この世には美しい少女だけを主役にし、彼女たちを愛でるゴスロリ映画なるジャンルが存在します。その内容からカルト映画としての位置付けもなされ、DVDなどのソフト類は廃盤もしくはプレミア化しており、いわば彼女たちは高嶺の花のような存在でした。
しかしここ最近、HDリマスターとして再販される作品が多くなり、以前に比べ手に取りやすい環境が生まれてきています。
今回は、そんな美しい少女たちが作りあげるゴシック&ロリータの世界を紹介したいと思います。
ゴシック&ロリータの定義
ゴシック・アンド・ロリータは本来異なるゴシックとロリータの要素を結びつけた日本独自のファッションスタイルのことを言うのですが、そのようなサブカルチャーを指して言う言葉としても使われています。
闇のバイブル/聖少女の詩(1969年/チェコスロヴァキア)
ストーリーはあってないようなもので、美しい少女ヴァレリエが体感する摩訶不思議な世界を散文的かつ詩情的な映像で映し出し、それらがひたすら羅列されていくだけ。
少女ヴァレリエの未成熟な体とそれに反する大人びた外見、そして水と花と血のイメージが全編に渡ってちらつきイノセントでありながらもどこか如何わしい雰囲気を纏った作品です。こういった相反する要素が絶妙なバランスで混在することによって耽美な世界観を構築していると言ってもいいかもしれません。
また原題である『VALERIE A TYDEN DIVU』はヴァレリエの不思議な一週間という意味なのでなぜこの邦題が付けられたのかはよく分かりませんが、ゴスロリ映画のバイブル的な存在であり続けることはこれから先も永遠に変わらないのでしょう。
小さな悪の華(1970年/フランス)
黒髪の少女アンヌと金髪の少女ロール。強い絆で結ばれた二人は罪を犯すことこそが自分たちの使命だと信じ、大人たちを嘲笑った悪戯を繰り返していく…。
その反宗教的な内容からフランス本国では全面上映禁止。監督のジョエル・セリアは脚本の時点で映画を製作しても上映できないと通達されたそうです。配給会社から予算を得られないため、自分たちでお金を集め低予算で作ることになったという経緯からしてもう凄まじいことこの上ない。
彼女たちが繰り返していく残忍非道な行動は思わず目を瞑りたくなってしまうのですが、アンヌとロールの二人がそうはさせない。大人たちをじわじわと支配していくように、観ている私たちもまた彼女たちに支配されているのかもしれません。
アハハ、アハハと無邪気に笑いながらも、次第にダークサイドへと堕ちていく少女たちの過程は痛ましくて虚しい。小さな悪の華たちは大輪を咲かす前に自ら散ることを選ぶのです…。
ピクニックatハンギング・ロック(1975年/オーストラリア)
1900年2月14日、聖バレンタインデイの日。寄宿制女子学校の生徒たちはハンギング・ロックと呼ばれる岩山へとピクニックに出掛ける。柔らかな日差しが射し込む中、少女たちは微睡んでいた。しかし3人の少女と引率の教師一人が忽然と姿を消してしまう…。
話自体は岩山で神隠しに遭う少女たちという至ってシンプルなものですが、そのシンプルさ故に怪奇性が後を引く内容となっています。そしてそれを後押しするかのように白昼夢のような映像と白いレースのドレスを纏った少女たちの美しい姿が映し出されてゆく。
といっても少女たちは早い段階で失踪するためどうしても名残惜しさを感じてしまうのですが、そういった儚さを感じられる点もゴスロリ映画だからこそ味わえる感覚なのではないかと思います。
エコール(2004年/ベルギー・フランス)
ドイツの劇作家フランク・ヴェデキントが1903年に書いた『ミネハハ』という中編小説を原作にした作品です。
外界から隔離された森の中にある学校。そこで暮らす6歳から12歳までの少女たちの姿を捉えただけの作品なのにどこを切り取っても絵画的で耽美な世界が広がります。学校の教師たちもみんな女性で学校の中に限っては男性自体が出てこない。その異質ともとれる環境はまるで見てはいけない世界をこっそり覗いているかのような錯覚さえ感じるのです。
真っ白な制服と髪に結わえられた色とりどりのリボン。むき出しになった細くて長い手足。スカートとソックスの丈の長さも絶妙で(ジャケット参照)、足が一番きれいに見える長さに設定されているのが何ともいやらしいではありませんか。
それから、学年ごとに色分けされたリボンもインパクトがあり、最年少は赤、最年長は紫。間の色はオレンジ、黄色、緑、青、黒。それは少女たちが動く度に色とりどりの蝶が可憐に舞っているかのようにも見えるのです。
最年長の紫リボンの子達は初潮を迎える頃に学校を卒業し、その際にリボンを箱の中に返す。その瞬間、特別な少女から普通の少女に戻った時の呆気なさがひしひしと感じられるはず。恐らくリボンは彼女たち唯一のアイデンティティーだったのでしょう。そのアイデンティティーを失ってしまった彼女たちはあまりにも幼く、そして小さく見える。いかにリボンの存在が大きいかを思い知らされるシーンですね。
また、監督のルシール・アザリロヴィックは女性なので女性目線という角度が上手い具合に全体へ作用している作品だと思います。
ミネハハ 秘密の森の少女たち(2005年/イタリア・イギリス)
ジャケットを見てこれは『エコール』のパクリだ!と思う人も多いかもしれません。しかし、本作は前述したヴェデキントの小説『ミネハハ』を原作とした、いわば『エコール』とは姉妹作品のような作品。
外界から隔離された学校が舞台というのは変わりませんが、『エコール』より少女たちの年齢がかなり上げられているのでまた違った目線で観ることができると思います。
少女たちは大人の手によって隔離された寄宿学校へ連れてこられ、何も知ることなく厳しい規律の中でバレエと作法を学び成長していく。籠の中で穢れを一切知ることなく育てられた少女たち。
外の世界は一体どうなっているのだろう?外に出ることが出来れば果たして自由になれるのだろうか?しかし本当に自由になれる時は死が訪れた時なのだと学校付きの召使はささやく。たとえ外に出ることができたとしても、また大人たちによって白い少女たちは黒く穢されていく。少女たちが辿り着く道の果ては光が射しているのか、それとも暗雲が垂れ込めているのか・・・。
少女たちを愛でる
少女たちを愛でるという行為は虚構の中だからこそ許されること。
これらの作品はDVDが再販されていますのでこれを機に彼女たちが作り上げる美しくも闇に閉ざされた世界を垣間見てはいかがでしょうか。