【ネタバレ解説】映画『ラストナイト・イン・ソーホー』散りばめられた「007」オマージュの意図とは?サンディの“本当の”正体とは?徹底考察

ヒットガールに蹴られたい

竹島ルイ

魅惑的で恐ろしい、60年代ロンドンへようこそ。

『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』(2007)、『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』(2010)、『ベイビー・ドライバー』(2017)で知られるフィルムメーカー、エドガー・ライトの最新作『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021)が、現在絶賛公開中だ。

『ジョジョ・ラビット』(2019)のトーマシン・マッケンジー、ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』(2020)のアニャ・テイラー=ジョイという、いま一番注目の若手2大女優が共演した、タイムリープ・サイコスリラー。間違いなく、2021年を代表する必見作である。

という訳で、今回は『ラストナイト・イン・ソーホー』をネタバレ解説していきましょう。

映画『ラストナイト・イン・ソーホー』あらすじ

ファッション・デザイナーを夢見て、ロンドンのソーホーにあるデザイン学校に入学したエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)。だが寮で仲間と馴染めず、アパートを借りて一人暮らしを始めることに。やがて彼女は、夢の中で60年代のソーホーで歌手を目指す女性サンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)と出会う。

※以下、映画『ラストナイト・イン・ソーホー』のネタバレを含みます。

エロイーズに仮託された、エドガー・ライト自身のロンドン上京物語

エドガー・ライト作品は、常に映画ジャンルを越境する。特定のジャンルから全く別のジャンルへ、軽々とジャンプするのだ。

ボンクラ男のホモソーシャル的青春物語と思っていたら、突如ゾンビ映画に豹変する『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)。田舎警察官のバディ・ムービーだと思っていたら、スプラッター風味のサスペンス映画に変貌する『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』(2007)。そして、“逃し屋”を主人公にしたカーアクション映画だと思っていたら、ミュージカル要素も満載だった『ベイビー・ドライバー』(2017)。彼の映画は、どれもひとつの映画ジャンルに押し込めることはできない。

そして今回の『ラストナイト・イン・ソーホー』は、もはやジャンルのゴッタ煮状態。ロマン・ポランスキー監督作『反撥』(1964)のようなサイコスリラーでもあり、ニコラス・ローグ監督作『赤い影』(1973)のようなオカルト映画でもあり、リドリー・スコット監督作『テルマ&ルイーズ』(1991)のような女性の連帯の物語でもあり、ウディ・アレン監督作『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)のようなタイムスリップ映画でもあり…。もはやジャンルの越境などというレベルではなく、複数のジャンルをマッシュアップさせたかのような仕上がり。それでもストーリーを破綻させることなく、超一級のエンターテインメントに昇華させてしまうエドガー・ライトの手腕には恐れ入る。

エドガー・ライト作品としては、初めて女性を主人公にしたことも本作の特徴。これまで、物語を牽引するのは内向的なオタク系男子ばかりだった。だがよく考えてみれば、『ラストナイト・イン・ソーホー』のエロイーズも、60年代ファッションや文化にハマっている内向的なオタク系女子。間違いなく彼女も、エドガー・ライト自身が投影されたキャラクターだろう。

エロイーズは英国南西部のコーンウォール出身という設定だが、エドガー・ライトも同じく英国南西部のドーセット出身。映画の序盤、エロイーズがBeatsのヘッドフォンで音楽を聴きながら列車でロンドンに向かうシーンがあるが、エドガー・ライトも夢を抱いてこの列車に乗っていたのかもしれない。この映画は、田舎の若者が都会で頑張る”上京モノ”でもあるのだ。

キャスティング、カクテル、サウンドトラック…映画に散りばめられた「007」のモチーフ

映画の冒頭で、「For Diana」(ダイアナに捧ぐ)というメッセージが映し出される。これは、下宿先のオーナー(そして、実は年老いたサンディ)ミス・コリンズを演じた女優ダイアナ・リグに追悼の意を表したもの。最近ではドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』(2013〜2017)のオレナ・レッドワイン役でも有名だが、この作品に彼女がキャスティングされていることは非常に示唆的。彼女の代表作といえば、『女王陛下の007』(1969)のテレサ役だからだ。

『ラストナイト・イン・ソーホー』には、007的なモチーフがいくつも散りばめられている。エロイーズが最初に60年代の“スウィンギング・ロンドン”に迷い込んだとき、彼女がまず目にするのは『007/サンダーボール作戦』(1965年)の広告だし、サウンドトラックに収録されている『Beat Girl』を作曲・演奏しているのは、007のメイン・テーマでもお馴染みのジョン・バリー。パブで彼女が注文するカクテルは、小説『007 カジノ・ロワイヤル』でイアン・フレミングが考案したとされるヴェスパーで、そのパブのオーナーを演じているのは、『007/ゴールドフィンガー』のボンドガールだったマーガレット・ノーランだ。

イギリス人のエドガー・ライトが「007」シリーズの監督を熱望していることはよく知られているが、これは単に自分の好きなシリーズにオマージュを捧げたものではないだろう。ここには、明らかに近年の「MeToo運動」と連動した性差別、性暴力への異議申し立てが見て取れる。

男性優位主義が露骨な「007」シリーズは、ボンドのミソジニーっぷりに批判が集まっていた。ミッションを完遂させるためならば、彼は容赦なく女性に対して暴力を振るう。そしてボンド・ガールと呼ばれる女性たちは、物語を華やかに彩る添え物でしかなく、非業の死を遂げる。まるで、スターを夢見て上京したものの、男たちのよこしまな欲望によってその夢が打ち砕かれ、精神的な死を迎えてしまうサンディのように。

『ラストナイト・イン・ソーホー』は、確かに60年代ロンドン、60年代イギリス・カルチャーへの憧憬が込められた作品だ。だが同時に、エドガー・ライト自身が、過度なノスタルジーは危険であると警鐘を鳴らしている。エドガー・ライトは、「007」の符号を映画の中に散りばめることによって、過去をロマンティックに美化することを警告しているのだ。

「この映画は、バラ色のレンズで過去を振り返ることへの反論です。完璧な10年なんてありません。どんな形であれ、“古き良き時代”があるという考えは誤りであり、これまで見てきたように危険なものです。過去を夢見て過度にノスタルジックになることは、現代からの後退であり、現代に対処できていないのかもしれません」
(エドガー・ライトへのインタビューより抜粋)
https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/features/edgar-wright-interview-last-night-in-soho-b1944720.html

思えば、実家のエロイーズの部屋には『ティファニーで朝食を』のポスターが貼られていた。本作でオードリー・ヘプバーン演じる主人公ホリーもまた、大富豪の男性に“囚われている”女性。「007」以外にも、まだまだこの作品には隠されたメッセージがありそうだ。

濃厚に漂う、70年代ジャッロ映画の香り

エドガー・ライトは、“イタリアン・ホラーの帝王”ダリオ・アルジェントの影響を受けていることを公言している。特に彼の初期作品…『歓びの毒牙』(1969)、『わたしは目撃者』(1970)、『サスペリアPART2』(1975)といったジャッロ映画が大のお気に入りなんだとか。

っていうかジャッロとは何ぞや?というと、これはイタリア語で「黄色」という意味で、犯罪小説を扱うペーパーバックの表紙が黄色だったことからこの呼称が定着した。残虐な殺人、異常な犯罪者、そして探偵小説な謎解き要素。アルフレッド・ヒッチコックの『フレンジー』(1972)や、ブライアン・デ・パルマの『殺しのドレス』(1980)、『ボディ・ダブル』(1984)もこの系譜にある作品と考えていいだろう(筆者もこのあたりの映画は大好物です)。

だがこのジャッロも、性的に抑圧された異常犯罪者=男性が、そのはけ口として女性を惨殺するというヒドすぎる話ばかり。「007」と同趣の、性差別・性暴力があからさまに露出している。おそらくエドガー・ライトは、現代にジャッロを蘇らすにはどのように描くべきなのかを考え、「ミソジニーへの告発」というテーマを設定。そこにタイム・トラベル的な要素、ホラー的な要素、そして上京物語的要素をミックスさせることで、『ラストナイト・イン・ソーホー』の骨格を作り上げていったのではないか。

この映画には、70年代ジャッロ映画の香りが濃厚に漂っている。最近でも、ジェームズ・ワン監督作『マリグナント 狂暴な悪夢』(2021)が同じようなアプローチで作られていたが、ひょっとしたらジャッロは現在進行形のトレンドなのかもしれない。

ちなみにこの映画には「インフェルノ」という名前のバーが登場するが、その看板にはダリオ・アルジェント監督のホラー映画『インフェルノ』 (1980)と同じようなフォントが使われている。あからさまなオマージュだ。ネオンのように煌びやかで強烈な色彩感覚は、やはりダリオ・アルジェントの『サスペリア』(1977)を思わせる。

名優テレンス・スタンプの起用もまた、スリラー映画の延長線上にあるものだろう。彼の代表作と言えば、名匠ウィリアム・ワイラー監督による異色のサイコ・サスペンス『コレクター』(1965)。彼が演じるのは、蝶々の採集が趣味という内向的な男フレディ。密かに恋心を抱いていた女子大生のミランダを、人里離れた屋敷の地下室に監禁するという、倒錯した愛情を持ったサイコキャラだ。年老いたジャックと思われていた彼の正体は、ソーホーの風紀を取り締まっていた元警官。彼の起用が、観客へのミスリードを誘っているのだ。

幽霊?それともタイムスリップで出会った過去の女性?サンディの正体とは

実はこの映画、冷静に考えるといろいろ疑問が出てくる。最大の疑問は、「60年代のサンディは、一体何者なのか?」。エロイーズは死んだ母親を“視る”ことができる霊能力者という設定だが、サンディの正体はまだ存命のミス・コリンズだったのだから幽霊ではない。

では、エロイーズが過去にタイムスリップして出会った過去の女性なのだろうか?だとすれば不思議なのは、サンディがジャックに惨殺されるシーンがインサートされていること。彼女は実際には殺されておらず、サンディ自身が自分を食い物にしようとしていた男性たちを血祭りにしていた、というのが真相なのだから。エロイーズは現実とは異なるヴィジョンを幻視していた訳で、タイムスリップ説もアヤしくなる。

筆者の意見はこうだ。サンディは、歌手になるという夢を男性の欲望によって打ち砕かれた。エロイーズが間借りしていた部屋で、彼女は夜な夜な陵辱されていた。サンディの魂は、その時点で“死んでしまった”のだろう。彼女はサンディの名前を捨てて、本名のアレクサンドラに戻る。そして部屋の床に遺棄した大量の死体が発見されないように、自らアパートの管理人となり、本来抱いていた夢とは異なる人生を歩み始めた(エロイーズが越してきたとき、「夏場は臭いがこもるから栓をしておく必要がある」とか、「下にあるフレンチ・レストランからガーリックの匂いが漂ってくる」とか、やたら匂いに関する話をしているが、床下に腐乱した死体があることのカムフラージュだったのだろう)。

もともと霊能力者の素養があったエロイーズが幻視したのは、幽霊でもなければタイムスリップでもなく、部屋に充満していたサンディの“念”だったのではないか。歌手としての自分を男たちによって殺されてしまった、という強い想い。その念をエロイーズがキャッチし、おまけにサンディによって殺された“のっぺらぼうなオヤジたち”の念までもキャッチする。

『ラストナイト・イン・ソーホー』最大のミスリード、それはこの作品がゴースト・ストーリーであり、タイムスリップ映画であると思わされていることなのだ。

古き良き60年代音楽に秘められたメッセージとは

実は筆者は、最初エロイーズが新聞で作った洋服で踊ったり、レコードを聴いているシーンを観て、てっきり60年代の話なのかと勘違いしていた。なぜって、かかっている音楽が古すぎ!初っ端から流れるのが、ピーター&ゴードンの「愛なき世界」(A World Without Love)だったりするのである(今思えば、このタイトルが作品のテーマとも共鳴している)。

彼女が列車に乗るシーンで、初めて『ラストナイト・イン・ソーホー』が現代の物語であることが分かったのだが、それにしてもこの映画は全編にわたって60年代の音楽に彩られている。これもまた、エドガー・ライトの趣味・嗜好を表したものだろう。

「私は60年代に強い関心を持っていました。それは両親のレコードコレクションから始まり、両親が60年代のアルバムだけを集めたレコードボックスを持っていたことを覚えています。後になって気づいたのですが、両親は兄が生まれたときにアルバムを買わなくなったので、70年代のアルバムはありませんでした」
(エドガー・ライトへのインタビューより抜粋)
https://www.npr.org/2021/11/01/1051086214/edgar-wright-last-night-in-soho

映画のタイトル自体がデイヴ・ディー・グループの楽曲「Last Night In Soho」を引用したものだし、クラブでシラ・ブラックが歌唱しているシーンが登場したりもする。ペトゥラ・クラークのヒット・ナンバー「Downtown」をサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)が歌うシーンは、『ツイン・ピークス』で「Falling」を歌うジュリー・クルーズのようなナイトメア感満載で、筆者的にはテンション↑であった。

だがこの’60sミュージックも、エドガー・ライトは単なるノスタルジーとして機能させてはいない。男性客から「脱げ!脱げ!」と合唱が巻き起こる中、サンディがダンスを踊るシーンで流れる曲は、サンディ・ショーの「Puppet On A String 」。この曲の歌詞には、「I’m all tied up in you(私は全てあなたに縛られています)」という一節があり、女性が男性社会に縛られていることが暗示されている。

「この映画は、バラ色のレンズで過去を振り返ることへの反論です」というエドガー・ライトの意思は、楽曲のチョイスにも表れているのだ。

“世界は少しづつ良くなっている”

最近、ハンス・ロスリング、 オーラロスリング、 アンナロスリング・ロンランド著の 「FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」という書籍がベストセラーとなった。この書籍では、「世界はどんどん最悪な方向に向かっている」という我々の思い込みを正し、データのうえでは「世界は少しづつ良くなっている」と説く。

もちろん、今でも性差別や人種差別、経済格差は存在する。それでも我々は、ゆっくりではあるけれでも、確実に正しい道へと進んでいるのでないか……。そんな「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」的なメッセージが、『ラストナイト・イン・ソーホー』にも込められているような気がしてならない。

60年代のサンディが果たし得なかった夢を、2021年になってエロイーズは成し遂げた。サンディに憧れ、彼女のファッションに魅了されたからこそ、エロイーズは成功を手にすることができたのだ。この映画は、時代を隔てた二人の女性の共闘の物語である。だからこそ、ラストシーンでサンディはエロイーズに祝福の意味を込めて投げキッスを投げたのではないか。

“世界は少しづつ良くなっている”……。『ラストナイト・イン・ソーホー』には、そんなポジティブなメッセージが込められている。

ラストナイト・イン・ソーホー』information

公開日:12月10日(金)ロードショー
配給:パルコ/ユニバーサル映画
公式サイト:https://lnis.jp/
(C)2021 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED

※2021年12月17日時点の情報です。

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