【ネタバレ解説】映画『マトリックス レザレクションズ』が究極のプライベート・フィルムである理由とは?

ヒットガールに蹴られたい

竹島ルイ

映画『マトリックス レザレクションズ』をネタバレありで徹底解説!

20世紀末に公開されたSF映画の金字塔、『マトリックス』(1999)。続く『マトリックス リローデッド』(2003)、『マトリックス レボリューションズ』(2003)の3部作でシリーズは大団円を迎えたが、このたび18年ぶりとなる新作『マトリックス レザレクションズ』が公開された。

主演にはキアヌ・リーブス、キャリー=アン・モスが続投するほか、シリーズの生みの親であるラナ・ウォシャウスキーが製作・監督・脚本を務め、新しい『マトリックス』を蘇らせている。

しかしこの作品、なかなか一筋縄ではいかない“クセの強い”一作。という訳で今回は、『マトリックス レザレクションズ』をネタバレ解説していきましょう。

映画『マトリックス レザレクションズ』あらすじ

エージェント・スミスとの戦いで命を落としたネオは、機械によって蘇生され、再び仮想現実=マトリックスの空間に繋がれていた。世界的ゲーム・デザイナーのトーマス・A・アンダーソンとして、単調な日々を送る日々。そんなある日、彼の目の前にモーフィアスと名乗る男が現れる……。

※以下、これまでの映画「マトリックス」シリーズ、及び『マトリックス レザレクションズ』のネタバレを含みます。

シリーズ史上、最も“ロックでパンク”な映画

まずは時計の針を1999年に戻してみよう。20世紀の終わりに当たるこの年は、“人類が滅亡する”というノストラダムスの大予言が世間を賑わし、“コンピュータが誤作動する”と社会不安が囁かれた2000年問題を翌年に控え、鬱屈とした世紀末感が漂っていた。

そんなとき、ラナ&リリー・ウォシャウスキー姉妹(当時はラリー&アンディ・ウォシャウスキー兄弟)が、ジャン・ボードリヤールの著書「シミュラークルとシミュレーション」を手掛かりにして、「我々が生きているこの世界は、コンピュータによって作られた仮想現実である」という、世紀末にふさわしいディストピアSF映画『マトリックス』を世に放つ。ハリウッド映画ではまだ馴染みのなかったワイヤー・アクションや、複数のカメラが被写体を取り囲んで連続撮影するバレットタイムなど、視覚的な驚きに満ちたこの作品に世界は衝撃を受けた。

今見返してみても、『マトリックス』はとってもロックでパンクな映画である。我々大衆は鎖に繋がれた無知蒙昧な存在に成り下がっている!今のシステム=体制から脱却せよ!尾崎豊が「この支配からの卒業〜」と歌っているかのような(多分違うけど)、アジテート・ムービーなのだ。「ニューロマンサー」で知られるSF作家、ウィリアム・ギブスンのコメントを抜粋してみよう。

「ぼくの解釈によると、『マトリックス』は、精神の目覚めをテーマにした映画である。この映画は、もっと意識を高めること、もっと現実を問い直す勇気を持つことが、ほかならぬその(そして究極的に最高の)報酬だと教えてくれる」
(映画パンフレット ウィリアム・ギブスンのインタビューより抜粋)

『マトリックス』は、「機械による支配に対して、人類が蜂起する」という“革命”について描いた映画だ。ウォシャウスキー姉妹は後年、アラン・ムーアとデヴィッド・ロイドのグラフィックノベルを映画化した『Vフォー・ヴェンデッタ』(2005)を発表しているが、この作品もまた「徹底した管理社会体制を敷くイングランド国家に対して、市民が蜂起する」という革命映画。ウォシャウスキー姉妹の真骨頂は、反体制をストレートに叫ぶパンク精神にある。だからこそ、公開当時に劇場に足を運んだ直撃世代は『マトリックス』にシビれてしまったのだ。

だが、『マトリックス リローデッド』で我々は大きなショックを受ける。救世主ネオ自体が実はプログラムされたもので、人類が蜂起するという革命も織り込み済みだったというのだ。マトリックスの設計者アーキテクトの説明によれば、ネオは6番目の救世主。前任者5人は、人類を救済するために自分が保持するコードをプログラムに撒き、マトリックスは文字どおりリローデッド(再起動)されて、バージョンアップしたシステムとして稼働する。反体制の映画と思っていたら、実は体制側に搾取されてましたー!という映画だったのである。

『マトリックス レボリューションズ』では、暴走したプログラムのエージェント・スミスを倒すことを条件に、人類最後の砦ザイオンの殲滅を止めるようにネオが交渉。最終的に人類と機械は手打ちとなり、かりそめの平和が訪れた、というオチになっていた。言ってしまえば、体制と反体制が手を結ぶという日和った結末。筆者はディストピアSFの結末のつけ方として、これはこれでアリだなとは思っていたが、納得できないファンもたくさんいたことだろう。

かくして伝説の3部作は完結…と思っていたら、18年ぶりに4作目となる『マトリックス レザレクションズ』が作られることに。そしてこの新作は、1作目の『マトリックス』以上に体制側を糾弾する、おそらくシリーズ史上最もロックでパンクな映画に仕上がっていた。この作品には、ラナ・ウォシャウスキーの極めて個人的な想いがパッキングされているのである。

究極のプライベート・フィルムとして創られたシリーズ第4弾

『マトリックス レザレクションズ』の設定は、非常にトリッキー。マトリックスの中に再び取り込まれてしまったネオは、世界的なゲーム・デザイナーのトーマス・A・アンダーソンとして日々の生活を送っている。この世界における『マトリックス』とは彼がかつて開発した大ヒット・ゲームのことで、ワーナー・ブラザーズからは「続編を作れ!とのプレッシャーを受けていた…。

実際にウォシャウスキー姉妹のもとには、毎年のようにワーナー・ブラザーズから続編の打診があったという。だが、『マトリックス』3部作をやり尽くしたウォシャウスキー姉妹は、そのオファーに毎回「NO」を突きつけていた。ワーナーは別ラインで、『レディ・プレイヤー1』(2018)や『フリー・ガイ』(2020)のシナリオで知られる映画監督・脚本家のザック・ペンに、続編の企画をオファー。マイケル・B・ジョーダンを主演にしたプロジェクトが進められる。結局この企画は頓挫してしまうが、ウォシャウスキー姉妹にとってみれば、自分たちが創造した“世界”が他人によって簒奪されてしまうような想いだっただろう。

そんなにウォシャウスキー姉妹に悲劇が訪れる。彼らの父と母が立て続けに亡くなり、無二の親友も他界してしまったのだ。あまりのショックに、悲しみに暮れる二人。そんなとき、姉のラリーにある天啓が閃く。両親は二度と戻ってこれないけれど、ネオとトリニティーを取り戻すことはできるのではないか、と。

「ママとパパは去ってしまった…そんなとき突然、私の人生で間違いなく最も重要なキャラクターであるネオとトリニティが現れたの。この2人のキャラクターが再び生を得ることは、私に心地よさを与えてくれた」
(ラナ・ウォシャウスキーへのインタビューより抜粋)
https://ew.com/movies/lana-wachowski-neo-trinity-return-matrix-4-helped-her-grieve/

ある意味で、『マトリックス レザレクションズ』は究極のプライベート・フィルムだと言えるだろう。世界的フランチャイズとなった『マトリックス』シリーズ18年ぶりの続編を、自分の喪失感を埋めるために復活させてしまおう、というのだから。妹のリリーは新作に関わらないことを決断したために、ことさらラナ個人のパーソナルな映画になっていることは間違いない。

「新しく世界を作り直す」〜Matrix Ver.7へ

ウォシャウスキー“姉妹”は、かつてウォシャウスキー“兄弟”だった。二人とも少年時代から身体と心の性の不一致に苦しみ、性別適合手術によって晴れて女性となる。ラリーはラナに、アンディはリリーに。『マトリックス レザレクションズ』は、姉妹連名ではない初めての単独作品ということだけではなく、ラリー・ウォシャウスキーがラナ・ウォシャウスキーとなって初めて手がけた『マトリックス』作品でもあるのだ。

その変化はとてつもなく大きい。何しろ、この作品の実質的な主人公はネオではなく、トリニティーなのだから。思えば『マトリックス』3部作は、「白人男性が救世主である」というお告げを、黒人男性のモーフィアスと女性のトリニティーが盲目的に信仰する物語でもあった。ラナは白人男性礼賛的な基本設定をリセットして、ネオには最後まで超人的パワーを発揮させず、トリニティーが救世主として覚醒するストーリーに方向転換してみせる。

マトリックス内における彼女の名前は、『ティファニーで朝食を』(1961)から引用したであろうティファニー。現在ジェンダーの観点から取り上げられることも多いこの映画で、オードリー・ヘップバーン演じるホリーは“男性に囚われた女性”として登場する。彼女が夫のチャドに名前を呼ばれると、「私はティファニーじゃない。トリニティーよ」と答えるのは、彼女が覚醒した瞬間でもあるのだ。

マトリックスの監視役アナリスト(ニール・パトリック・ハリス)は女性蔑視の塊のようなミソジニストで、トリニティーに次々と侮蔑的な言葉を浴びせ続ける。そして嘲笑を交えながら「空を虹色に塗りたいとでも言うのか?」と問いかける。言うまでもなく、虹色=レインボーカラーは、LGBTQ+の多様性を象徴するシンボルカラーだ。

トリニティーはそのアイディアに賛同の意を示し、世界を作り直すことを宣言して、ネオの手を取り空へと飛び立っていく。6人目の救世主ネオが再構築した世界がMatrix Ver.6とするならば、トリニティーによって築かれるであろうMatrix Ver.7は、誰よりもラナ自身が望んでいる世界なのだ。

そしてこのMatrix Ver.7は、ドナルド・トランプ元大統領に対するカウンターとしての意味合いも持つ。アナリストは「人類は羊のように従順で、誰かの言いなりで生きていきたい種族なのだ」と言い放つ。命令一つで自分の命を投げ捨て、建物の窓から飛び降りることも厭わない“ボット”は、まさにその象徴。トランプの鶴の一声で支持者が連邦議会議事堂を占拠し、4人の死亡者を出してしまった暴動事件を思い起こさせる。

実はウォシャウスキー姉妹とトランプには、浅からぬ因縁がある。テスラ社CEOのイーロン・マスクが「Take the red pill(赤い薬を飲もう)」とツイートし、それにトランプの娘で当時大統領補佐官だったイヴァンカが「Taken!(飲んだわ!)」と反応したのだ。もちろんこのやり取りは、『マトリックス』でモーフィアスがネオに差し出した赤い薬に由来しているのだが、この場合「差別なんて幻想だ!現実を直視しよう!」と言うオルタナ・ライト(右翼思想)のプロバガンダとして使われている。コレに、妹のリリーが「二人ともふざけるな!」と怒りのツイートをブチかましたのだ。

自分たちが創造したマトリックスが、知らない間にオルタナ・ライトに利用されることにウォシャウスキー姉妹は我慢ならなかったのだろう。自分の手でマトリックスを取り戻すために、ラナは『マトリックス レザレクションズ』を創り上げたのである。

非アクション映画としての『マトリックス レザレクションズ

マトリックス レザレクションズ』を観賞した皆さんのレビューを読むと、とにかくアクション描写の稚拙さ、雑さに否定的な意見が目立つ。確かにその通りだと筆者も思う。いや正確には、この映画にはアクション要素が極端に少ない、といった方がいいかもしれない。窓から雨あられと人間爆弾が落下するクライマックス・シーンは、アクション映画というよりも、ほとんどホラー映画のレベル。救世主だったはずのネオは、バイクの後部座席でトリニティーにしがみついて防戦する一方だし、圧倒的パワーで敵を蹴散らすこともない。

千葉真一へのリスペクトを公言するキアヌ・リーブスは、現在ハリウッドで最も有名なアクション俳優の一人。そんな彼に、あえてアクションを封印させている。何故か? それは「『マトリックス レザレクションズ』はアクション映画ではない」と言うラナ・ウォシャウスキーの所信表明ではないだろうか。本作はエンターテインメント性を押し出したケレン味よりも、語るべきテーマが前景化しているのだ。

象徴的なのは、『ジョン・ウィック』シリーズの監督チャド・スタエルスキが、トリニティーの夫チャドを演じていること。彼は元々スタントマンで、『マトリックス』シリーズではキアヌのスタント・ダブルを務めていた人物だ。今やアクション映画の第一人者とも言える彼が、なぜか俳優として起用されている。

これもまた、本作が非アクション映画であることの所信表明の一つではないだろうか。彼はトリニティーにタコ殴りされてしまう哀しい役どころだが、それ自体が「この映画にアクションは必要ないのだ」という暗喩のようにも思える。SFアクション映画としての金字塔を打ち立てたシリーズの最新作が、あえて非アクション路線に舵を切るとは!シリーズ創造者のラナ・ウォシャウスキーのみに許された破壊行為であり、同時に創造行為でもある。

再びマトリックスに正対し、2021年のいまあるべき姿にアップデートさせた映画

マトリックス レザレクションズ』には、MCUではお馴染みのポストクレジットシーンがインサートされている。ゲーム会社デウス・エクス・マキナの従業員たちが「映画もゲームも物語も死んだ!」と断言し、「『キャットリックス』と言う猫動画を作れば儲かるはず!」と言う会話を繰り広げている。

「もはやオリジナルの物語は無効化していて、それを構成するデータベースを参照し、二次創作、三次創作することと何ら違いはない」と言ってしまうと、何だか東浩紀の「動物化するポストモダン」みたいな話だが、それこそがラナ・ウォシャウスキーの偽らざる実感なのだろう。だが彼女は他者による二次創作、三次創作を拒むかのように、シリーズ創造者である特権を最大限に活用して、『マトリックス』を自分の手元に引き寄せた。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』4部作は、自身が産み出した巨大なフランチャイズに庵野秀明自身が再び正対するために挑んだシリーズだった。この『マトリックス レザレクションズ』もまた、ラナ・ウォシャウスキーが再びマトリックスに正対し、2021年のいまあるべき姿にアップデートさせた作品だと言えるだろう。客観的で批評的な視座を持ちつつも、この映画には彼女のパーソナルな想いと、イデオロギーと、オリジネーターとしての矜持が凝縮している。

(C)2021 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED

※2021年12月24日時点の情報です。

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