【ネタバレ】実写映画『バービー』ラストシーンの意味は?マーゴット・ロビーがバービーを演じる理由とは?徹底考察

ポップカルチャー系ライター

竹島ルイ

世界で一番有名なファッション・ドールを、マーゴット・ロビーライアン・ゴズリングの共演で実写映画化した『バービー』。アメリカでは、公開された最初の週末だけで1億5500万ドル(約220億円)の興行収入を記録し、2023年最大のオープニング興収となっている。(※2023年8月7日時点)

という訳で今回は、ピカッピカでキラッキラな話題作『バービー』についてネタバレ解説していきましょう。

映画『バービー』(2023)あらすじ

完璧で夢のような毎日が続く、ピンク色に彩られた世界「バービーランド」。そこでは、様々なバービーと様々なケンが暮らしていた。毎夜繰り広げられるパーティ、ドライブ、サーフィン。だがある日、バービーの体に異変が起こる。その原因を解き明かすため、彼女はケンと一緒に人間の世界に旅に出ることとなった。

※以下、映画『バービー』のネタバレを含みます

女性のエンパワーメントを象徴する存在としてのバービー

筆者は人形遊びをしたことがない。だから、バービー人形に対して何の思い入れもない。果たして世の女性たちは、世界で一番有名なファッション・ドールに対してどのような感情を抱いているのだろうか?

この原稿を書くにあたり、小さい頃にバービーで遊んだことがあるという知人の女性に尋ねたところ、「スタイルが良すぎて、身近な存在には感じられなかった」という答えが返ってきた。うーむ、なるほど。長い脚、細いウエスト、美しいブロンド・ヘアー。どうやらバービーという存在は、隣にいるお姉さん的な等身大キャラではなく、もはや非現実的キャラであるらしい。

確かにバービー人形は、生みの親であるルース・ハンドラーが1959年に発表した時から、批判を浴び続けてきた。常人離れした体型(バービーと同じ体型の女性は10万人に1人、という大学の研究結果もある)は、必要以上にスーパーモデル信仰を助長させてしまった。女性の身体が性的対象として見られてしまうことから、反フェミニズム的と批難されることもあった。映画の中でも、非現実的すぎる美の象徴として君臨するバービーを、ティーンエイジャーのサーシャ(アリアナ・グリーンブラット)が否定的に語るシーンがある。

その一方で、バービーは女性のエンパワーメントを象徴する存在でもあった。ジェンダーバイアスに縛られず、パイロット、サッカー選手、宇宙飛行士、消防士、ニュースアンカー、政治家など、バービーには100を超える職業のバリエーションがある。彼女たちは、性別によって将来の可能性を限定させない、ドリームギャップを埋めるアイコンだった。

多様性の時代を迎えて、販売元のマテル社は、ふくよかだったり、小柄だったり、褐色の肌だったり、様々な体型・肌の色の人形を販売。最近では補聴器や義肢、車椅子に乗っているバービーも登場している。皮肉なことに、金髪ブロンドで8頭身スタイルのスタンダード・タイプの方が、時代にそぐわない存在になってきているのだ。

ステレオタイプがステレオタイプから脱却する物語

スタンダード・タイプのバービーを演じているのは、今作のプロデューサーも兼任しているマーゴット・ロビー。バービーを実写化するにあたって、彼女ほどのハマリ役もいないだろう。監督のグレタ・ガーウィグは、彼女についてこう語っている。

「極上の美しさ、陽気さ、親しみやすさをそなえた金髪の女性が誰かと考えたとき、マーゴットしか思いつかなかった」

彼女の名前が知られるようになったのは、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)で主人公ジョーダン・ベルフォート(レオナルド・ディカプリオ)の妻ナオミを演じてからだろう。

ナオミは世の男性が理想とする、典型的なブロンド美女。ある意味で、『バービー』のスタンダード・タイプと同じような属性を与えられた存在だ。そこからマーゴット・ロビーは、『スーサイド・スクワッド』(2016)のハーレイ・クイン役、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』(2017)のトーニャ・ハーディング役、『バビロン』(2022)のネリー・ラロイ役と、キャリアを積み重ねていった。彼女は自らの手で、ステレオタイプの役柄から脱却したのである。

『バービー』もまた、“死”を考えることをきっかけにして、スタンダード・タイプ・バービーがアイデンティティに悩み、次第に自分自身を確立していく物語。「ステレオタイプがステレオタイプから脱却する」という意味で、マーゴット・ロビーのキャリアと映画は完全に重なっている。彼女がバービーを演じることになったのは、いわば必然だったのだ。

同時にこの作品は、ステレオタイプとしての男性性から男性が解放される物語でもある。現実世界に足を踏み入れ、父権的社会を目の当たりにしたケン(ライアン・ゴズリング)は、バービーランドも女性を屈服させる「男の社会」に変えようと目論むが、あえなく失敗。誤りに気づいたケンはバービーに自らの行為を詫び、さめざめと泣く。

筆者はなぜかこのシーンで、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021)を思い出した。西島秀俊演じる家福悠介が、妻に抱いていた感情をみさき(三浦透子)に吐露し、人目を憚らず慟哭する場面を。

『ドライブ・マイ・カー』は、トクシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)を真正面から描いた作品ではない。だが濱口竜介監督自身、「男性で、しかも年長者になりつつあるということは、気がつかないうちに強者の態度を取る罠にはまる可能性がある」、「男性を描く場合にリアリティを持ってできたのが、弱さを認めるということ」と発言している(FRAUのインタビューより)。「強者の態度を取る罠」から抜け出し「弱さを認める」こと、つまり泣くという行為そのものが、ステレオタイプとしての男性性からの解放なのだ。

バービーはバービー、ケンはケン。ジェンダー、国籍などあらゆる属性を引き剥がし、本当の自分自身を見つめ直す過程を、『バービー』は描いている。

「マンブルコア」の旗手、グレタ・ガーウィグ

グレタ・ガーウィグが『バービー』を監督すると聞いたとき、筆者はちょっとした違和感を覚えた。彼女は、インディペンデント映画の潮流のひとつ「マンブルコア」の旗手。バービーランドを舞台にしたファンタジー映画に、彼女は不釣り合いに思えたからだ。

ただその一方でグレタ・ガーウィグは、「何者でもない自分が、何者かになっていく物語」を一貫して描き続けてきた映画作家といえる。主演・脚本を務めた『フランシス・ハ』(2012)は、プロ・ダンサーを目指しつつ漫然とした日々を送っていたフランシスが、新しい人生を歩み始めようとする物語だった。

『レディ・バード』(2017)は、自分探しを続ける17歳の少女クリスティン(シアーシャ・ローナン)が、自分の場所を見つけるまでの物語。そして『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019)は、メグ(エマ・ワトソン)、ジョー(シアーシャ・ローナン)、エリザベス(エリザ・スカンレン)、エイミー(フローレンス・ピュー)の4姉妹たちが、女性として自立していく物語だった。

そして『バービー』もまた、ファンタジーと現実を行き来しながら、何者でもない自分(ステレオタイプ)が何者かになっていく物語である。そう考えれば、彼女が監督に抜擢されたのはナイスな人選だったといえる(違和感を覚えると言った前言を撤回します)。

グレタ・ガーウィグは本作の脚本を書くにあたって、セラピストのメアリー・パイファーが1994年に発表した書籍『Reviving Ophelia:Saving the Selves of Adolescent Girls(甦るオフィーリア:思春期の少女たちの自我を救う)』からインスパイアを受けたという。Amazonにある紹介文を引用しよう。

思春期の混乱から抜け出そうとしている少女たち自身の、勇敢で大胆不敵、そして正直な声で語られる『蘇るオフィーリア』は、重要な戦術、共感、強さを提供し、若い心が再び花開き、自己の感覚を再発見し、再活動できるような変化を促す、呼びかけの書である。

思春期の少女に対する社会的圧力を訴えたこの書籍は、女性たちの希望の光となったことだろう。そのエッセンスを『バービー』にまぶせることによって、この映画は力強いウーマン・エンパワーメントな一作となっている。

ファンタジーの世界から、現実の世界へ

ファンタジーとしてのバービーランドを抜け出して、現実の世界へと飛び出していくバービー。そこに、ジム・キャリー主演作『トゥルーマン・ショー』(1998)との類似性を見出す者もいるだろう。確かにこの作品も、リアリティ番組の巨大なセットで生まれ育ったトゥルーマンが、現実の世界へと旅立とうする物語だった(実際にグレタ・ガーウィグは、本作を製作するにあたって『トゥルーマン・ショー』監督のピーター・ウィアーに電話をかけ、アドバイスを求めたという)。

もしくは、『オズの魔法使』(1939)。この作品もまた、竜巻に巻き込まれて不思議の国オズへと飛ばされてしまったドロシーが、故郷のカンザスに戻るために奮闘する物語だった。ファンタジーの世界から現実の世界へと戻ろうとする物語は、枚挙にいとまがない。

だが『バービー』が特徴的なのは、彼女がファンタジーの世界(バービーランド)を否定的に捉えて現実世界へと逃避するのではなく、むしろ自分がかつていた場所を肯定しつつ、新しい自分を見出すために飛び立っていったことだ。本作のプロデューサー、デイヴィッド・ヘイマンはこう語っている。

「人間であることは美しい。そんな考えを探求していくうえで、バービーはすばらしいキャラクターであり、その手段を提供してくれた。バービーランドでは毎日が完璧な日で、バービーという人形は理想を体現している。でも本作のバービーは、最終的に人生という不完全さや厄介さを受け入れていく」

ラストで、バービーは自らをバーバラ・ハンドラーと名乗っている。バービー人形の生みの親・ルース・ハンドラーの実の娘の名前だ。不老不死の人形から生身の女性となった彼女は、初めて婦人科を受診する。筆者は最初このラストシーンを観たとき、自分自身が永遠の生をまっとうするのではなく、子供からそのまた子供へと、生を受け継ぐ存在になる可能性を示唆したものだと感じた。完全無欠のファッション・ドールではなく、欠点だらけの人間の子供を産む可能性を示唆したものだと思っていた。だが、バス停で出会った老婦人に「きれい」と言ったように、いつか死にゆく運命にある身体を獲得したことを、バービー自身が素直に祝福するシーンであるとも感じている。

いずれにせよ、「人生という不完全さや厄介さを受け入れていく」物語として、このラストは多くのものを問いかけている。

※最新の配信状況は、各動画配信事業者の公式サイトにてご確認ください。

※2024年3月11日時点でのVOD情報です。

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