1982年に公開され、世界中で大旋風を巻き起こしたスティーヴン・スピルバーグ監督のSFファンタジー映画『E.T.』。アメリカでは映画史上最大となる興行収入3億ドル(当時)を記録し、日本では「アメリカでは2人に1人が観ている」というコピーが話題になった。
だがこの作品は、スピルバーグの少年時代の記憶が投影された、極めてパーソナルな作品でもある。という訳で今回は、『E.T.』をネタバレ解説していこう。
映画『E.T.』(1982)あらすじ
アメリカの郊外に住む10歳の少年エリオットは、ある日仲間とはぐれた宇宙人を発見。彼は宇宙人を自宅のクローゼットに隠し、コミュニケーションをはかる。母子家庭で孤独を募らせていたエリオットと、見知らぬ惑星に取り残された宇宙人(E.T.)は次第に心を通わせ、2人はいつしか無二の親友になっていた。そんななかE.T.の存在を追うNASAの姿があった…。
※以下、映画『E.T.』のネタバレを含みます。
Amazon Prime Videoで観る【30日間無料】
スピルバーグ少年と空想の宇宙人の物語
『E.T.』は宇宙人と少年の心の交流を描いたファンタジーだが、実はスティーヴン・スピルバーグの自伝的な作品でもある。この映画には、彼にとっての最大のトラウマ……“両親の離婚”がくっきりと刻印されているからだ。
父アーノルドと母リアが離婚したのは、スティーヴン・スピルバーグが高校生の頃だった。ぽっかりと空いた心の隙間を埋めようと、彼は想像の友達をつくる。それは、地球外からやってきたエイリアン。日々の現実に絶望していた彼にとって、救いの先は宇宙にあったのだ。
その後、宇宙人が地球人を脅かす存在として描かれるのが主流だった’70年代後半に、宇宙人を友好的な存在として描いた『未知との遭遇』(1977)を撮ったのは、当然の帰結だったろう。かつて傷ついたスピルバーグ少年に寄り添ってくれたのは、地球上の人々ではなく、想像上の宇宙人だったのだから。
『E.T.』のアイディアがスピルバーグに浮かんだのは、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)を撮影中のことだった。家族や友人から遠く離れた撮影地のチュニジアで孤独感を募らせた彼は、ふと少年時代のイマジナリー・フレンドのことを思い出す。かつての友人=E.T.のことを映画にはできないだろうか?
彼はこのアイディアを、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』主演俳優ハリスン・フォードと、その恋人で脚本家のメリッサ・マシスンに熱く語る。
メリッサ・マシスンは、スピルバーグの少年時代の記憶を丁寧に拾い集めてシナリオを執筆。かくして、孤独な少年と宇宙人との交流を描いた、美しい物語が完成した。『E.T.』は『A Boy’s Life(少年の人生)』という仮タイトルが銘打たれていたが、その少年とはスピルバーグ自身に他ならない。
余談だが、メリッサ・マシスンとハリスン・フォードは『E.T.』にカメオ出演している。マシスンは看護婦役で、ハリスンは校長の役で(ただしそのシーンはカットされてしまった)。その後2人は1983年に結婚するも、2004年に離婚している。
“子供たちの視点”を徹底したスピルバーグの演出術
スピルバーグの伝記的映画なのだから、出演する子供たちはプロの子役ではなく、色の付いていない少年少女でなければならない。
主人公エリオット役のヘンリー・トーマス、兄マイケル役のロバート・マクノートン、妹ガーティ役のドリュー・バリモアは、大規模なオーディションを実施して選ばれた素人に近い子供たち。ドリュー・バリモアに至っては、抜擢されたのは演技云々ではなく「悲鳴が一番良かった」という理由だった。
メインとなる俳優は演技経験のない子供たち、しかも彼らには1日4時間までという労働時間制限がある。高難度の演出が求められるが、スピルバーグは最初から最後までを順撮りで撮影することで、子供たちの純粋なリアクションを引き出した。
さらにスピルバーグは、ヘンリー・トーマスたちを子供扱いせず、1人の役者として向き合った。
まず大人風をふかせないことが子供と仕事をするコツだね。この頃の子供は私の時代とは成長の度合いが違うから。今では10歳の子供が私の16歳だった時に匹敵する成長をとげていますからね。彼らを子供扱いしたらたちまちソッポを向かれますから。つまり、子供らを一人前の人間として扱うことですよ。
(映画パンフレットより抜粋)
演出にも趣向を凝らした。『E.T.』は、スピルバーグの少年時代を引き写した物語。あくまでも子供たちの視点から描くべきだ…そんな想いから、ほとんどのショットを子供の目の高さから撮影。大人たちは“見上げるべき存在”として描かれている。
ジーンズに大量のカギをジャラジャラさせているNASAの科学者(ピーター・コヨーテ)が、序盤で腰より上が映し出されないのは、謎の男という演出もあるだろうが、何よりも「子供の目の高さから撮影」ルールを適用させたものだろう。
「父親の不在」を埋める「仮の母親」たち
「父親の不在」は初期スピルバーグ映画に通底しているテーマだが、特に『E.T.』はその色合いが濃い。映画の中で、E.T.に遭遇したと主張するエリオットと母親が対立するシーンがある。
エリオット「パパなら信じるのに」
母親「パパに電話してみたら?」
エリオット「パパはサリーとメキシコだ」
(『E.T.』劇中シーンより)
父親は家族の元から離れ、どうやら別の女性と南米にいるらしい。スピルバーグは父アーノルドと長らく絶縁状態が続いていたが、その偽らざる想いが『E.T.』には直歳に描かれている。
だが、スピルバーグ映画で「父親」の存在は少しずつ変化していく。大きな転機となったのは、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)だろう。スピルバーグはこの作品でインディと不仲だった父親との和解を描き、自らの「父親の不在」問題にケリをつける。その後、『宇宙戦争』(2005年)では宇宙人から家族を守り抜く父親を、『リンカーン』(2012年)ではアメリカ合衆国憲法修正第13条を可決させるために尽力する強い父親を登場させている。「今でも、家族を捨てて出て行った父親に認めてもらいたい」という切ない想いが込められた最後のスピルバーグ映画、それが『E.T.』なのかもしれない。
「父親の不在」を埋めるように、この映画の主要スタッフには女性が多く参加している。製作のキャスリーン・ケネディ、脚本のメリッサ・マシスン、編集のキャロル・リトルトン……。彼の孤独を癒すのは、「仮の母親」たちだったのだ。
エリオット=E.T. ピーターパンからの決別
E.T.が冷蔵庫からビールを取り出してグビグビ飲んでいると、なぜか学校にいるエリオットが酔っぱってしまう。E.T.がテレビのキスシーンにウットリしていると、エリオットが突然女の子にキスをする。E.T.が瀕死の状態になると、エリオットもそれに連れて衰弱してしまう。
彼らは心と体が完全にシンクロした、一心同体の存在。孤独な少年時代のスピルバーグを引き写したエリオット=「現実の自分」と、E.T.=「空想の友達」とのあいだに境界線はなく、完全に同化してしまっている。もはやエリオットとE.T.は同一人物なのだ。『E.T.』というタイトルは地球外生命体(The Extra-Terrestrial)の略だが、同時にエリオット(Elliott)の最初と最後の文字になっているのは、偶然ではないだろう。
空想の友達との同化は、現実からの逃避でもある。思えば、’80年代のスピルバーグはファンタジー映画しか撮れないと中傷され、ピーターパン症候群とも揶揄されていた(実際この『E.T.』にも、ガーティに母親がピーターパンを読んできかせるシーンがある)。
『未知との遭遇』では、リチャード・ドレイファス演じる主人公ロイが家族を捨てて宇宙船に飛び乗ってしまうという、バリバリの「現実からの逃避」を描いたスピルバーグ。しかし今作で彼が描いたのは、E.T.からの誘いを断って、地球上での「Stay」を選択するエリオットの姿だ。「現実の世界に踏みとどまる」という、高らかな表明
後年、スピルバーグは大人になったピーターパンを描く『フック』(1991)で、自分の中のピーターパンからの決別を図るが、実はその10年前からその予兆は示されていたのである。
スピルバーグは、1981年に製作会社のアンブリン・エンターテインメントを設立。会社のロゴマークに使われているのは、エリオットがE.T.を自転車のカゴに乗せて満月の夜空を飛ぶ映像だ。
筆者はこのスピルバーグ作品を観るたびに、最後に流れるこの映像に涙してしまう。かつて両親の離婚に心を痛め、想像上の宇宙人をイマジナリー・フレンドにした少年は、映画監督になってE.T.をスクリーンに蘇らせた。しかしそれは、宇宙人との「交流」であると同時に「決別」でもあったのだ。両親の離婚という最大のトラウマを受け入れるために。その想いに、筆者は勝手に感動を覚えてしまうのである。
Amazon Prime Videoで観る【30日間無料】
【あわせて読みたい】
※ 『レディ・プレイヤー1』に隠された大量の“イースターエッグ”、スピルバーグが作品に忍ばせたテーマを徹底解説【ネタバレあり】
※ 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』トリビアいくつ知っている?タイムトラベル映画ならではの仕掛けを徹底解説!【ネタバレあり】
※ 『シャッター アイランド』タイトルの本当の意味とは?作品のテーマを徹底考察【ネタバレ解説】
※2020年10月1日時点の情報です。