2016年に『劇場版名探偵コナン歴代19作品人気投票』が行われた際に、見事1位を獲得したのが2003年に公開された名探偵コナン劇場版シリーズ第7弾の名探偵コナン 迷宮の十字路(クロスロード)』(※以下、『名探偵コナン 迷宮の十字路』と記載します。でした。なぜこの作品はそこまで人気の作品となったのか、を考えると、実はこの映画にはいろんな一面が盛り込まれた作品であるが故ではないでしょうか。今回はそんな『名探偵コナン 迷宮の十字路』が持つその特異性を、ネタバレありで解説していきます

名探偵コナン 迷宮の十字路』(2003)のあらすじ

東京、大阪、京都で古美術専門の窃盗団“源氏蛍”のメンバーをターゲットにした連続殺人事件が発生。現場からはそれぞれ窃盗団が各自で所持していた義経記が奪われていた。

そんな事件が話題になっている一方で、毛利小五郎やコナンは、山王寺の住職から、8年前に盗まれたとされる秘仏の在処を示す手がかりの謎を解いてほしいと依頼を受け、京都を訪れていた。時を同じくして、西の高校生探偵である服部平次は連続殺人事件に興味をもち、調査のために彼も京都を訪れていた。実は、平時にとって京都は幼い頃に見かけた一目惚れの少女と出会った思い出の土地でもあったのだ。

※以下、『名探偵コナン 迷宮の十字路』のネタバレを含みます。

コナン映画の一つのターニングポイント

いきなり、制作の舞台裏の話をするのも変かもしれませんが、名探偵コナン 迷宮の十字路は劇場版コナンシリーズでも、大きな区切りを担う作品でもありました。

例えば制作環境についてもシリーズ中で特別な意味を持ちます。制作当時は、アニメーションの制作が次々にデジタル制作へと移行する過渡期。すでに放送中のTVアニメではデジタル制作が始まっていましたが、劇場版シリーズではこの作品が最初のデジタル制作作品となりました。今でこそ当たり前の制作環境となっていますが、当時はコナンとしても徐々に、移行していくような状態でした。

制作環境では“はじまり”の一作でしたが、逆に今回の映画が“終わり”の意味を持つのが、長らく劇場版名探偵コナンシリーズの監督を務めてきたこだま兼嗣監督。これまで連続で監督を務めていましたが、名探偵コナン 迷宮の十字路が自身にとっては最後の劇場版名探偵コナンシリーズ監督作品となりました。

名探偵コナンという作品の長編映画を作るにあたって、いろんな方向を示してきましたが、最後となる本作でも実際に存在する観光を巡る設定を設け、新たな方向性も示した作品となりました。後に実際に展示されている美術を題材にした『名探偵コナン 業火の向日葵』(2015)や、シンガポールの名所観光を一つの見所として用意した『名探偵コナン 紺青の拳』(2019)といった作品たちの礎となったとも言えます。

実際の京都の町とのシンクロ性

こうして実在のアイテムや場所が題材になるのは劇場版名探偵コナンシリーズでは定番となっていくわけですが、実在するもので忘れてはいけないのが、作中に登場した手毬唄。この歌も実際に存在しており、京都の通り名と一致しているという設定も本当の話です。

まる たけ えびす に おし おいけ
あね さん ろっかく たこ にしき

それぞれ、丸太町通り、竹屋町通り、夷川通り、二条通り……と歌詞と実在の通りの名前が一致しています。ちなみにこれは東西の通りを示す歌で、映画では取り上げられていない南北の通り名も存在します。これを知っているだけで、京都の町を歩くだけでも少し楽しくなるでしょう平次がコナンを案内した観光地の多くも実際に存在する名所なので、映画を観たあとには、聖地巡礼に挑んでみるのもおすすめです。

映画に登場する名所の中で、どれが一番行きたくなるかといえば、やはりコナンと平次が見つけ出した山王寺の秘仏こそ一目観たくなりますが、残念ながら山王寺は実在しないお寺です。少し残念ですが、多くの観光地をしっかりロケハンを行なって描かれているので、作中ではわずかしか登場していない場所も、実際に観てみると「ここまで再現されているのか」ときっと驚くのではないでしょうか。ちなみにエンドロールには、作中に登場した清水寺や南禅寺が登場しています。現地に行けないという人も、少しは実際の雰囲気が掴めるのではないでしょうか。

「義経記」とリンクする物語

地理だけでなく歴史にも踏み込んでいます。今回の映画で鍵を握るのが、“義経記”。源義経の出生から悲劇的な最期までを描いた作品で、現在も作者は分かってはいない、室町時代前期には成立していたとされる歴史の長い軍記物語です。窃盗団の“源氏蛍”は、メンバーに義経と家来の名前をなぞらえていたりと作中にはいくつも源義経に関連したセリフが登場しています。

冒頭で、新一と電話する蘭を揶揄する小五郎が、義経と静御前(しずかごぜん)の関係になぞらえます。静御前とは、義経が愛した女性であり、吉野山で義経と離ればなれになって以来、悲しい境遇に見舞われる悲劇的な人物です。

また、コナンと平次もストーリーを通して、義経と弁慶に見立てた演出で描かれます。コナンと平次が出会うのも、義経と弁慶が出会ったという伝説が残る五条大橋。山王寺の住職も、コナンと平次のことを牛若丸と弁慶の様であったことを口にします。

義経と弁慶の様な主従関係はありませんが、作中で語られるエピソードの様に二人の絆は密接。新一の姿に戻るという非常に重要な機会を、平次や和葉の窮地に躊躇なく使うことができるところは改めて、驚きを感じます。

蘭はなぜ新一をこれだけ待てるのか

制作体制や作品内容が現実とリンクしていたりと多くの要素が詰まった『名探偵コナン 迷宮の十字路』ですが、冒頭でも紹介したような過去の劇場版シリーズの人気投票で上位を獲得した理由はそれ以外の点にあるでしょう。

「名探偵コナン」の映画シリーズでも特に人気を獲得する映画である所以は、なんと言っても恋愛要素の力は大きいでしょう。

ファンの間でも人気の高い平次と和葉の仲をより親密にするストーリーはもちろんのこと、新一と蘭が再会することの意味はとてつもなく意味が大きいことではないでしょうか。劇場版シリーズでは、怪盗キッドが変装した姿や回想シーンなどを除いて、本当の工藤新一が登場するのは2021年を迎えた現在でもこの作品のみ。

新一がコナンになってしまうのがキーとなる「名探偵コナン」の物語において、蘭というキャラクターは作品が完結するまでの期間が長くなればなるほど、ひたすらに新一のことを待ち続けることになるという悲しい宿命を背負っています。そんな蘭にとって、なぜそれだけ新一を待てるのか、の答えがこの映画に具体的に示されています。

私は人を待つのって嫌いじゃないよ。
だって長く待てば待つほど会えた時に嬉しいじゃない。

屈託のない笑顔でそう語れる純粋さは、「名探偵コナン」という長寿作品であるがゆえに会えないという悲しい宿命をたやすく跳ね返す力強さを感じます。

そして、観ているこちらもそんな悲劇性を分かっているからこそ、映画のクライマックスで新一と出会えたというカタルシスはひとしお。原作でも限られた機会でしか登場していない、新一との対面というある意味“禁じ手”を盛り上げるだけ盛り上げて振るったことこそ、今作の一番の特異性と言えるでしょう。

※2021年2月12日時点の情報です。