オーストリアの映画監督ミヒャエル・ハネケが、新作映画『Happy End』の製作を発表、今春より撮影に取り掛かるとのことです。
出演はハネケ映画の常連であるイザベル・ユペール、そしてフランス映画界の名優ジャン=ルイ・トランティニャンの二人が決定しています。こちらは2012年の同監督作品『愛、アムール』以来の共演となります。
昨年、製作中だった『フラッシュモブ』の製作を断念した一報が入ってきただけに、今回の新作製作に心躍らせた方も多いと思います。
今回は「ハネケって聞いたことあるけど、作品は知らないなぁ」「暗い映画、敷居が高そうな映画を作ってるイメージ」という方に、彼の長編作品を5本紹介しようと思います。
戦争前夜の不穏な村にて 『白いリボン』
第一次世界大戦前夜、ドイツの村で起こる不可解な事件を描く作品。第62回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを始め、数多くの賞に輝きました。
パルム・ドールを取ったことで本作を知り、「ホラーっぽい雰囲気のサスペンスかな? 反戦ヒューマンドラマかな? 面白そうだな~」という気持ちで鑑賞して見事にノックアウトを喰らった方も多いと思います。公開時、各界からの絶賛と相反してレビューサイトに「意味不明!」の文字が並んでいた記憶があります。
本作で描かれる「闇」とは小さな村で発生した「虐げる者と虐げられる者」の縮図です。それを「ファシズムの種」と安易に考察することはハネケ監督自身が否定していますが、ファシズムの起因を寓話的に描いているのは歴然ですし、ファシズムの種が世界中で胎動していることに関する警鐘であるとも取れます。ただ一つ言えることは、「事件を起こした犯人」などは2の次3の次ということです。
ハネケ映画で唯一存在する「語り手」である教師は何者なのか。果たして本当に「白いリボン」は白いのか。頓挫した方は、今一度作中の人間関係のみを注視して再挑戦してみてください。
愛と共依存は紙一重である 『愛、アムール』
『白いリボン』に続いて第65回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。
本作は多くの方が「老老介護の実態を描いたヒューマン感動作」と捉えていますが、自分は少し違う視点から鑑賞しました。
というのも本作は、老老介護の映画という体裁を取って「病気によって半身不随となった妻は夫の手助けなしには生きられず、また夫は妻の手助けをすることでしか自身の存在を認識できない」という「愛のつらを被った共依存」を鋭く、そして醜く描いた作品なのではないかと思いました。
「ハネケらしくない作品」と形容されがちですが、そういった意味では本作はハネケのえぐさを最も端的に表している作品なのではないかと思います。初期作と比べると優しい作風であることは間違いないですが。
この映画には夫から妻へ、娘から母へ、そして娘から父へと複数の相違する性質を持った「愛」が存在します。ハネケはその裏に隠された各々の恣意的な感情を表現し、かつ「それは自然で当たり前」のことだと言い放っているのではないでしょうか。
すいません、卵もらえますか? 『ファニーゲーム』
カンヌ国際映画祭上映時、あまりの過激さに退出者続出、ブーイングの嵐、監督や批評家から抗議が殺到した大問題作。ハネケの名は知らずとも、本作を知っている人は多いのではないかと思います。
「映画史上もっとも後味の悪い作品」と言われているのはさすがに大仰かと思いますが、とにかく不快な作品です。一緒に食事をしている友人同士が揉め始めた時の「何だか険悪だなぁ」という感覚を序盤に見せ付けられ、そのまま大喧嘩に発展した時の「もうやめてくれ……」という感覚を後半たっぷり突き付けられます。ここで多くの人は「この映画の暴力は観客に向けられたものだ」と気付きます。
なお、ハリウッド版のセルフリメイクは偏執狂的なまでに同じ構図・演出・シナリオでありながらどうにもコントのようにしか見えないので、俳優のファンである、またハネケの映画をコンプリートしたい方のみ鑑賞すれば良いと思います。皆さんも卵を貰いに来た隣人にはご注意ください。
本作が好きな方には、ラリー・ピアース監督作『ある戦慄』をお勧めします。『ファニーゲーム』との共通点は「暴力シーンを見せない」ことで暴力の本質を訴えかけてくるところです。
U-NEXTで観る【31日間無料】“無関心”という究極の絶望 『ベニーズ・ビデオ』
豚の屠殺ビデオを見た少年が偶発的に少女を殺害し、両親が隠ぺい工作をはたらくというドラマです。ハネケ映画では先述の『ファニーゲーム』が”鬱映画”と名高いですが、個人的にはこちらの方が絶望度が高いと思います(また本作を『ファニーゲーム』の前身と捉えることもできます)
自己保身を最優先に考えるあまりに子供との間にズレが生じ、それが新たなズレを生じさせて歯止めが利かなくなるという「どうすることもない絶望」を冷たく放つ本作。ハネケ映画の特徴として「人間の内面に潜む渇ききった愛と悪意をメディアを通じて表現する」というものがあり、本作はその最たるものと言えます。(他には『隠された記憶』などが顕著)。
そういう意味では先述の『愛、アムール』は「愛」の、『白いリボン』は「悪意」のそれぞれ集大成的作品と捉えて良いのではないかと思います。
監督が製作を断念した『フラッシュモブ』という作品は、「ネットを介して繋がった人々のドラマ」を描く作品だったらしく、こちらは「メディア」の集大成的作品を狙っていたのかもしれません。
そして七番目の大陸へ 『セブンス・コンチネント』
最後にご紹介するのがハネケのデビュー作。『ベニーズ・ビデオ』『71フラグメンツ』へと続く「感情の氷河化」3部作の第1作でもあります。
この「感情の氷河化」3部作で強調して描かれるのは「原因・理由・背景の欠落」です。作中で起こり得るすべての出来事に動機が描かれません。本作も一見普通の家族にスポットを当て、「あれ、何だかおかしいぞ?あれ?あれれ?」と違和感を感じ始めた頃には”崩壊”が始まっています。
この映画では序盤から中盤にかけて家族の日常が淡々と綴られるので退屈で眠くなる方もいるかもしれません。が、「退屈で眠くなる」ことこそが大事で、監督の意図にまんまとはまってしまっているのです。繰り返される日常の消費に虚無を感じない人などいません。
ちなみに『セブンス・コンチネント』とは「七番目の大陸」。本来あるはずのない七番目の大陸を形容する言葉ですが、家族が最後の抵抗としてそこへ向かうことを考えると「ボリショイ劇場の9番目の柱」とは本質的に似て非なるものであることが伺えます。『愛、アムール』『白いリボン』などでハネケに興味を持った方は、あらゆる感情の起伏の一切を拒絶する本作に挑戦してみてください。
おわりに
ミヒャエル・ハネケ監督作品では演者がほとんど感情を表に出さない作風が特徴ですが、監督本人は非常に明るい人物で、コメンタリーなどを鑑賞すると作品の解釈や製作時の裏話を嬉々として話してくれる饒舌な紳士であることが伺えます。DVDを購入・レンタルされた方はぜひそちらも鑑賞してみてください。
また、2013年公開の『ドキュメンタリー:映画監督ミヒャエル・ハネケ』でもその全容を伺うことができます。
新作『Happy End』は非常に意味深なタイトルで、どんな作品になるのか筆者も今から楽しみです。
※2021年10月11日時点のVOD配信情報です。