡したあと、「鈴木さん、この映画を作るために金を掻き集めてください!」と言い放ちます。
しかし実際には、宮崎駿の復帰にはいくつものハードルが待ち受けています。宮崎監督の引退に伴い、スタジオジブリは制作部門の廃止を決定し、アニメーターを一斉整理してしまいました。優れたスタッフを改めて呼び寄せるのは困難でしょう。
体力的な問題もあります。企画書には2019年に公開という仮スケジュールが組まれていましたが、その頃には宮崎駿は御年78歳。これまで以上に製作が滞る危険性があります。
最大の問題は、宮崎駿が晩節を汚さない作品を世に送り出せるのかどうか、です。鈴木敏夫が悪戯っぽく「宮さんが死んだらお客が入るんでしょうけどね」と語っていましたが、それなりの企画でなければプロデューサーも「GO」のサインを出せないでしょう。
しかし宮崎駿はそんな悪条件を全て承知のうえで、長編アニメへの挑戦を公言したのです。“宮崎駿の新作アニメーション”は、本当に生まれるのか?期待をもって、続報を待ちましょう。