【ネタバレ】映画『福田村事件』を考察。田中麗奈演じる妻・静子が問いかけるもの。関東大震災直後なぜ人々は加害者になったのか

関東大震災直後に起きた事件を描く森達也監督の初劇映画『福田村事件』。凄惨な事件はなぜ起きたか、澤田智一の妻・静子やジャーナリスト・恩田楓が伝えようとしたことは何か。平澤計七とは? 実際の事件も踏まえながら考察する。

オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』や佐村河内守氏の「ゴーストライター問題」を題材にした『FAKE』など、センセーショナルな作品を発表し続けてきた森達也監督の初劇映画『福田村事件』。関東大震災の直後に実際に起きた「福田村事件」を震災前から描くことで、デマを信じてしまう人々の心理や社会状況を丁寧に解き明かし、群像劇のスタイルを用いて多様な視点で見つめているのが特徴。福田村に戻ってきたある夫妻、地元住民、新聞社、香川からの行商団、そして東京の活動家など、それぞれの側面から、なぜこのような凄惨な事件が起きてしまったのかを、人間心理に深く切り込み明らかにしている。

澤田智一の妻・静子やジャーナリスト・恩田楓は何を伝えようとしていた? 平澤計七とは? 実際の事件も踏まえながら考察する。

映画『福田村事件』あらすじ

舞台である福田村に、妻の静子(田中麗奈)とともに、澤田智一(井浦新(ARATA))が朝鮮半島から帰郷したところから物語は始まる。村ではシベリア出兵で夫を亡くした島村咲江(コムアイ)や咲江と関係を持つ田中倉蔵(東出昌大)、父・貞次(柄本明)と妻・マス(向里祐香)の関係を疑う井草茂次(松浦祐也)など、様々な事情を抱えながら人々は暮らしていた。同じころ、沼部新助(永山瑛太(瑛太))率いる香川から来た行商団が福田村を目指していた。政情不安な社会で朝鮮人に対する差別的感情が強まりつつある空気の中、関東大震災が発生。混乱と疑心暗鬼はまたたく間に広がり、「朝鮮人が井戸の水に毒を入れた」というデマが飛び交い、福田村にも自警団が結成される。そして、行商団が福田村に到着すると、彼らは朝鮮人ではないかとの疑いを向けられてしまう。

映画の題材となった「福田村事件」とは

本作は実際の事件を題材としており、森監督は参考書として『福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇』辻野弥生著/崙書房出版(現在は五月書房新社より増強改訂版として出版)を上げている。本書では、「福田村事件」のいきさつや、関東大震災が起きた当時の状況を日記や詩、新聞記事など引用をしながら説明している。事件の解説にあたり、この章でも参考文献とした。

「福田村事件」の概要

「福田村事件」とは、千葉県東葛飾郡福田村大字三ツ堀(現代は野田市)で1923年9月6日に発生した、民衆による虐殺事件。事件の5日前には関東大震災が起こり、朝鮮人に関するデマの流布や、それに乗じた事件が勃発するなど日本は混乱状態にあった。そんな折、福田村には、香川の行商団が訪れていた。彼らの聞き慣れない讃岐弁に、自警団は「朝鮮人ではないか」との疑心暗鬼に駆られ、暴動が発生。行商団は行商用の鑑札(行商を公的機関から認められた証)を持っていたにもかかわらず、年端も行かぬ子どもや妊婦を含む9名(胎児を含むと10名)が殺害される凄惨な事件へと発展した。この事件に関わった福田村および田中村の計8名が逮捕され刑が課せられたが、1926年12月25日、大正天皇死去による恩赦で、全員無罪放免となった。

朝鮮人虐殺が起こった歴史的背景

福田村事件の概要だけをなぞると、「自警団はなぜ朝鮮人をあぶりだそうとしていたのか」と疑問に思うだろう。

事件から遡ること13年前の1910年。朝鮮半島は韓国併合により日本の統治下に置かれ、日本国内でも多くの朝鮮人が北総鉄道の敷設工事をはじめ、地方のインフラ整備に従事していた。その労働環境は低賃金で過酷なものだったようだ。1919年には朝鮮で激しい独立運動(三・一運動)が起こり、それ以降、運動は活発化していく。その事から日本では反抗的な朝鮮人を指す造語なども生まれていた。(映画の中では、「(朝鮮人が)この機に乗じて日頃の恨みをはらそうとしている」というセリフがあるが、当時の民衆が抱く後ろめたさと不安を的確に言い表したセリフと言える。)

その後、1923年9月1日に関東大震災が発生。書籍の中では以下のように触れられている。

関東大震災が語られる際に、必ず登場する言葉が「流言蜚語」である。流言は分かるにしても、蜚語とは耳慣れない言葉だ。蜚語を漢和辞典でひくと、だれ言うとなく伝わった噂とある。(中略)避難所を求めて逃げまどい、余震におびえ、パニック状態の民衆のなかに、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」、「俺たち日本人を皆殺しにしようと火をつけた」など、根も葉もない流言蜚語(デマ)が飛び交い始め、それはあたかも枯草に放たれた火のように、たちまちにして人々の間を駆け抜けた。
(『福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇』辻野弥生著/五月書房新社/2023年/デジタル版272ページより抜粋)

そのようなデマを受け、翌日には帝都より戒厳令が敷かれた。また、内務省警保局長の名で流言が全国に打電されたことも後押しし、各地で軍人や自警団により多くの朝鮮人が無惨に殺される事件が多発した。一連の事件の犠牲となったのは朝鮮人だけでなく地方出身の日本人も含まれていたという。福田村事件はそんな事例の一つだった。

だが、朝鮮人に対する噂が事実無根だと気付き始めた警視庁は同年9月3日には朝鮮人を迫害するものに注意するようにと署内に通達。朝鮮人が震災後の復興にも大きな戦力になっていたことも明らかになっている。

福田村事件のその後

凄惨な事件だが、その真相の解明や追悼が行われるまでには長い年月を要している。大震災後、虐殺事件については新聞記事にも統制がしかれ、福田村事件が初めて報じられたのは事件から55日が経過した1923年10月30日のことだった。その翌月には事件の初公判も行われたが、被害者の遺族や関係者には知らされず、地元香川の新聞社でも報道は行われなかったようである。事件を生き延びた被害者は半年後に香川に戻り親族に知らせることができた。しかし、あまりに残虐な出来事に抗議することはできなかったという。

事件から55年後の1978年、「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」が立ち上がる。福田村事件は村の記録にも残されていなかったが、委員会発足が調査のきっかけとなった。1986年には惨劇を生き延びた被害者への聞き取りが行われ、2000年には慰霊碑の建立と、犠牲者はもちろん沈黙を続ける加害者の解放を目指し香川県で「千葉福田村事件真相調査会」が結成された。同会の報告会は四国新聞やNHKでも取り上げられ、同年には千葉県で「福田村事件を心に刻む会」が発足した。2003年には事件の現場近くに慰霊碑が建立された。

 *以下、ネタバレを含みます。

【考察】平澤計七の「亀戸事件」が取り上げられた理由

本作は福田村事件が起きた顛末を中心に描いているが、当時の混乱の中で殺害されたのは朝鮮人だけではなかった。ターゲットとなったのは、当時、国家体制へ批判的な言論活動をしていた人物や活動家たちだ。そんな事例の一つとして、プロレタリア演劇の祖と呼ばれる平澤計七を含む10名が警察によって殺害された「亀戸事件」にも触れられている。

現実に存在した平澤計七は演劇や執筆活動だけでなく、生活協同組合や労働金庫の設立に尽力。労働組合を結成して労働者のための活動を展開していた。治安維持法の前身である「過激社会運動取締法案」が国会で審議された際には、デモを組織し廃案に追い込む活躍を見せた人物だ。しかし、それゆえに当時の支配層からは危険人物とみなされており、大震災の混乱のさなかに亀戸警察署によって捕らえられ他の活動家たちとともに殺害されることになった。この事件は発生から一カ月以上経過してから発覚し、事件に関与した人物たちは罪に問われることなく不問に付されたと言われている。

作品内にも平澤計七(カトウシンスケ)が登場し、このエピソードが挿入されている。社会が大きく混乱する時、権力はそれに乗じて都合の悪い存在を弾圧することがあることを示すためだろう。民衆の混乱と権力者たちの暴走はどちらも恐ろしいものだと本作は描いている。

【考察】「架空」が伝えるメッセージ

森監督は『福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇』の増強改訂版発行にあたり寄稿をしており、これまでの監督の作品を交えながら映画への想いや問題点を書いている。そのことは是非書籍を読んでいただきたいが、ここで「映画はフィクションだ」と述べていたことを考えたい。森監督と映画ライター森直人氏の対談の中でもフィクションならではの挑戦について語っている。事実をもとにはしているが劇映画である以上、エンターテインメントであり作品なのである。だからこそ「架空」の部分に、メッセージが込められているように思う。

澤田静子が突きつける問題。差別を傍観した者は共犯者か

「よかった、奥さんが日本人で」「鮮人*が売ってるものは何が入ってるかわからんぞ」
*鮮人は差別表現だが、台詞のまま表記。

この作品は、終始にわたり差別表現が強烈に散りばめられている。その中で、本作の主要登場人物である澤田夫妻は、虐殺に加担するわけでもなければ、差別を受けるわけでもない。かつて教師をしていた夫・智一は、帰郷後は慣れない農業に従事している。彼はかつて日本人による朝鮮人の無差別殺傷事件(提岩里教会事件)の現場に居合わせていたことを明かす。そして朝鮮の土地で暮らすために学んだ朝鮮語を朝鮮人を殺すために使われ、絶望したことも。そのことを妻に打ち明けた時、妻の静子は「ひどいことをしたのね、私にも」と悲しげに告げる。

澤田の性愛的な不能については、前段にあげた対談の中で、「政治的な無力と重ねている」と言及されている。智一は虐殺を傍観していたように、静子と田中倉蔵の不貞行為をただ黙って眺めていた。その姿勢を静子は糾弾しているのだろう。

静子は日韓併合後に朝鮮半島にできた会社「東洋拓殖」の重役の娘という設定で、朝鮮半島にも縁のある人物。高級そうな服に身を包み優雅な喋り方をする彼女は、当時の状況からは浮いた特異な存在だ。自分の朝鮮名を言い、朝鮮料理を振る舞い、香川からの行商人を疑うことなく湯の花を買う。誰よりも差別から遠い存在として描かれているのだ。かつて差別による虐殺を止められず、行商団の危機を目の当たりにしても傍観者になろうとしている智一を叱咤し、福田村事件が勃発しそうになった時には声をあげた。それは智一にも伝搬し、2人は虐殺を止めようと行動をとる。この夫妻の描写には、差別を目撃した時、どう行動すべきなのか、傍観者もまた差別の共犯者ではないのかという問題を突き付けているように感じる。

ジャーナリスト・恩田楓が伝えること

本作には主要登場人物の1人として、架空の新聞社「千葉日日新聞」の女性記者・恩田楓(木竜麻生)が登場する。 彼女は事実をありのままに報じる信念の持ち主だが、同新聞は大震災前から朝鮮人に対する差別を助長するような紙面作りが横行していた。映画では、こうしたメディアの姿勢が虐殺の下地を作ってしまったのではないかと考察している。「報道は権力を監視する」という大前提をどこかに置き忘れた新聞社の中で一人信念を貫こうとする恩田は、福田村事件を目撃し、これを報道しようと決意を固めることになる。

この恩田と対立する編集長の砂田伸次朗(ピエール瀧)は、森監督によれば、メディアは権力を監視するというジャーナリズムの本分をかつては持っていた存在だという。しかし、反権力的なスタンスでは飯が食えないという現実に直面して、政府の態勢に迎合的な紙面作りをするようになった人物と設定したそうで、メディアと金の問題がここには凝縮されている。メディアは真実を報じるべき、しかし、儲からずに運営ができなくなればその信念も貫けない。この問題は、現代にも通じることだろう。メディアはどうあるべきかをシビアに問う存在として、恩田は重要な位置にいる。

先に記載したように、実際のこの事件は55日後に報道がされたものの、(ちなみに「東京日日新聞 房総版」にて報道)被害にあった関係者には伝えられず、また福田村の記録にも残らず半世紀以上も闇に葬られていた。「架空の千葉日日新聞の記者」が「このことを書きます」と強く誓い、後世に残す行動をとったこと、これこそ監督のメッセージなのではないか。

【考察】キャッチコピー「時代が逆流する」が示すもの

本作には「時代が逆流する」というキャッチコピーがつけられている。作中では大正時代の出来事を描いているが、現代を生きる私たちに向けられた作品だと言えるだろう。今でもデマに踊らされる人々や、そのデマを嬉々として喧伝し、差別を行う人々も存在する。

「朝鮮人だったら殺してええんか!」

福田村事件を「日本人が朝鮮人と間違えられて殺害された事件」と捉えた上でのこの台詞には脳天を撃ち抜かれる思いだった。100年前に起きた出来事を通して、今、私たちは問いかけられている。歴史の中に埋もれたこの悲劇は、ただの昔話ではない。もしかしたら、現在進行形で進む、今の物語なのではないか。この映画はそう伝えているように思えてならない。

参考文献…『福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇』/辻野弥生著 五月書房新社

※2023年9月1日時点の情報です

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