人気コミックの実写映画化ほど、ハードルの高いジャンルはないかもしれない。何千万という果てしない発行部数を叩き出し、国外でも人気を得ている作品なら、なおのこと。その筆頭株とも言える名作の映画化『鋼の錬金術師』の主演俳優・山田涼介に出演経緯を聞けば、きっと同じことを何度も人から言われ、自分でもこれまで多くの時間を費やし考えたのであろう、「出るかどうか、正直迷っていたんです」と切り出し、最終的には「譲りたくない、自分以外の俳優にやらせたくないという思いが勝った」と、強く信念を明かした。
これだけ過度なプレッシャーのかかる作品で先頭に立つことは、受けることよりも、断ることのほうが簡単かもしれない。それでも挑むことを選択した山田は、24歳にして数々の主演作を重ね、積み上げてきた信頼と実績、ポテンシャルを本作で存分に発揮した。オファーを熟考し、決意に至った詳細を聞けば、やはりロングインタビューとなった。
――イタリアでロケをしたことは、山田さんがエドワード・エルリックを演じるのにいい影響でしたか?
いい影響でしたね。この格好ですし(エドのビジュアルを指す)、この髪の毛の色ですし、日本のどこかでやるとやはり少し不安というか「なじめるのかな」みたいなところがありました。イタリアに行くと、街並みが素敵なこともあって、自信満々に歩ける感覚だったんです。そういう意味では、イタリアがクランクインでよかったなと思います。冒頭、コーネロを追い詰める広場のシーンは日本で撮ったのもあるんですけど、作られた石畳と現地の石畳は何かが違うんですよ。自分の目や肌で感じられたので、よかったです。
――ちなみに、一番最初の屋根を走るシーンがインですか?
それはクランクアップです(笑)。千葉の山奥にセットを組んで撮りました。だけど、その後すぐに飛び降りて転がるところは、イタリアで撮って。
――同じ場面でも別々とは……、撮影はものすごく大変ですよね?
そういうの、いっぱいありますよ! 例えば、石獣と闘っているところも、イタリア半分、日本半分、みたいな。だから、映画を観ている人の隣で説明したいですね~。「ここ日本! ここイタリア!」って(笑)。
――例えば、石獣のアクションでは曽利文彦監督から「こんな感じでどんどん出てくるよ」という指示があったんですか?
いえ、今回は「全部山田くんにCGを合わすから」と言ってくださったんです。だから、振り向いてジャンプをしたり、ちょっとコミカルな動きで走ったりするのは、自分発信でやりました。
――走り方は本当に原作のままという感じでした。エドとして一番こだわった部分はどこになりますか?
声です。自分の声ではないというか、声を変えました。この(普通に話している)トーンではない。もうちょっと奥でしゃべるというか、もっとこもった声でやっていました。文章で伝わるのかが、難しいですけど……。
――声を変えるのは、エドのキャラクターから派生した考え方だったんでしょうか?
僕はもともと『鋼の錬金術師』の原作やアニメのファンなので、僕の中のエドの声=朴璐美さんなんです。やっぱり少しでも寄せたいなという部分はありましたが、朴さんの声を丸々はできないし。ただ、アニメをたくさん観ていくうちに、似ている声を発見して。自分で研究していて「これかな?」と。やってみたら全然違うけど、「山田涼介がやるエドはこうです」と説明しやすい声を産んだというか。
――ご自宅で、ひとりで自主練していたんですか?
むっちゃくちゃやったね。「キーはどこなんだろう、今の台詞を言ってみよう、これか?」というループを。
――曽利監督にも言われたんでしょうか?
それは、全然。けど曽利監督も一番心配していた部分が声にあったみたいで、トーンをどこにするか、と思っていたようです。クランクインする前に、日本で脚本読みがあったんです。第一声で僕が発した声が、曽利監督の中でどんぴしゃに合ったみたいで、2~3時間の予定だったんですけど30~40分で終わったんです。「自主練してよかった~」と思いました。
――いろいろな準備をして臨まれた本作、入る前にプレッシャーはありましたか?
撮影をやっているときは撮影に集中しているので、ほかのことを考える余裕がないんです。だから、どちらかというと、今(劇場公開前)が一番感じているかもしれません。どの作品でも、公開間近になると「大丈夫かな?」「皆に観てもらえるのかな?」という思いは浮かぶんです。
――本作では軸として「兄弟愛」がありますよね。山田さんの中でも、核として持っていたものですか?
もちろん。だから、水石(亜飛夢)くん(※アルフォンス・エルリック役)が僕の中でキーマンになるとも、すごく思っていました。
――水石さんに助けられた点もあると?
大きい、大きい、大きいです。水石くんがいなかったら、僕はできなかったと思う芝居もたくさんあります。それこそ、引っ張られた部分もたくさんありました。エモーショナルにさせてくれたというか。喧嘩のシーンとかは、特に。
――喧嘩のシーンもCGだったかと思うのですが、「こんなに激しくできあがるのか……」と脱帽しました。
ね? 不思議だね(笑)。僕も「こうなったかあ」ってしみじみ観ました。水石くんが180cmくらいで、アルは210cmの設定なんです。だから、水石くんを見ている目線よりも、上の目線でしゃべらないといけないから難しかったです。喧嘩しながらも上を殴らないといけないとか、物理的難しさはめちゃくちゃありましたね。
――山田さん自身はお姉さんと妹さんがいらっしゃいます。こうしたエドとアルの兄弟ならではの関係性は理解できますか?
わかる。兄が弟を見捨てられない気持ちですよね。「自分の身体と引き換えにしてでも、弟の身体を取り戻したかったのに」という台詞は、すごく重いと思いながらも「そうだよな。自分が犠牲になってでも取り戻したいよな」と思うとすごく悲しくなって、そのままシーンに挑みましたし。
――そのように、気持ちの上でも原作と沿ったところ、映像だからあえて違うように表現してみたところなど、変化はつけたのでしょうか?
先ほどお話した声は意識したことですし、原作に忠実と言うと、やっぱり走り方にしてもそうですね。あえて変えたというよりも、「やっていたらそうなるよね」という実写化ならではだと思ったのは、エモーショナルな芝居でした。泣きの芝居とか、「そうなるよね」というところでは泣きました。
――原作では、エドは泣かないと決めていますよね。山田さんのエドは泣いている。
はい。ウィンリィに対しても「もうお前を泣かせない。次にお前を泣かせるのはうれし涙だ」という台詞もあったりするくらい、エドは人が泣くのも見たくないし、自分が泣くのも弱いから見せたくないという人間です。原作ではそうだとしても、実写でやるとなると、泣かないという設定は難しいんです。無視せざるを得ないというか。別に泣けばいいというものではないですけど、泣くことによって、弟に対する思いや自分の不甲斐なさとか、いろいろな気持ちがブワッと出ると思ったし、演じているうちに僕もそうなりました。(原作者の)荒川弘先生も、「そうきたか! それはそれで面白いな」という捉え方をしてくださったので、よかったと思っています。双方のよさがあるので、原作とは違って楽しめる部分かなと。
――となると、泣くという行為自体、台本にはそもそも入っていなかったんでしょうか?
ひとつだけはありましたけど、そのほかのシーンで目が潤んだりとかは、自分で、です。そうなっちゃいました。コメディなどは少し違いますけど、僕は映画には絶対的に泣きの要素が必要だと思っているんです。『鋼の錬金術師』のような人間の心の繊細さのようなものを描いている作品は、特に。僕は人の心を揺さぶるものが映画だと思うし、そこにはやはり泣きの要素がつきものになってくると思うから、大事にしなきゃいけないんじゃないかなと思って。感情が赴くままにというか、何も考えずに演じたらOKが出たんですよね。
――少し前に公開された『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の涙も印象的でしたし、高ぶる演技や表現に関して山田さんは得意な印象です。ご自身では、どう思います?
泣き方にも本当に種類があって、役によって使い分けることはすごく大事だと思います。エドの泣き方と『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の敦也の泣き方は一緒じゃダメだと思うし、『母さん、俺は大丈夫』の諒平だったら、自分に対しての悔しさも出さないといけなかったので、切ない涙になったりもしていました。
当たり前だけど、涙の色って変わらないんですよ。だけど、表情ひとつでどうにでも色は出せる。とはいえ、泣きたくなる瞬間に計算はできないので、役が頭に入っていればできるという感覚になるんですよね。
――『鋼の錬金術師』に限って言えば、相手がいない中で泣く場面も多かったですよね?
そう、相手がいない。それでもできたのは、『鋼の錬金術師』という作品が持っている本来の力だと思うんです。何もないところでひとりで泣いて……だけど、ああいう(泣きという感情的な)芝居ができたのは、自分でも不思議だなと思っていて。完成作を観たときに、「あれ、どうやったっけ?」、「何を考えてやっていたんだろう」と自分で思ったりもしましたし(笑)。
――作品の規模の意味でも、山田さんのキャリアの中でという意味でも、非常に大きな意義のあるものになったんでしょうか?
一番の財産は、僕は曽利監督に出会えたことだと非常に思っています。曽利監督はすごく優しいんですけど、すごく厳しくもあって。あの温厚なトーンや表情で、すごく鬼のようなことを言ってくるんですよ。芝居に対してどうこうではなく、「これをやってね」という要求が、とんでもないクオリティだったりして。例えば、CGでたくさんの敵と戦うときも、前にいる敵と闘いながら、後ろにいるアルと会話したりするという……CGだから両方ともいないじゃん、って(笑)。
――(笑)。しかし任せられた、ということなんですよね。
年齢関係なく、僕のことをすごくリスペクトしてくださっていて。僕は僕で曽利監督の『ピンポン』も『あしたのジョー』も観ていましたし。
――曽利監督とそこまで信頼関係が結べたのは、どのタイミングからだったんですか?
わからない……。けど……、割と早かったです。イタリアに着いてから、車の中で作品に対しての想いみたいなものを話したんです。曽利監督は『鋼の錬金術師』を何年も温めていて「技術面はクリアしたが、エドをやれる主演俳優がいない」と思っていたそうで。そこに僕が現れたらしいんです。「山田涼介に断られたら、映画はできないなと思っていた」と、すごく熱い思いを明かしていただいて。
――とてもうれしいお話ですよね。
ただ、僕は僕で、出演するかどうかを正直迷っていました。もちろん、オファーをいただいたときはものすごくうれしかったです。と同時に、「これはやっちゃいけないんじゃないか……」、「これだけは触れちゃいけないんじゃない?」と思う自分もいて。ずっと葛藤があったけれど、あるとき、曽利監督が用意してくださったデモVTRを拝見したんですね。そこには、アルとエドが動いているシーンや、錬成しているシーンが作られていて、「(実写化)できるじゃん!」と確信に変わりました。それで、オファーを受けさせてもらいました。
――山田さん側も、並々ならぬ想いで臨まれたということですね。
曽利監督は僕がオファーを受けなかったら「やれなかった」とおっしゃっていましたけど、もしかしたら、僕が断っていたら違う役者さんになっていたかもしれないじゃないですか? それだけは嫌だったんです。この役が自分にきた意味みたいなこととかも自分の中でじっくり考えて、咀嚼して、「もう譲りたくない、自分以外の俳優にやらせたくない」という思いが勝ったので、オファーを受けました。
話が戻りますけど、……というような話を車中でしていたんです(笑)。目に見えない男の友情みたいなものが、たぶんそこで生まれたのかなって。そこからは多くを語らずも、つながっているというか。気持ちで一緒に現場にいたところはあります。
――完成した作品は、やはり格別なものとして俳優・山田涼介の中にありますか?
もうね、完成作を観たとき単純に「すごーい!!」と思いました(笑)。世の中の人間の中で、演じた僕が一番思うかもしれないですよね。自分で言うのも何ですが、大成功だと思っています。そもそも『鋼の錬金術師』という僕が大好きな作品に出させてもらえて、素晴らしいキャストに囲まれて、先頭に立ってできることは、本当に光栄でうれしいことです。僕の今までの人生をすべて注ぎ込んだ作品になっていますし、僕のこれからの俳優としての人生がどうなっていくかも、これで決まっていくかもしれない。今の映画界に対してすごく挑戦的だし、意味のあることですし、邦画でなかなかできるクオリティではないと僕は思っています。ぜひ楽しんでください。(インタビュー・文:赤山恭子)
映画『鋼の錬金術師』は大ヒット公開中。
(C)2017 荒川弘/SQUARE ENIX (C)2017 映画『鋼の錬金術師』製作委員会
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