【ネタバレ解説】映画『ボヘミアン・ラプソディ』映画のテーマ、エンド・クレジットの仕掛けを徹底考察

ポップカルチャー系ライター

竹島ルイ

世界を熱狂の渦に巻き込んだ伝説のロック・バンド、クイーン。そのフロントマン、フレディ・マーキュリーの波乱の人生を数々のヒット・ナンバーと共に描いたのが、『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)だ。

全世界で9億ドルの興行収入を記録し、第91回アカデミー賞では主演男優賞ほか4部門を受賞。問答無用の大ヒット映画である。映画好きでコレ観ていない人、いないですよね? っていうかたぶん、全人類が観てますよね? という訳で今回は、みんな大好き『ボヘミアン・ラプソディ』についてネタバレ解説していきましょう。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)あらすじ

バンド「スマイル」に加入した青年ファルーク・バルサラ。彼は圧倒的な歌声とソングライティング能力で、バンドの中枢メンバーとなる。やがて彼はフレディ・マーキュリーと名乗り、バンド名も「クイーン」に変更。バンドは一気にスターダムを駆けていくが、次第にフレディは自分のセクシャリティに気づいていく……。

※以下、映画『ボヘミアン・ラプソディ』のネタバレを含みます。

フレディ・マーキュリーを演じるはずだったサシャ・バロン・コーエン

そもそも『ボヘミアン・ラプソディ』の企画は、クイーンのオリジナル・メンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーがプロデュースする形で始動した。当初フレディ・マーキュリー役として考えられていたのは、サシャ・バロン・コーエン。『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』(2006)や、『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』(2012)など、不謹慎すぎる暴走作(褒めてます)を手がけてきたコメディアンである。

しかしブライアン・メイは、サシャ・バロン・コーエンがコメディ俳優としてアクが強すぎるのではないか、と考えていた。彼がフレディ・マーキュリーを演じる『ボヘミアン・ラプソディ』なんて、ネジが2、3本外れた作品にしかならないのではないか? 結局サシャ・バロン・コーエンは、このプロジェクトから外されることになる。

インタビュアー:もしサシャ・バロン・コーエンが主役のままだったら、ラミ・マレックを発見することはできなかったですね?

ブライアン・メイ:大失敗になるところだったよね。俺たちはギリギリのところで、それが災難であることに気づいたんだ。それを理解するのに、ロケット科学は必要なかったよ。

(loudersound.comのブライアン・メイのインタビューより抜粋)

ご存知の通り、フレディ・マーキュリー役を射止めたのはラミ・マレック。プロデューサーがテレビドラマ『MR. ROBOT/ミスター・ロボット』(2015〜2019)における彼の演技を気に入ったことがキッカケだった。しかしラミ・マレックがフレディ役を演じることになったとき、彼はクイーンについて何の知識も持っていなかったという。

ラミ・マレックはまず、ムーブメント・コーチのポリー・ベネットと協力して、フレディ・マーキュリーの“動き”を徹底的に研究。マイクの持ち方からティーカップを手に取る仕草まで、細かい動作を入念に体に染み込ませていった。特別な義歯を装着して、見た目もフレディに近づけていく。その圧倒的な演技で、彼はアカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞する。

だが個人的には、今でもサシャ・バロン・コーエン演じるフレディ・マーキュリーが観たかった……と思っている次第です。

素行の悪さでクビとなった、監督ブライアン・シンガー

監督には、『グリフターズ/詐欺師たち』(1990)や『ハイ・フィデリティ』(2000)で知られるスティーブン・フリアーズが就任した。だが、演出方法をめぐってブライアン・メイ&ロジャー・テイラーとの間に軋轢が生じてしまい、フリアーズはあっさり降板。『ユージュアル・サスペクツ』(1995)や『X-メン』(2000)など、数多くのヒット作を手がけてきたブライアン・シンガーにお鉢が回ってくる。バイセクシャルであることを公言している彼ならば、フレディ・マーキュリーのセクシャリティを丁寧に描けるだろう、というスタジオ側の計算もあったに違いない。

だが、そのブライアン・シンガーが大問題だった。遅刻は日常茶飯事、現場をすっぽかすこともしばしば。主演のラミ・マレックをはじめ、キャストやスタッフとの確執も絶えなかった。決定的だったのは、感謝祭(サンクスギビング)の休暇が終わった後も、3日間連続で撮影に戻らなかったこと。急遽、撮影監督のニュートン・トーマス・サイジェルが代理で監督を務めるハメに。ブライアン・シンガーは「家族に問題が起きたため」と釈明したが、堪忍袋の緒が切れた20世紀フォックスは彼の解雇を決定する。

撮影はまだ2週間残っていた。後任の監督としてリドリー・スコットが打診されたこともあったが、最終的にデクスター・フレッチャーが新しい監督に就任する。元々俳優だった彼は、テレビドラマの『バンド・オブ・ブラザース』(2001)でラミ・マレックと、ジョン・ディーコン役のジョセフ・マゼロとは『ザ・パシフィック』(2010)で共演経験があった。キャストと気心が知れた仲の彼ならば、荒れに荒れてしまった撮影現場を、正常な状態に戻してくれるだろう……。スタジオ側は、そう考えたのだ。

デクスター・フレッチャーは精力的に働き、16日間の撮影を指揮する。ポスト・プロダクションでも事細かにチェックを行った。彼の貢献なくして、『ボヘミアン・ラプソディ』の完成はなかっただろう。……余談だが、その後フレッチャーはエルトン・ジョンの伝記映画『ロケットマン』(2019)を監督。2作続いて、セクシャリティに苦悩するミュージシャンの映画を撮ったことになる。ハイ、これ試験に出るトコです。

結局この映画は、ブライアン・シンガー、ニュートン・トーマス・サイジェル、デクスター・フレッチャーと、3人もの監督がコロコロ入れ替わることになった。全米監督協会(DGA)の規定によって、最も多くのパートの撮影に関与したブライアン・シンガーが監督としてクレジットされることになったが、数々のトラブルが災いして映画祭の監督賞にはノミネートされず。さらに、当時17歳だった少年に性的暴行を行った容疑で訴訟を起こされてしまい、今やハリウッドでは完全に干されている状態である。

本当の家族と疑似家族から離れ、また再帰するまでの物語

よくよく考えてみると不思議なのだが、『ボヘミアン・ラプソディ』には、クイーン以外のミュージシャンやバンドがいっさい登場しない。例えば、フレディ・マーキュリーとデヴィッド・ボウイは良き友人だった。クイーンのスタジオの近くに自宅を構えていたボウイが、レコーディング中の彼らを訪ねたときに出来たナンバーが、「アンダー・プレッシャー」。映画でもこの曲が流れるにも関わらず、そのことは完全スルー。

クイーンが初めてのアメリカ・ツアーに出かけるシーンで、高速道路を走るツアーバスの前方に別のバスが一瞬映るが、これに乗車していたのはモット・ザ・フープルだった。クイーンは、彼らのサポートアクトを務めていたのである。でもその説明も一切ナシ。クライマックスのライヴ・エイドでも、スティング、フィル・コリンズ、U2、デヴィッド・ボウイ、ザ・フー 、エルトン・ジョン、ワム! 、ポール・マッカートニーといった超豪華ミュージシャンが集結しているにも関わらず、彼らとの交流はぜーんぜん描かれない。

おそらくその理由は、余計なエピソードを挟んでしまうと、この映画のテーマがブレてしまうからだろう。“2つの家族の物語”というテーマが。『ボヘミアン・ラプソディ』は、単なるクイーンの伝記映画ではない。

フレディは、何よりも自分から逃れたかった。父ボミの説明によれば、彼の祖先はムスリムに迫害され、ペルシャからインドへと渡っている。そしてイギリスの保護国だったザンジバル島(現タンザニア)で生を受けた彼は、ファルーク・バルサラと名付けられて育った。やがてイギリスにやってきたものの、激しい人種差別を受けて彼の心は大きく傷つく。彼の人生は迫害の歴史だったのである。

映画のなかで、彼は突然「ハッピー・バースデイ・トゥ・ミー」を歌い出し、これからはファルーク・バルサラではなくフレディ・マーキュリーとして生きていくことを宣言する。それはかつての自分との決別であると同時に、家族との決別でもあった。彼にとって“フレディ・マーキュリー”とは、理想の自分で本当の自分を覆い隠す仮面だったのだろう。実際、恋人のメアリーから「大勢の前で歌う気分はどう?」と聞かれると、こんな風に答えている。

なりたいと思っていた人間になれる。何も怖くない。

そう考えると、フレディ・マーキュリーの容姿がどんどん変化していくのは、本当の自分からどんどん距離を置きたかったからのように思える。そして彼は、もう一つの家族……クイーンからも独立し、ソロで活動することを宣言。莫大な契約料で、巨万の富が転がり込む。人生バラ色状態だが、仲間からは疎まれ、家族とも疎遠状態。彼は孤独を募らせ、全てに絶望していく。

自分が間違っていたことを悟ったフレディは、二つの家族の元へ戻ることを決意。まず彼は、反目していた父親にこう語りかける。

(ライヴ・エイドで)アフリカの子供たちを救う。誰も出演料はとらない。“善き思い 善き言葉 善き行い”だ。父さんの教えと同じ。

ライヴ・エイドの出演自体が、父親との和解の第一歩だったのだ。そしてクイーン復帰の仲裁をマネージャーに依頼するシーンで、彼はこんな言葉を語る。

実は母船に戻りたいんだ。(中略)俺たちは家族。家族だったら、ケンカもする。

かくしてフレディ・マーキュリーは、“母船”に帰還。この映画は、自分のエゴによって本当の家族(バルサラ一家)と、疑似家族(クイーン)から離れ、また再帰するまでの物語なのだ。

ショウ・マスト・ゴー・オン〜ショウは続く〜

ボヘミアン・ラプソディ』のクライマックス、ライヴ・エイドでのパフォーマンスが、この映画最大のハイライトであることに異論の余地はないだろう。だが、筆者が本当の意味で感動したのは、映画が終わった後のエンド・クレジット。軽快な「ドント・ストップ・ミー・ナウ」を聴きながら、この作品を締めくくるのにピッタリだなーと思っていたら、最後の最後で「ショウ・マスト・ゴー・オン」が流れてきたのである。

フレディ存命時のラストアルバム「Innuendo」に収録されたこのバラードは、ロジャー・テイラーとジョン・ディーコンがつくったコード進行を基にして、ブライアン・メイとフレディ・マーキュリーがメロディーを付け、歌詞を書いたという。正真正銘、4人の合作による作品なのだ。

映画には、使用されたナンバーとともに作者の名前も映し出される。「Written by Freddie Mercury」、「Written by Brian May」など、ほぼ単独名義のナンバーが占めるなか、一番最後に「Written by Hohn Deacon、Brian May、Freddie Mercury、Rodger Taylor」の4人の連名が登場するのだ。これぞ、クイーンが名実ともにファミリーとなった瞬間ではないか?コレには泣かされる。

「ショウ・マスト・ゴー・オン」がシングルとしてリリースされてからほどなくして、フレディはこの世を去った。しかし、ボーカルにアダム・ランバートを迎えて、今でもクイーンは現役のバンドであり続けている。まさしく、ショウ・マスト・ゴー・オン(ショウは続く)。僕らはまだまだ、ロック界の「伝説のチャンピオン」を観続けることができる。

 

(C)2018 Twentieth Century Fox

※2023年4月21日時点の情報です。

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