『シックス・センス』(1999)、『サイン』(2002)、『ヴィジット』(2015)など、数々のヒット作を世に送り出してきた鬼才M・ナイト・シャマラン。ガエル・ガルシア・ベルナル、ヴィッキー・クリープス、アレックス・ウルフ、トーマシン・マッケンジーというキャストを揃えて2021年に放った“謎解きタイムスリラー”が、『オールド』(2021)だ。
という訳で今回は、『オールド』についてネタバレ解説していきましょう。
映画『オールド』(2021)あらすじ
バカンスを過ごすため、南国のリゾート地を訪れたカッパ一家。ガイ(ガエル・ガルシア・ベルナル)、妻のプリスカ(ヴィッキー・クリープス)、息子のトレントと娘のマドックスは、ホテルのマネージャーに招待されて風光明媚なビーチに向かう。そこで彼らを待ち受けていたのは、驚くべき超常現象だった…。
※以下、映画『オールド』のネタバレを含みます
図らずも世相を反映する形となった『オールド』
『オールド』には、インスピレーションの源泉となった一冊がある。作:ピエール・オスカル・レヴィ、画:フレデリック・ペータースによるグラフィック・ノベル「Sandcastle」(原題:Château de Sable)がソレだ。M・ナイト・シャマランは、2017年の父の日に3人の娘からこの本をプレゼントされたという。父親が老いて認知症になっていたこともあり、“時間”をモチーフにしたこのバンド・デシネ(フランス語圏の漫画)にシャマランは大きく惹かれ、「この本は、私が死や老いに対して抱いていた多くの不安を解消する機会を与えてくれました」と述懐している。
テレビアニメ『アバター 伝説の少年アン』を実写映画化した『エアベンダー』(2010)を唯一の例外として、シャマランはこれまで自身が書き下ろしたオリジナル・ストーリーを映像化することに注力してきた。だがこのバンド・デシネに衝撃を受けた彼は、「Sandcastle」の映画化を決意する。
だが撮影は苦難の連続だった。運悪くハリケーンのシーズンに重なってしまい、せっかく用意したセットが台無しに。その影響で海の様相が変わってしまい、波の動きを察知してはカメラを回すという羽目に陥った。トレントやカーラ、マドックスのように、同じ役でも経年変化で別の役者が演じる必要があるため、毎日脚本の3つのパートを撮影する必要もあった。しかも撮影時期は、コロナウイルスが猛威を振るった2020年。徹底したコロナ対策が必要となり、なかなかスムーズに撮影することができなかった。
ビーチに閉じ込められた人々が死の恐怖に対峙するという構造は、奇しくもロックダウン下のパンデミックを想起させる。図らずもこのミステリー映画は、現代の世相を反映する形となったのだ。
『オールド』に影響を与えた2本の映画+1
『オールド』の絵作りには、70年代に製作された2本の映画が参照されている。一本目は、ニコラス・ローグ監督の『美しき冒険旅行』(1971)。オーストラリアの広大な砂漠の中に取り残された、幼い姉弟の冒険記だ。もう一本は、ピーター・ウィアー監督の『ピクニック at ハンギング・ロック』(1975)。岩山へピクニックに出かけた女学校の生徒たちが、突然姿をくらましてしまうミステリー・ドラマである。
どちらも、“自然の圧倒的な力に抗う人間の物語”。シャマランは製作にあたり、キャストとスタッフのためにこの2本の上映会を行なっている。『オールド』に強く刻印されている神秘的なトーンは、『美しき冒険旅行』と『ピクニック at ハンギング・ロック』からの影響が大きい。
さらに筆者は、近年話題を呼んだホラー映画との類似性も指摘しておきたい。アリ・スター監督の『ミッドサマー』(2019)だ。
スウェーデンの山奥にあるのどかな村が、やがてその真の正体を露わにして、夏至祭に訪れた来訪者に牙を剥く…というフェスティバル・スリラー。「明るいことが、おそろしい」というキャッチコピー通り、太陽が沈まない北欧の村を舞台にしているため、血も凍るような惨劇は常に“明るい”空間で行われる。
「陽光が燦々と輝く美しいビーチが、実は来訪者たちの生を奪う場所だった」という『オールド』も、同工異曲の設定と言えるだろう。どちらにも、「人間が崖から落下する」というシーンが描かれている。
しかも本作でトレントを演じるアレックス・ウルフは、かつて『ヘレディタリー/継承』(2018)に出演していた俳優。そう、アリ・スター監督がその名を世界に知らしめた傑作ホラーだ。20年以上ハリウッドのトップランナーとして走り続けてきたホラー作家=M・ナイト・シャマランと、次代を担うホラー作家=アリ・スターは、「楽園が人類に牙を剝く」というモチーフで新しい恐怖を提示している。
興味深いのは、アリ・スターとM・ナイト・シャマランを比較したとき、アリ・スターは「家族が崩壊する映画」を描いている一方で、シャマランは「家族が再生する物語」を撮り続けていることだ(『サイン』、『アフター・アース』etc.)。
『オールド』でも、離婚間近で夫婦関係が冷え切っているガイとプリスカは、迫り来る老いと死を前にして、お互いの存在を慈しみ、求め合う。プリスカを演じたヴィッキー・クリープスは、この作品を評して「愛と家族、そしてどんな恐怖よりもずっと強いもの…老いと死の恐怖」と語っている。メロドラマとホラー的要素の融合、それこそがシャマラン節なのだ。
観察者=シャマランの眼差し
“サスペンスの神様”アルフレッド・ヒッチコックは、自作にチョイ役でカメオ出演することで有名だが、M・ナイト・シャマランもまた自作に積極的に出演する監督として知られている。しかもシャマランの場合は、単なる顔見せサービスのヒッチコックとは異なり、主要キャストとしてセリフを喋りまくり、強力にストーリーを牽引する。
興味深いのは、本作でのシャマランはストーリーを牽引する役柄ではなく、一歩引いて“観察する者”として登場していることだ。彼は家族たちをビーチに案内し、小高い丘から彼らを双眼鏡で“観察”し続ける。つまり、映画監督としての眼差しをそのまま映画の中で実行しているのだ。
シャマランが小悪党として登場するのも珍しいが、そこも含めてスリラー作家としての自分をメタ的に捉えているのかもしれない。
衝撃のラストの意図とは?
M・ナイト・シャマラン映画の枕詞としてついて回るのが、「どんでん返し」。彼の作品は、強烈な“オチ”に向けて物語が一直線に進んでいく。
『オールド』の“オチ”もまた、パンチの効いたものだった。主人公一家をプライベートビーチに誘い込んだのは製薬会社の陰謀で、彼らは1日で50年が経過する超常現象を利用して、新薬の治験に利用していたのだ(招待されたメンバーは、何らかの疾患を抱えていた)。だがトレントとマドックスがビーチから無事帰還したことで製薬会社の企みが明らかになり、研究員たちは一網打尽に逮捕される。
だが、批評筋からは本作の「どんでん返し」はあまり高く評価されていない様子。ニューヨーク・タイムズには、こんな酷評が掲載されてしまった。
「Shyamalan’s fluid filmmaking style serves him especially well here [and] the way he switches out his actors as their characters age is seamless,” but found that “while Shyamalan is often cited for his tricky endings, it’s arguable that he doesn’t quite stick the landing with this one.
シャマランはしばしばそのトリッキーな結末が引用されるが、彼がこの作品で着地を決められていないことは議論の余地がある」(出典:ニューヨーク・タイムズ)
実はこのオチは、原作の「Sandcastle」にはないシャマランのオリジナル。筆者は本作のラストに、シャマランが2000年に発表した『アンブレイカブル』と同趣のテーマを感じてしまう。
※以下、映画『アンブレイカブル』のネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。
『アンブレイカブル』は、骨形成不全症という難病を患うイライジャことミスター・ガラス(サミュエル・L・ジャクソン)が、自分とは真逆の「不死身の肉体を持つヒーローがいるはずだ」という信念から、乗客131人が死亡する列車事故を仕組み、デヴィッド(ブルース・ウィリス)の存在を発見するという物語だった。あえて悪役を引き受けることで、正義のヒーローを見出したのである。
この「大義のためなら多少の犠牲は厭わない」というロジックは、そのまま『オールド』に当てはめることができる。製薬会社の研究員たちは、新薬で百万人の生命を救うために、その犠牲となる被験者たちを物色する。自分が信ずる正義はいともたやすく悪に転化することを、シャマランは繰り返し我々に語り続けているのだ。
確かに『オールド』は、全てが謎に包まれたままエンディングを迎えた方が、切れ味鋭いスリラーとして評価を得ることもできただろう。だがそれ以上に、シャマランはこの結末を我々に提示したかったのだ。スタイリッシュなストーリーテラーではなく、信念に貫かれたメッセンジャーとしての役割を、彼は選択したのだ。
そして、筆者はそれを支持するものであります。