今、なぜLGBTQ映画なのか?
ここ数年、アメリカを中心にLGBTQ映画がかつてないブームを迎えています。
昨年は『リリーのすべて』『キャロル』とLGBTQ映画2作がアカデミー賞で複数部門にノミネートされ話題を呼び、今年のアカデミー賞ではLGBTQの主人公を扱った『ムーンライト』が作品賞に輝くという快挙!
また、今年日本で公開された『美女と野獣』では、ディズニー映画史上初めてのゲイキャラが登場するなど、その後も映画界ではLGBTQ関連の話題が尽きません。
こうした流れが生まれるきっかけになったのは、2015年6月にアメリカ最高裁が同性婚を認める判決を下し、世界的に注目を集めたこと。
これが機となり、海外でも日本でも、性的マイノリティが主要人物として登場する映画が増えています。
差別や偏見をつくらないために、誰もが知っておくべきLGBTQのこと。
その第一歩としてLGBTQ映画を観るのもおすすめですが、何から観ていいのか分からない、という人も少なくないはず。
そこで今日は、そんなあなたにも入りやすい、LGBTQ映画入門作品『リリーのすべて』をご紹介したいと思います。
(以下はネタバレを含みますので、未見の方はご注意ください。)
世界で初めて性転換手術を受けたリリー・エルベがモデル
20世紀初頭の実在の画家アイナー・ヴェイナー(女性となってからはリリー・エルベ/1882-1931)とその妻で同じく画家のゲルダ(1886-1940)をモデルにした物語。
舞台は2人が暮らしていたコペンハーゲン。
アイナー(エディ・レッドメイン)はある日、妻ゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)の絵のモデルの代役を務めるためにストッキングを身に付けたことがきっかけで、自分の本来の性が女性であることを確信し始めます。
ゲルダは戸惑いつつも、女性になりたいと願う夫の思いを受け容れると同時に、彼の中に棲む美しい女性・リリーに魅せられ、「彼女」を描き始めます。
リリーの美しさはゲルダにアーティストとしての新境地をもたらし、彼女は一躍人気画家に。
一方、女性として羽ばたき始めたリリーは、ゲルダという妻がいながら男性に恋をするようになり、「男性と結婚して子供を産むため」性転換手術を受けることも決意。
当時性転換手術は前例がなく、命の危険を伴うことを知りつつも、本当の自分になる夢に賭けたリリー。
そんなリリーをゲルダは献身的に支えます。
「LGBTQ」だけでは表現できないセクシュアリティの複雑さ
ある日突然夫や恋人に「自分は体は男だが心は女性だ」と告白され、戸惑う女性……この構図は、人気若手監督グザヴィエ・ドランの作品『わたしはロランス』(12)とも共通しています。
『わたしはロランス』に登場するカップルは、小説を書きながら学校で国語を教えるロランス(メルヴィル・プポー)と、映画の製作スタッフとして働くフレッド(スザンヌ・クレマン)の2人。
美男美女・価値観もピッタリで、文字通り最高のパートナーに見えていた2人ですが、ロランスが女性として生きることを決意したのをきっかけに、2人の関係は壊れていく……という物語です。
『わたしはロランス』のロランスと本作のリリーを、LGBTQ(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・クエスチョニング)のいずれかに当てはめるとすれば、2人ともトランスジェンダー。
ただし、ロランスの場合には「心は女性」であることを自覚した後も恋愛対象は女性のままだったのに対して、リリーは女性になった後、恋愛対象も男性に変わります。
この違いを、一体どう理解すればいいのでしょうか?
「トランスジェンダー」とは、生まれながらに与えられた性別に違和感がある人。これに対して、肉体の性別に違和感がない人は「シスジェンダー」。この区分は、体と心の性(生物学的性と性自認)の一致・不一致による分類です。
一方、恋愛対象が同性か異性か?という「性的指向」はまた別の話。性的指向によってセクシュアリティはさらに細分化されます。
たとえば、同じように体は男性で心は女性というケースでも、
ロランスのように恋愛対象が女性の場合には、「トランスジェンダー-ホモセクシュアル」
リリーのように男性が恋愛対象なら、「トランスジェンダー-ヘテロセクシュアル」
となるわけです。
ちなみに、性的マイノリティにあたらないその他大勢の人々、つまり生まれた時の性別に違和感を感じず、なおかつ恋愛対象が異性の人は、「シスジェンダー-ヘテロセクシュアル」ということになります。
とても複雑だし、外見だけでは決して判別できないということなんですね。
『リリーのすべて』にも、こうしたセクシュアリティの複雑さに踏み込んだ描写が盛り込まれています。
当初男性のアイナーとして生きていた時は、女性のゲルダと結婚したリリー。
しかし、女性であることを意識し始め、リリーになった「彼女」は、ヘンリク(ベン・ウィショー)という男性と付き合い始めます。
ところが、ヘンリクはゲイで、恋愛対象は男性。女装はしていても体が男性のリリーは愛せても、男性器を切除して女性の体に近付いたリリーは、ヘンリクの恋愛対象ではなくなってしまうんです。
性という問題に苦しみ続けたリリーの半生に触れると、戸籍上の「男」か「女」かだけで恋愛対象も入るべきトイレも決まるという発想が、いかにマイノリティを無視しているか、ゲイもトランスジェンダーもひとまとめに「性的マイノリティ」として括ってしまうことがいかに乱暴か、ということを改めて感じます。
夫が女性になってもゲルダが「彼女」を愛し続けた理由
実在のリリーとゲルダの物語は、映画よりもさらに複雑です。
というのは、リリーだけでなくゲルダもセクシュアル・マイノリティ、つまりレズビアン(またはバイセクシュアルの可能性も)だったという説があるんです。
アール・デコの画家ゲルダは、肖像画やファッション誌のイラストを得意としたほか、エロチカ(春画)も描いていたことが知られています。
ゲルダがレズビアンだったことが事実なら、ゲルダが、夫がリリーなる女性になってからも変わらずに「彼女」を支え続けたことも、リリーの出現がゲルダに画家としての新境地をもたらしたことも、ごく自然に理解することができます。
夫が女性になったことよりも、むしろ、自分が夫の中の「女性」を目覚めさせてしまったのでは?という自責の念に苦しんでいたというゲルダ。
だとしたら、ゲルダの本当の苦しみは、リリーが男性に恋をし始めた時に訪れたのではないでしょうか?
それでもリリーを支え続けたゲルダは、女性としてのリリーをも心から愛していたのでは……という気がしてなりません。
エディ・レッドメインの繊細な容姿が、リリーの中の「違和感」を表現
男と女・夫と妻という単純な構図では到底はかり切れないリリーとゲルダの関係。
この映画を観たら、実在の2人についても、もっと知りたくなってきます。
掌からこぼれ落ちていく夫の愛を救い取ろうとするかのように、夫の中の女性を描き続けたゲルダ役には、感情の揺れを敏感に映し出す大きな瞳が印象的なアリシア・ヴィキャンデルがハマリ役。
リリー役は、当初ニコール・キッドマンで話が進んでいたとか。しかし、まぎれもなく男性でありながらも繊細な印象を与えるエディ・レッドメインの容姿は、リリーが感じていた心と体の違和感を存分に漂わせていて、結果としては最高のキャスティングだったと思います。
最後になりましたが、北欧の冴えわたった空気を感じさせる青みの効いた美しい映像も、本作の大きな魅力です。
セクシュアリティの多様性を知る入門作品というだけでなく、映画としての完成度も高い『リリーのすべて』。
秋の夜長にオススメの作品です。
参考文献:荒俣宏著『女流画家ゲアダ・ヴィーイナと「謎のモデル」 〜アール・デコのうもれた美女画〜』(新書館)
作品名 『リリーのすべて』
価 格 1,886円+税
発売元 NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
(C) 2015 Universal Studios. All Rights Reserved.
Amazon Prime Videoで観る【30日間無料】
※2021年6月24日時点のVOD配信情報です。
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