2022年、ヌーヴェル・ヴァーグの巨匠ジャン=リュック・ゴダールが亡くなった。安楽死だった。
彼の死は世界中の人々に衝撃を与えたが、“尊厳ある死”を求めたことも大きな議論を巻き起こしている。
果たして「死ぬ権利」は認められるべきなのか?
ゴダールの死をきっかけに、あらためて尊厳死について考える人も増えたことだろう。
そして、日本からも死ぬ権利を描いた映画が誕生した。昨年公開された『PLAN 75』である。
本記事では『PLAN 75』で描かれたシステムの裏側や、ラストシーンについて考察していきたい。
『PLAN 75』(2022)あらすじ
舞台は超高齢化社会になった日本。若者たちは怒りの矛先を高齢者に向け、老人が虐殺される事件が多発していた。日本政府は75歳以上の高齢者の“死ぬ権利”を認める法律、通称・PLAN 75を施行し、高齢化を食い止めようとする。
そんな日本に生きる身寄りのない老人・ミチ(倍賞千恵子)は、長く続けていた仕事を解雇され、途方に暮れていた。75歳を超えるミチが働ける職場はなく、住む場所も見つからない。追い詰められたミチが選んだのは、PLAN 75を利用し、自分の人生に終止符を打つことだった。
一方、PLAN 75の申込窓口で働く青年・岡部(磯村勇斗)は、システムに疑問を抱きはじめるのだが……。
※以下、ネタバレを含みます
PLAN 75のシステム
本作はかなりセンシティブなテーマを扱っており、安楽死に対する考え方も人それぞれ異なるだろう。しかし、劇中と同じように「PLAN 75のようなシステムは存在してはならない」という前提のもと、本記事の執筆を進めていきたい。
安楽死を認めている国は現実にも存在しているが、劇中のPLAN 75ほどユルユルなシステムはない。どの国も安楽死を受けるには、厳しい審査が必要になる。安楽死を強制されるなどの犯罪行為に悪用されないためだ。当然、本作のように国から安楽死を勧められることもなく、「空気を読んで死を選ぶ」なんて馬鹿げたことも起きていないだろう。
しかし、PLAN 75は家族の承認も不要で、火葬や葬儀代も無料。住民票もいらない。公的な窓口に行けば、すぐに申し込むことができて、支援金やアフターサービスも受けられる。
死を希望していない人でも、わずかなきっかけで手が伸びてしまうような、悪魔的なシステムだ。支援金が10万円というのも芸が細かく、2020年に国から渡された、臨時特別給付金と同じ額である。10万円は死の対価として考えると圧倒的に少ないが、ポンと渡されて1番嬉しい額であることはご承知のとおり。
問題はこれらの“魅力的”なサービスのすべてに裏があったということだ。
たとえば、PLAN 75を申し込んだ高齢者は、若いオペレーターとのカウンセリングが用意されている。一見、利用者のためを想ったサービスに思えるが、オペレーターたちに与えられた使命は「利用者を心変わりさせないこと」だった。
また、大きな問題として、高齢者たちの遺体が“廃棄物”として処理されていることが判明する。「死んだらわからない」と考える人もいるだろうが、遺された人間はやりきれない。死者への配慮もいっさいなく、申し込みから火葬まで、すべてが流れ作業と化している。こんなものを“尊厳死”といえるのだろうか。
PLAN 75が生み出した社会
PLAN 75は劇中の日本社会に大きな影響を与えている。高齢者たちは生きづらさを抱え、PLAN 75の誇大広告を横目に見ながら、慎ましく生きることを半ば強制されていた。そして、PLAN 75は高齢者たちに残された、最終手段になってしまう。
主人公のミチは、当初はPLAN 75のシステムに懐疑的で、生きることを諦めていなかった。しかし、仕事をクビになり、家も見つからず、天涯孤独の彼女には頼れる親族もいない。追い詰められた挙句、PLAN 75を利用してしまうのだ。
ミチをクビにした雇い主も、家を貸さない家主も、けっして悪意があったわけではない。国が定めたPLAN 75が高齢者の尊厳を奪い、ミチを死へと緩やかに誘導した。
ミチ以外にも、高齢者たちがPLAN 75を受け入れてしまっている描写が随所に挟まれている。旅先を決める感覚で死に場所を選び、“無料”や“寂しくない”などの安易なワードに惹かれてしまう。一部、PLAN 75に反対する勢力はいるようだが、劇中では大々的に取り上げられることはない。国に対して反旗を翻すことはなく、渋々受け入れてしまう日本人らしい部分が描写されている。
一方、PLAN 75がある日本では、若者たちも無事では済まない。PLAN 75は雇用を生み出したという側面もあるが、岡部や成宮は間接的に高齢者の死に加担していたことになる。
ふたりに共通するのは、リアリティのなさだ。当初の岡部は書類やマニュアルをとおして高齢者たちと接していた。成宮も電話をとおして間接的にミチと関わっていたため、彼女の死に対するリアリティがない。それが一転、電話や書類の向こうではない、現実に起きているできごとに目を向けたことで、ふたりは徐々に変わっていく。
フィリピン出身のマリアのエピソードも重要だ。彼女には難病を患った幼い娘がいて、お金を必要としている。そして、亡くなった高齢者たちの遺品整理の仕事をすることで、介護よりも高い給料を貰うことになった。75歳以上の高齢者が亡くなることで、幼い子どもの命を繋いでいるという皮肉的な構図は、本作がもっとも描きたかった部分ではないだろうか。
ハッピーエンドではないラスト
本作は死ぬことを拒否したミチが、美しい夕日を眺めて幕を閉じる。死を覚悟していたミチが、生きることの素晴らしさをあらためて実感したと受け取る人もいるだろう。しかし、彼女に待っているのは、本当にハッピーエンドだろうか。
残酷なことではあるが、ミチの状況は変わっていない。仕事がないことも、家がないことも、なにひとつ解決していないのだ。PLAN 75の犠牲者になることは避けられたが、ミチの人生はこの先も苦労が続くだろう。
本作は「生きてればいいことあるよ!」なんて、中身のない軽い言葉で括れる映画ではないし、あのラストが「死の間際に見た幻想だった」とまとめることもできない。ハッピーエンドに見えるラストも、実は恐ろしさを孕んでいて、PLAN 75を肯定する気など毛頭ないことが伺える。
また、若者たちもけっして安泰ではない。この映画に登場する高齢者は、岡部や成宮ら若者たちの未来の姿だ。高齢者がみずから死を選ぶような世の中で、若者が幸せに暮らせるとは到底思えない。そもそもPLAN 75をはじめたことで、若者たちは豊かになったのだろうか? 劇中で描かれた炊き出しのシーンでは、高齢者よりも、若者の姿が目立っていたが……。
この映画で描かれるのは、すべてがフィクションではない。ミチのような高齢者は少なからず存在し、高齢化社会に対して不安を抱く若者も多くいる。『PLAN 75』が描いたのは破滅に向かいつつあるかもしれない、日本の“今”なのだ。
『PLAN 75』作品情報
監督・脚本:早川千絵
製作国:日本、フィリピン、フランス、カタール
(C)2022「PLAN75」製作委員会 / Urban Factory / Fusee