日本の戦争を描いた映画として、今もなお多くの人々の記憶に残るのがスタジオジブリの映画『火垂るの墓』。本作が公開されたのは1988年。上映当時は『となりのトトロ』と同時上映されたという話を聞いて、驚く人も多いのではないでしょうか。
今回は、そんな往年の名作である『火垂るの墓』がなにを伝えようとしていたのか改めて読み解いていきましょう。
映画『火垂るの墓』(1988)あらすじ
「昭和20年、9月21日夜、僕は死んだ。」
終戦間もない阪急電車の駅構内。少年・清太は今にも息絶えようとしていた。
清太の持っていたドロップの箱から骨が落ちる。その骨は蛍となり、明かりを灯しながら跳び立つ。いつのまにか無数の蛍が飛び交う中、そこには清太の幼い妹・節子が居た。節子と合流した清太は、節子と一緒に電車に乗ってどこかへ行く。
車窓の向こうでは町が戦火に包まれていた。清太と節子は、母とまだ暮らしていた戦争待っただ中の頃を反芻する……。
※以下、『火垂るの墓』のネタバレを含みます。
映像化が困難だった映画『火垂るの墓』
今となっては『火垂るの墓』と言われると、スタジオジブリのオリジナル作品と思う人も多いかもしれません。
しかし実は、『火垂るの墓』には原作が存在します。1967年に野坂昭如(のさかあきゆき)によって書かれた同名の短編小説が原作となっています。この小説は直木賞を受賞し、発表当時から高い評価を得ていた作品でした。当時は、『キューポラのある街』や『非行少女』といった映画を世に送り出した浦山桐郎による映画化の話もあがっていたものの実現化はせず、映像化し損ねていたままの作品になってしまいました。
そんな中、高畑勲監督による企画が無事通り、スタジオジブリによるアニメーション映画化が進められる事になりました。
当時、原作小説を出版していたのは新潮社。スタジオジブリの親会社である徳間書店とはライバル関係でした。そんな状況下もあり、『火垂るの墓』と『となりのトトロ』の同時上映は新潮社と徳間書店による異例の合同企画となりました。そんな特殊な出資体制も影響し、現在でもディスクリリースや海外における映像配信などで、スタジオジブリ作品の中では例外的な扱いを受けることが多い作品となりました。
そういった意味でも、本作が存在する貴重性は忘れてはいけないのかもしれません。
“誰が悪い”話に揺れる叔母の責任と高畑監督の答え
『火垂るの墓』の話になると、必ずと言って良いほど話題に上がるのが、清太を追い出す叔母さんの存在です。
親を失い行くあてをなくした清太と節子は、叔母の家に身を寄せるわけですが、食事の内容に差をつけられたり、悪態をつかれたりし、結果的に居づらくなり家を出るわけです。こうして二人は家を出た末に、生活が成り立たなくなり、死へと繋がっていく事になります。そう考えると、原因を作った叔母の責任を問われる事になります。
「十分な生活を送れない二人を追い出すような形になった叔母が悪い」とい意見もあれば、「叔母も生活が苦しい立場にあり、家庭の助けとなれなかった清太に責任がある」という意見もあり様々。少なくともこのエピソードは、『火垂るの墓』において観ている側の考え方が浮き彫りになる、映画でも重要なターニングポイントであると言えます。
ただ、上映当時から清太に共感できることが戦後の時流とした上で、この清太と叔母の関係性に関して、監督の高畑勲の意見が当時の雑誌アニメージュにて語られています。
果たして私たちは、今清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太になるどころか、(親戚のおばさんである)未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、僕はおそろしい気がします
引用:アニメージュ1988年5月号(徳間書店)
と、叔母よりも清太を非難する時流が来ることを恐れていました。
清太に落ち度があるのは間違いないのでしょうが、清太の落ち度ばかりが責められる社会になった時は、まさに高畑勲が恐れていた時代が来たと言えるでしょう。
“自己責任”が叫ばれることが多くなった現在、改めて高畑勲が恐れていた懸念を思い出した方がよいのかもしれません。
二人が見つめる高層ビルのラストの意味とは?
映画の冒頭で電車に乗った清太と節子。二人は無事、あの世へ行ってしまったのだと思った人も多いでしょう。ただ忘れてはいけないのは、『火垂るの墓』のラストシーンです。映画は最後、清太と節子は当時の姿のまま、現代の高層ビル群を眺めているというシーンで終わります。
このラストは果たして、何を伝えようとしているのでしょうか。
前述のアニメージュのインタビューでは、作中で赤く描かれた清太と節子についても言及されており、高畑勲は彼らを明確に“幽霊”と明言しています。清太と節子はあそこで、当時の幸せだった頃を思い返し続けていたのです。そしてそのことを、高畑監督はこう評しています。
人生のある時期をくり返し味わい返して生きるということは、非常に不幸なことだと思うんです。清太の幽霊を不幸といわずして、なにが不幸かということになると思います。
引用:同上
映画の大半で戦争当時を描いているので、『火垂るの墓』は過去を舞台にした作品という印象も多いと思いますが、実は時間軸としては現代に軸足があるのです。見方によっては『火垂るの墓』という映画は、現代で戦争時代を今もなお反復し続ける悲しい幽霊の物語でもあったのです。
社会に迎合せず、節子との生活を選ぶ清太に感情移入できるように描いているところからも、高畑勲としてはどこか清太を支持したいという思い入れがあったのでしょう。ですが、清太のスタンスこそは支持していれど、「死」については肯定していないことがこのラストに現れているのかもしれません。あのラストは少なくとも“悲劇”として描かれているからです。
現在、日本は戦争や武力の行使を放棄している事になっています。ですが、世界ではまだまだ戦争がなくなることはなく、日本も否が応でも戦争と間接的には関わらずにはいられない状況です。
その状況下で果たして、我々はなにを選択していくべきか。戦争の悲劇を繰り返さないように、今もどこかで清太と節子が現代を眺め続けていることは覚えておきたいところです。
参考文献:アニメージュ1988年5月号(徳間書店)
※2020年10月6日時点の情報です。