「全米が泣いた」「○○%が涙!」などのうたい文句を見ると、つい身構えてしまう。
『そして、バトンは渡された』のポスターには、「もう一度見て、もっと泣く」とのコピーが鎮座していた。“もう一度見る”だけでも大変なのに、1回目を上回るほどの感動が押し寄せてくるらしい。「そんなにハードルを上げてしまって大丈夫か?」と、筆者は不安すら覚えた。
しかし、映画が公開されると、その不安は涙とともに綺麗に流れ落ちていった。
2回観たのは当然ながら、原作にまで手を出し、3度泣いた。結果的に、筆者はコピーを上回る回数、泣いたことになる。
本記事では、映画『そして、バトンは渡された』と原作の違いを紹介しつつ、タイトルにもある“バトン”の意味について解説していきたい。
『そして、バトンは渡された』(2021)あらすじ
血の繋がらない親の間をリレーされ、4回も苗字が変わった森宮優子(永野芽郁)。わけあって料理上手な義理の父親、森宮さん(田中圭)と二人暮らし。今は卒業式でピアノを弾く『旅立ちの日に』を猛特訓中。将来のこと恋のこと友達のこと、うまくいかないことばかり……。
そして、夫を何度も変えて自由奔放に生きる魔性の女・梨花(石原さとみ)。泣き虫な娘のみぃたんに精一杯愛情を注ぎ共に暮らしていたが、ある日突然、娘を残して姿を消してしまう―。全く違う2つの物語が繋がったとき、驚きとともに、今年最大の感動が訪れる。
※以下、ネタバレを含みます。
キーパーソン 梨花さんの真実
本作のキーパーソンは、間違いなく梨花さんだ。“本当の母親”ではない梨花さんが、優子に残していったものは何よりも大きい。梨花さんは、血の繋がらない優子に対し、自分の人生をかけて3つの大切なものを与えていく。
1つは“母親”だ。梨花さんは、母を亡くしたことがコンプレックスになっていた優子の母親になった。父(水戸さん)がブラジルに旅立って以降はシングルマザーになり、優子とふたりで暮らした。その生活は苦しかったが、人として、また女性として生きていく術を優子に教えていく。
その後、お金持ちの泉ヶ原さんと再婚し、優子に“ピアノ”を与えた。この時点で、梨花さんは自分の病気の悪化を知っており、「なにを優子に遺せるか」を深く考えていたのだろう。また、ピアノは後に早瀬と出会うきっかけにもなるため、この再婚は優子の人生における転機ともいえる。
そして、森宮さんとの結婚で、梨花さんは“父親”を優子に遺した。自分がいなくなった後、優子に家族と呼べる人を遺そうとしたのだ(泉ヶ原さんは年齢もあって“父親”からは除外されたのであろう)。
物語の終盤で伏線が回収されるまでは、梨花さんは非常に身勝手な女性に映っていたかもしれない。何度も結婚し、娘を放り出し、最後は蒸発してしまう。客観的に見れば、これほど酷い母親もいないだろう。しかし、梨花さんの不可解な行動の数々は、優子のためにおこなわれていた。自分の死期を悟ってもなお、優子にすべてを捧げ、人知れず病と闘っていたのだ。
映画のラスト、梨花さんは亡くなってしまう。しかし、彼女から始まったリレーは、これからも延々と続いていく。
原作との変更点
ストーリーは概ね原作と同じだが、作品の方向性はかなり異なっている。
映画版は印象的なシーンを挿入することで、1度観ただけでも強烈なインパクトを残すエモーショナルな作品に仕上がっている。対して原作は、ゆったりとしたペースで進み、心地よい読後感を残していく。優劣はつけられないが、原作との違いを比較することで、映画版が目指した方向性が見えてくる。
梨花さんの死
映画終盤、梨花さんは優子の知らないところで亡くなっていた。梨花さんの真実が明らかになったとき、多くの観客が涙したことだろう。
しかし、原作小説では梨花さんは亡くならず、ラストの結婚式の場面にも姿を見せる。この点こそ、映画と原作の最大の違いだ。
映画版は、いわゆる“感動大作”として制作され、喜びだけでなく、少しばかりの悲しさも加えらえた。一方、原作小説は、感動こそするものの、大団円で幕を閉じる。梨花さんの死だけで見ても、作品の方向性が大きく変わってくるのである。
ドラマチックな展開
梨花さんの死以外にも、細かい部分で変更が加えられている。たとえば、映画冒頭の優子が同級生からいじめられてる描写は、原作には存在しない。一時的に孤立してしまう描写はあるが、持ち前の明るさで、跳ねのけてしまう。
また、実の父と再会するシーンや、幼い優子が早瀬の影響でピアノを始める設定は映画オリジナルである。このように、映画版ではドラマチックなシーンを作るべく、さまざまな変更が加えられた。梨花さんの死も含め、映画版は“泣けるポイント”が随所にある構成になっているのだ。
時系列の入れ替え
原作では、高校生の優子が過去を回想することで物語が進んでいく。対して映画版は、幼い優子を“みぃたん”とし、時系列を入れ替え、ふたつの物語が合流する。
ふたつの家族をクロスカッティングで繋いでいく構成は、ラストの仕掛けにも活きてくる。「みぃたん」の物語が別に存在していることで、梨花さんの身勝手さが強調されているのだ。言わずもがな、この身勝手さの伏線は、ラストで綺麗に回収される。
タイトルにある“バトン”とは?
『そして、バトンは渡された』における、“バトン”とは、何を指していたのだろうか。それは優子と親たちを繋いでいた、“家族の絆”そのものである。
家族の絆は、血の繋がりによって裏打ちされるものではない。梨花さんは文字どおり命をかけて優子を愛し、森宮さんは不器用ながらも親子であろうとした。彼女たちと優子には、血の繋がりこそないが、どの親よりも“親子らしい”関係を築いている。
優子と父(水戸さん)の絆が、梨花さんへと渡され、泉ヶ原さんと森宮さんを通過し、早瀬へと受け継がれていく。誰かひとりでも欠けていたら、早瀬までたどり着けなかった。この映画全体が、優子というバトンを繋いできた、壮大なリレーを描いた作品なのだ。
また、優子視点から本作を考えてみると、何人もの親から“優しさ”という名のバトンを受け取っていく物語といえる。彼女は今まさに、バトンを持って走っている最中だ。そのバトンを大きな未来に渡していくことこそ、梨花さんや森宮さん親たちの願いでもある。
最後に、この作品そのものが、大きなバトンだ。本作を観た私たちは、バトンを渡された状態にある。この壮大なリレーのランナーとなった今、責任をもって、次の走者にバトンを渡さなければならない。
『そして、バトンは渡された』作品情報
監督:前田哲
脚本:橋本裕志
原作: 瀬尾まいこ 『そして、バトンは渡された』
公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/soshitebaton-movie/
(C)2021映画「そして、バトンは渡された」製作委員会