どうも、侍功夫です。
ハリセンボン春菜の「マイケル・ムーアじゃねえわ!」でおなじみ『ボウリング・フォー・コロンバイン』。そのタイトルの意味を覚えているだろうか?
1999年、コロンバインで起こった銃乱射事件において、保守系メディアが「犯人の2人はマリリン・マンソンの音楽に影響されて犯行に及んだ。」と報じたことに対し「彼らは犯行直前までボウリングしてたけど、その影響は無いのか?」と、彼らの指摘をバカにしてあてこすったのがタイトルの『ボウリング・フォー・コロンバイン』である。
気に入らないものをスケープゴートにまつり上げてブッ叩く大手メディアのやり口はアメリカに限った話では無い。かつて、日本でも同じようなやり口で、しかも対象となった作品を「禁忌の作品」として潰してしまったことがある。
今回はそんな事件について書いてみようと思う。
ホラー黄金期
アメリカで『13日の金曜日』が公開された80年代初頭以降「安く作れて大きく儲かる」ホラー映画は大量生産され、日本にも数多く輸入された。
それまでの有名なホラー映画といえば『エクソシスト』『オーメン』やハマーホラーの様に陰気なオッサンが高笑いしたり苦悶したりと、よく言えば格式高い、悪く言えば若者にはとっつきの悪い古めかしさがあった。
対して。80年代ホラー映画の多くは胸をはだけたネエちゃんがモリで威勢よく串刺しになり、ナタで首をはねられる下衆で猥雑なアッパーさがあり、若者の心を容易く掴んだ。
さらに、アダルトビデオ台頭によるビデオ(カセットテープのな!)業界の好景気とソフト不足といった要因に加え、84年の初頭に公開された『死霊のはらわた』が決定打となりホラー映画は大ブームを迎える。
毎週の様に日本未公開のホラー映画のビデオがリリースされ、劇場公開映画にホラーが増え、デパートの催事場ではホラー映画特集としてプロップ(実際に撮影で使われた小道具)展示会が開かれ、ホラー映画専門雑誌が次々と創刊された。老舗映画雑誌「ロードショー」からホラー映画特集の別冊は最終的に5冊も刊行された。
※当時出版されたホラー雑誌やホラー特集誌。いずれも著者所有物。
トビー・フーパー、ジョージ・A・ロメロ、ダリオ・アルジェントら、ホラージャンルの監督はまだしも、トム・サビーニやディック・スミス、ロブ・ボッディンなど裏方である特殊メイクアップアーチストまでスターの様に扱われた。
今田勇子
1989年。宮崎勤が逮捕される。
前年の88年から続いた幼女連続誘拐殺人事件の犯人としてである。幼女を誘拐し性的虐待を行い、その様子をビデオ撮影し、最後には殺してしまう。しかも、遺族の元へ「今田勇子」を名乗った偽の告白文を添えて遺体を送りつけるという残忍極まりない犯行であった。
ワイドショーでは連日、朝から晩まで宮崎勤の事をくり返し放送していた。どんな車に乗り、何を食べ、どんな生活をしていたか。バカバカしい程些末な情報さえリポーターは深刻な顔で一大事の様に伝えた。ネタが無ければ憶測をさも事実の様に伝えもした。
報道の早い段階で、宮崎勤の部屋が放映された。父親が息子の無罪を信じ、やましい事など無い証明として公開したらしい。しかし、メディアはこれを逆手に取り恐ろしい印象付けのために利用してしまう。
公開された彼の部屋は床から天井までギッチリ積まれたマンガ本やビデオテープが四方の壁を埋め尽くし、中央に寝床とわずかな生活スペースがある、いわゆるオタク的な部屋だ。撮影を許されたカメラマンたちはその部屋にグラビア雑誌やアダルトコミックを自ら持ち込むと「宮崎勤の変態的オールレンジな性欲」という印象付けを行うのだ(今同じことをすればカメラマンは吊るし上げを食らうであろう)。加えてテレビではおどろおどろしい音楽と共に、その“作られた部屋”の様子を放映した。おそらく、それが“作られた部屋”だと承知した上で。
そのビデオテープの山の中に日本発オリジナル・ホラー作品「ギニーピッグ」シリーズの1本があった。
ギニーピッグシリーズ
1985年。かねてからのホラー映画ブームに乗った形でオリジナルビデオ作品として1作目『ギニーピッグ 悪魔の実験』がリリースされる。映像表現的な演出を極力廃し、いわゆる「ファウンド・フッテージもの」の体裁を取り、ただひたすら女性が暴力を受け続ける様子を写し出し、あげく目玉に針を突き刺して作品は終わる。
続く2作目『ギニーピッグ2 血肉の華』(85)ではホラー漫画家の日野日出志を監督に向かえ「送られてきたビデオテープの再現」という体裁の作品になっている。白塗りで戦国甲冑を身に着けた狂人が縛り付けた女性を細切れに切っていく…… だけ。だが、その生々しい“解体”の出来栄えは本作を見たチャーリー・シーンが「スナッフ・ビデオ(実際の殺人をビデオに収めたもの)だ!」と警察に通報したほどだ。
シリーズ3作目『ギニーピッグ3 戦慄! 死なない男』(86)監督はナント「孤独のグルメ」原作者の久住昌之。とある男が自殺を決行するものの、いくら何をしても死なない。というコメディ。最終的に首だけになった男の口から出る言葉とは「大腸とっても大丈夫!」……ダジャレ……
4作目『ギニーピッグ4 ピーターの悪魔の女医さん』(86)は前作から引き継いだコメディ路線。主演のピーターを狂言回しにしたオムニバス形式のコメディ。出演には久本雅美、柴田理恵、吹越満、梅垣義明、林家正蔵(当時は林家こぶ平)……と、コメディ演劇団「ワハハ本舗」絶頂期の面子を勢ぞろいさせた、純然たるコメディ作になっている。
5作目『ザ・ギニーピッグ マンホールの中の人魚』(88)では再び日野日出志を監督に、自身の代表作『蔵六の奇病』を翻案した切ない物語をグロテスクな病に冒される人魚を通じて紡いでいく。
6作目『ザ・ギニーピッグ2 ノートルダムのアンドロイド』(88)不治の病に冒された姉を救うために一線を越えてしまうサイエンティスト、というこちらもドラマチックな悲劇だ。
宮崎事件発生当時に発表されたのはこの6作品。宮崎勤の部屋にあったのは4作目。コメディ作『ピーターの悪魔の女医さん』であった。しかし、メディアはそれではつまらないとシリーズ随一の残虐性を魅せる2作目『血肉の華』があったと放映したのだ。
意図的なデマの流布だ。
このデマによりビデオの山はすなわちホラービデオの山とされ、強くヨコシマに印象づけられる。後に裁判で宮崎の残虐性を証明する証拠として「ホラー描写のあるビデオ:XXX本」などという資料まで作られてしまう。
ところがこれは検察側の片寄った表現だった。ごくごく普通のサスペンスドラマの殺害シーンを「ホラー描写」としていた。リストのチェックをした大塚英志によれば、ほとんどがその程度の物だったという。
バッシング
ある日、ラテ欄にあった「13日の金曜日」パート5だか6だかの深夜放送が急きょ無くなる。ザ・テレビジョンやTVブロスなどのテレビ情報雑誌で放映のアナウンスがあったホラー映画の放映も全部なくなった。昼の間にワイドショーで「ホラー映画を好んで見る奴は犯罪者」と放送した、その晩にホラーを放送するワケにはいかない、というマヌケな矛盾に気付いてしまったのだ。
さらに。規制はテレビに留まらなかった。レンタルビデオ屋のホラーコーナーがほとんど無くなってしまう。ホラー映画ブームでビデオラックを何台も占拠していたホラー映画ビデオが一夜で一気にほとんど無くなってしまったのだ。残ったのは『シャイニング』や『霊幻道士』といった、言い訳の効きそうな作品やあたりさわりの無い作品ばかりだ。
それもこれも、原因はテレビメディアによる当てこすりのマヌケなデマである。
この「ホラー映画バッシング」の渦中の中心に祭り上げられた「ギニーピッグ」シリーズは事件を境にほとんどのレンタルビデオ屋から完全に姿を消し、今になってもDVD化されず、あげく海外のレーベルからリリースされてしまう。日本の法にのっとり合法的に作られた合法的な作品は、いいがかりのデマが原因で国内では見られないのだ。
しかも、このリリースによって海外マニアの目に留まるとたちまち人気を獲得し、オマージュ作『アメリカン・ギニーピッグ』『アメリカンギニーピッグ ブラッドショック!!』が製作され、こちらは日本で正式にリリースされているという本末転倒な事態になっている。
日本の大手テレビメディアは全くのデマを流布することで、真っ当な評価を受けるべき作品を握りつぶしてしまったのだ。しかも、そのやり口は今もなお、酒鬼薔薇事件を筆頭に若者による殺人事件を取り上げる際のフォーマットと呼べるほど常套手段になっている。
虐殺の論理
「ギニーピッグ」シリーズに対するデマ報道は、義憤にかられた人々に、その振り上げた拳へ、さしあたって手ごたえのある下ろし先を与えた。需要に対する供給という側面があったワケだ。このデマと全く同じ理由で流布されたデマが関東大震災時に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった差別意識を焚きつけた新聞報道である。
地震という誰かにあたるワケにはいかない天災によって家財や家族を失った、その行き場の無い感情にヘイト・クライムという、考えうる限り最低で最悪な“行き場”を与えたのだ。
日本のテレビメディアによる「ギニーピッグ」に対するデマは、誰かを殺すようなモノでは無かったが、その本質には良心の呵責なく罪の無い人を虐殺できる、“虐殺の論理”とでも言うべき醜さがある。
さて、この先かなり本気の提案をする。
それら、醜い“虐殺の論理”に絡め捕られないために、人々はもっとたくさんの映画を観るべきであろう。
多くの映画では、そういったデマの醜さや、デマに踊らされる人々の浅薄さを描いている。それらを数多く観れば、罪の無い人をさしたる理由もなく殺そうとは思わないだろうし、何の罪も無い作品を握りつぶしたりはしないだろう。
さしあたって、インド映画に触れてみるというのはどうだろうか?
と、いうところで今回はおしまい。