全世界興収1億ドルを突破し、A24史上最大のヒット作となった『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022年)。コインランドリーを経営する中国系アメリカ人のエブリンが、マルチバースを股にかけて世界を救うために奮闘する、アクション・エンターテインメント大作だ。
という訳で今回は、アカデミー賞で最多10部門11ノミネートされた『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(略してエブエブ)について、ネタバレ解説していきましょう。
映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)あらすじ
コインランドリーを経営する、中国系アメリカ人のエブリン(ミシェル・ヨー)。確定申告のために国税局に出かけると、突然夫のウェイモンド(キー・ホイ・クァン)から「世界が崩壊する危機が迫っている。それを救うのは君しかいない!」と告げられる……。
※以下、映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のネタバレを含みます。
奇想天外&予測不能。MCUよりも早く構想されたマルチバース映画
ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートによるユニット、ダニエルズ。数多くのCM、PVを手がけてきた彼らは、男と水死体との奇妙な友情(?)を描く『スイス・アーミー・マン』(2016年)で映画界に殴り込みをかけ、熱烈なファンを生んだ。
ダニエル・シャイナートは単独作として『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』(2019年)を発表しているが、どれも奇想天外&予測不能な作品ばかり。今回の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、マルチバース×カンフーというトリッキーな設定をカマして、輪をかけて奇想天外&予測不能な作品に仕上げている。
本作のヒントとなったのは、ロス・マケルウィー監督のドキュメンタリー映画『シャーマンズ・マーチ』(1985年)。ダニエル・クワンのコメントを引用してみよう。
「この奇妙で自滅的な映画では、ドキュメンタリー監督であり主人公でもあるロス・マケルウィーが、様々な女性の間を行き来している。彼が出会った女性の一人が言語学者で、様相実在論について語るんだ(筆者注:すべての可能世界は存在しており、実際の世界と同様に現実であるという、哲学者デイビッド・ルイスによって提唱された理論)。そして僕は多元宇宙論について研究し、学び始めたんだよ」
(ダニエル・クワンへのインタビューより抜粋)
『シャーマンズ・マーチ』から刺激を受けたダニエルズは、さっそく『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のプロジェクトを始動(ワーキング・タイトルは『Bubbles』(泡)だったという)。だがその間に、同じくマルチバースを扱った『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年)が公開されてしまう。彼らは、「やばい、今までやってきたことが先を越される!って感じで、ちょっと動揺したよ」と正直に告白している。
もう一つ、ダニエルズが「先を越されてしまった!」と感じた作品があった。天才科学者リックが、孫のモーティと一緒にマルチバースを冒険するアニメ『リック・アンド・モーティ』(2013年〜)だ。
「『リック・アンド・モーティ』の第2シーズンを見ていて、本当に苦しかったよ。僕らがオリジナルだと思ってたアイデアを、もう全部やっちゃっているんだからね。本当にフラストレーションがたまる経験だったよ。だからこのシナリオを執筆している間は、『リック・アンド・モーティ』を観るのをやめたんだ」
(ダニエル・クワンへのインタビューより抜粋)
一連のMCU作品でマルチバースはすっかり馴染み深いものとなったが、それよりも前にダニエルズはこの奇想天外なプロットを準備していたのである。先見の明、ありすぎ!
当初のシナリオではウェイモンドが主人公で、ジャッキー・チェンがその役にオファーされていたという。だが最終的にエヴリンが物語の中心として書き直され、アジアを代表するレジェンド女優ミシェル・ヨーが主演を務めることに。ウェイモンド役にはキー・ホイ・クァンがキャスティングされた。
キー・ホイ・クァンといえば、子役時代に『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)、『グーニーズ』(1985年)という大ヒット作品に出演。80年代はアイドル的な人気を博していた。だがその後は人気が低迷し、2002年に俳優からの引退を表明。裏方に活躍の場を移していた。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は彼にとって、およそ20年ぶりとなる俳優復帰作なのである。
この事実そのものが、何だかパラレルワールド的、マルチバース的ではないか!
「パラレルワールド」、「アルファバース」、「バースジャンプ」、「ジョブ・トゥパキ」とは?用語を解説!
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』には、突飛な設定がいくつも仕掛けられている。
パラレルワールド
パラレルワールドとは、ある世界から分岐して新しい世界が作られる並行宇宙のことである! …といってもよく分からないので、ウェイモンドがエヴリンに説明するシーンを抜粋してみよう。
エブリン:「私は何一つ取り柄がない」
ウェイモンド:「そのとおり。何千ものエヴリンを見たが君はその誰とも違う。目標を立てては挫折し、夢を抱いては諦めた。最低の自分を生きてる」
エブリン:「ソーセージよりマシ」
ウェイモンド:「分からないか?君の失敗が別のエヴリンの成功に枝分かれする。普通な似通った人生の道をいくつか持つだけ。でもこの世界の君は、何でもできる。何もかもひどすぎるから」
この説明によれば、人生の選択ごとに新しい宇宙が生まれることになる。女優、料理人、歌手、カンフーの達人…。あり得たかもしれない“もう一つの人生の可能性”、それがパラレルワールドなのだ。
アルファバース
パラレルワールドによって生じた別宇宙、そのうちの一つがアルファバース。アルファ・ウェイモンドは、世界を救うためにそこからやってきた。
バース・ジャンプ
左右の靴を履き替えたり、突然「愛している」と言ってみたり、お尻の穴にトロフィーをブチ込んでみたり。統計的にありえない奇妙な行動をとることでパラレルワールドにジャンプし、その世界でのスキル、記憶、身体にアクセスできる技術、それがバース・ジャンプである。いや、自分でも書いてて訳が分からないのだが、とにかくそういう設定である。
ジョブ・トゥパキ
本作の最強ヴィラン、ジョブ・トゥパキ。ブラックホールのような“エブリシング・ベーグル”を使って、全てのマルチバースを破壊しようと目論む。その正体は、心が完全に分裂してしまったエヴリンの愛娘ジョイだった。
アルファ・ウェイモンドが、バースジャンプを使いすぎて疲弊するエブリンに向かって「君の心は水を溜めた土鍋。シャンプのたびに亀裂が入る。だが訓練で塞げるようになる」と語っていたが、おそらくジョイもバースジャンプによって心に亀裂が入り、ジョブ・トゥパキへと変貌を遂げたのだろう。
ちなみにジョブ・トゥパキという謎すぎる名前は、アナグラムでも暗喩でもなく、ダニエルズが意図的に“全く意味を持たないランダムの集合体”とのこと。
ベーグル
本作の最大の謎、それがベーグルだろう。これについては後述します。
『マトリックス』、『2001年宇宙の旅』、『レミーのおいしいレストラン』…様々な映画からの引用
コメディ、アクション、ホラー、SF、あらゆるジャンルをゴッタ煮した本作は、様々な映画の引用に満ちている。その一端を紹介しよう。
『マトリックス』(1999年)
『マトリックス』(1999年)には、主人公ネオ(キアヌ・リーブス)があらゆる格闘技術をダウンロードして体得するシーンが登場するが、この設定はパラレルワールドにジャンプすることでスキルを得るバースジャンプとよく似ている。またヘッドセットを使ってウェイモンドが出口を指示するくだりは、『マトリックス』で公衆電話の場所を指示するシーンのオマージュだろう。
『花様年華』(2000年)
夜の路地裏で、映画スターのエヴリンがウェイモンドと会話する場面。大人のムードがムンムンのこのシーンは、ウォン・カーウァイ監督『花様年華』(2000年)の参照だろう。キー・ホイ・クァンは、この作品の続編『2046』(2004年)の助監督を務めていることから、ちょっとした内輪ネタにもなっている。
『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)
エヴリンが夫ウェイモンドとの人生の幸せな瞬間を垣間見るシーンで、ウェイモンドの「That’s very funny,(とても面白い)」というナレーションが入る。これは『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)のエンディングで、キー・ホイ・クァン演じるショート・ラウンドが、象から転げ落ちたウィリー・スコット(ケイト・キャプショー)を笑い飛ばす時のセリフと同じもの。
『2001年宇宙の旅』(1968年)
ホットドッグのようなヘロヘロの手で、骨を砕こうとする類人猿たち。これは明らかに『2001年宇宙の旅』(1968年)の有名なオープニングのパロディーだ。その時にかかるリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』の音楽も下手すぎてヘロヘロだが、これはダン・クワン監督自身のトランペットによるもの。
『パプリカ』(2006年)
映画スターのエヴリンが、完成披露試写会で自分の主演映画を観ているとき、偽のエンドクレジット・シーンが流れる。これは今敏監督の『パプリカ』(2006年)を参照したものだろう。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』(2005年)
コインランドリーの常連客ビッグ・ノーズ(ジェニー・スレイト)が、洗濯物を受け取るために提示するチケット番号が「42番」。これは『銀河ヒッチハイク・ガイド』(2005年)で、「人生、宇宙、そしてすべてに関する究極の疑問の答え」として有名な番号だ。
『レミーのおいしいレストラン』(2007年)
天才シェフの“ネズミ”レミーが見習いシェフの頭に乗っかって、アレコレと指示して一流の料理を次々と生み出していく『レミーのおいしいレストラン』(2007年)。そしてこの『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』では、“アライグマ”を頭に乗せた若いシェフが登場する。あからさますぎるくらいに、あからさまな引用だ。
そのアライグマの声を演じているのは、『トイ・ストーリー』(1995年)や『モンスターズ・インク』(2001年)など、数々のピクサー作品の音楽を担当してきたシンガーソングライターのランディ・ニューマン。このキャスティングもピクサー作品に対する目配せだろう。
“エブリシング・ベーグル”=虚無
全てのマルチバースを破壊しようとする、“エブリシング・ベーグル”。そもそもベーグルとは一体何を象徴しているのだろうか?それはズバリ、虚無である。
自分のことなんて、家族は誰も理解してくれない。そんなジョイの虚無感=ニヒリズムが、やがて全てのマルチバースを覆い尽くし、世界を破滅へと誘おうとするのだ。中心に穴が空いたベーグルの形状は、数字の0(ゼロ)によく似ている。意味的にも図像的にも、“何もない”という虚無をはっきりと指し示している。
そして『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』には、ベーグルのモチーフ=“円”が繰り返し登場する。税務署のディアドラ(ジェイミー・リー・カーティス)は、カラオケマシンのレシートに黒い円を描きこんでいた。エヴリンが映画スターの世界では、マンホールの蓋に黒い円が描かれていた。エヴリンに心の眼が開いた瞬間、額には“第三の目”が現れた。そしてエブリンは離婚届にサインする前に、ウェイモンドとの関係を「ぐるぐる回っている」と表現している。
エブリシング・ベーグルには黒い円の中心に白い円があるが、ウェイモンドが付けているグーグルアイには白い円の中心に黒い円がある。ジョイのニヒリズムに対して、いつもお気楽なウェイモンドはアンチ・ニヒリズムを表象しているのだろう。
ダニエル・クワンはこうコメントしている。
「(ベーグルには)2つの効果があった。ニヒリズムについて、あまり目くじらを立てずに話すことができるようになったこと。そして、マクガフィン(終末装置)を作ることだ。映画の前半ではベーグルが世界を破壊しに来たと思わせておいて、後半でベーグルが自分自身を破壊しようとしている鬱病患者であることがわかる。アクション映画のすべてを、より個人的なものに変えることができるんだよ」
(ダニエル・クワンへのインタビューより抜粋)
ダニエルズは、「虚無に陥った娘を母親が救う」というミニマムな親子の物語を、「虚無に覆われた世界を母親が救う」というマキシマムな物語に飛躍させてみせたのだ。
筆者がこの映画を観たとき、一番最初に感じたのはファンタジー映画の傑作『ネバーエンディング・ストーリー』(1984年)との類似性である。物語の舞台ファンタージェンは、世界をブラックホールのように呑み込む“無”によって、壊滅の危機に瀕していた。
ファンタージェンの正体は、人間の豊かな想像力によって作られた空想の世界。そして“無”の正体とは、人間が物語を必要としなくなり、世界への絶望から生まれたものだった。そう、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』と非常にアウトラインがよく似ている。
原作のミヒャエル・エンデ著『はてしない物語』の扉絵は、それぞれの尾を咬んでいる二匹の蛇。これも、“円”のモチーフだ。
マルチバース、移民、LGBTQ、多言語…映画のトレンドが全て詰まった作品
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』には、ここ数年のスパンで描かれてきた映画のトレンドが全て詰まっている。
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021年)や『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』(2022年)のようなマルチバースの映画であり、『ミナリ』(2020年)や『FLEE フリー』(2021年)のような移民の物語であり、『ムーンライト』(2016年)や『君の名前で僕を呼んで』(2017年)のようなLGBTQの物語であり、『ドライブ・マイ・カー』(2021年)のような多言語の物語だ。
…そう、この“多言語”というのはかなり重要なファクター。『ドライブ・マイ・カー』で多言語が指し示すものは、他者とのディスコミュニケーションだった(詳しくは拙稿 【ネタバレあり】映画『ドライブ・マイ・カー』はなぜ世界的に高い評価を受けたのか?徹底考察 をご一読ください!)。
実はエブリンは、父親には広東語で話しているが、ウェイモンドには北京語で話している。そしてジョイには中国語と英語で話しかけ、彼女は流暢な英語と下手な中国語で返事をする。言語の壁によって世代のギャップが存在しているのだ。『ドライブ・マイ・カー』と同じく、多言語が他者とのディスコミュニケーションを表している。
そして何よりもこの映画は、普遍的な家族の物語でもある。ジョイが「あらゆる全てのものをベーグルに乗せた」と語っていたように、「あらゆる全ての要素を映画に乗せた」作品なのだ。狂気に満ちた想像力を駆使して。
映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
公開日:2023年3月3日(金)TOHOシネマズ 日比谷 他 全国ロードショー
監督:ダニエル・クワン ダニエル・シャイナート『スイス・アーミー・マン』
出演:ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァン、ステファニー・
配給:ギャガ
公式サイト:https://gaga.ne.jp/
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※2023年3月7日時点での情報です。