【ネタバレ解説】『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』って何なの?

Why So Serious ?

侍功夫

2015年度のアカデミー賞主要4部門(作品賞・監督賞・脚本賞・撮影賞)を受賞した『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

この作品は他の多くのアカデミー賞受賞作とは趣が異なり、見たままスッと理解できる作風ではありません。そこで基本的な“捉え方”のような解説を書いてみます。

どんでん返しがあるような作品ではありませんが、エンディングを含めた解釈を書きますので未見の人はまず観賞をオススメします。

バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) ポスター画像

ワンカット演出の糾える意味

バードマン最大の魅力はワンカット演出

参照:http://www.foxmovies-jp.com/birdman/

隕石のような何かが雲の奥側を炎を纏い落ちてくる場面から映画が始まります。

カットが変わって古びた劇場に場面を移すと電球のたくさんついた鏡の前で、初老特有のクタクタで力の無い皮膚の男リーガン・トンプソンが、ブリーフ1枚で座禅を組んで空中にプカプカ浮かんでいます。

そこから映画は約2時間、“ほぼ”ワンカットで進みます。本作が「ほぼ全編ワンカット」という野放図に技巧を凝らした手法を取っているのには以下の理由があります。

1)映画的スペクタクル

全編をワンカットで構成した映画というと、ヒッチコックの『ロープ』やソクーロフの『エルミタージュ幻想』があります。それぞれ全編ワンカットで見せることで途切れない緊張感壮大なスケール:映画的スペクタクルを作品に孕ませています。

『バードマン~~』でも、パンツ一丁で劇場から締めだされるサスペンスや、ビルの屋上からビューンと飛んでいくスペクタクルをワンカットで効果的に見せています。

2)虚構と現実が綯い交ぜになった世界

道端でドラムを叩いていたハズの男が、なぜか劇場の給湯室でドラムを叩いていたり、リーガンが超能力を使えたり、過去に演じた「バードマン」が耳元で囁いたり、といった不思議な場面と普通のドラマパートがワンカットに同居しています。

この光景は虚構と現実の線引きがうまくできていない総合失調になった人が見る景色でしょう。精神的に追い詰められたリーガンには妄想も真実も区別無く並列に見えていることを表現するためのワンカットです。

3)内容と呼応した演出方法

劇中でリーガンがチャレンジするのはレイモンド・カーヴァーの短編『愛について語る時に我々の語ること』の舞台戯曲への脚色と演出、主演です。イニャリトゥによれば「初めて手掛けるには最悪の選択」だそうです。

「カーヴァーの舞台化」が発想としては簡単でも実現は難しいように、「全編ワンカットの映画」も発想は簡単ですが、実現は難しいものです。

難しい表現にチャレンジし成功させる、という劇中の状況と呼応したコンセプチャルな撮影方法でもあるのです。

究極のメソッド・アクティング

主人公がでくわした不倫現場

参照:http://www.foxmovies-jp.com/birdman/

かつて、コミックヒーロー実写映画「バードマン」に主演し人気を博した俳優リーガンが挑戦する舞台劇『愛について語る時に我々の語ること』。繰り返される練習風景から、ある夫婦の愛をめぐる不貞と自己破壊を描いていることが解ります。

劇のラストではリーガンが演じる主人公が妻帯者の友人と妻が不倫をしている現場に突撃し、自分が誰にも愛されていない現実を嘆き、自殺を図ります。

その主人公を演じるリーガンは過去の栄光から遠ざかって随分経過しています。まだ未練のある妻に正式に離婚され、娘はドラッグ依存となり、リーガンに辛くあたります。

事故で降板した大根役者の代わりに来た舞台俳優は、台詞を完全に覚えているし演技も悪くないが小賢しくリーガンを挑発しつづけるし、前へ前へと押し出しが強過ぎて鬱陶しい。さらに彼が娘とキスをする現場を目撃してしまいます。

全てを賭けた起死回生のつもりで挑む舞台で、ヒットのカギを握る有名評論家は「オマエは役者じゃなくセレブでしかない。舞台は見ない上で、誌面で酷評してやる。オマエを潰す!」と宣言されます。

何もかも上手くいかず、誰にも愛されず、ドン詰まりで後が無いリーガンは劇中劇「愛について語る時に我々の語ること」主人公と同じ境遇にいるのです

ロバート・デ・ニーロが『タクシー・ドライバー』出演前に実際にタクシードライバーの免許を取得し、役作りのために流しのタクシー営業までしたことは有名です。

また、エイズを患った役になりきるため、ガリガリに痩せたマシュー・マコノヒーにジャレット・レトなど。リーガンの置かれた状況は、名優たちが役柄本人に成りきるアプローチ「メソッド・アクティング」と同じです。

リーガンは自分では自覚しないまま、実際に劇中の登場人物と同じ境遇となり、同じ願いを渇望し、同じ絶望を抱き、同じように自殺を謀ります。

サブタイトルとエンディングの意味

バードマン初日公演のラスト

参照:http://www.foxmovies-jp.com/birdman/

初日公演のラスト。リーガンは劇中の主人公がするように、本当にピストル自殺を謀りますが、弾丸は頭を剃れて鼻を破壊します。

「舞台を見ないで貶す!」と息巻いていた評論家も結局初日舞台を観賞しており、鬼気迫る様子や周囲の空気から高い評価をせざるを得なくなります。

それでもチンケなプライドのためイヤミ交じりの評文となり、その見出しが本作の副題でもある「無知がもたらす予期せぬ奇跡」です。「確かにすごかったし良かったけど無知で解ってないからこそ出来ただけじゃんか!」と言うワケです。

イヤミでも褒められて話題になった舞台にプロデューサーは早くもロングランを皮算用して喜んでいます。しかし、リーガン自身にはかつての執念は無くなっています。別れた妻や娘と愛ある抱擁するリーガンにとって『愛について語る時に我々の語ること』の登場人物とはかけ離れた人物になってしまったのです。

その代わり、打ち抜いた鼻は、まるでバードマンのように高くするどく整形されています

自らの惨めな境遇からメソッド・アクティングで舞台を演じたように、身も心もバードマンになったリーガンは病室の窓から飛翔して見せます。

本作ではワンカットで繋ぎ目なく一瞬で日が変わったりもしますが、この場面では大幅に時間が経過していると解釈するのが良いでしょう。

娘が笑顔で病室の窓から見上げているのは、おそらく新作『バードマン4』でクレーンにつられ空を飛ぶ父親リーガンの姿です。

メソッド・ディレクティング!

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督

参照:https://awards.yahoo.com/post/111837240897/birdman-wins-best-picture-director-at

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の過去作は、どれも評論家からの評価は高く、カンヌやアカデミー賞を始めとする各映画賞で度々受賞やノミネートを受けています。

一方、同じメキシコ出身のアルフォンソ・キュアロンはあの『ハリーポッター』シリーズを手掛けた上に『ゼロ・グラビティ』をモノにします。

ギレルモ・デル・トロにいたっては『ホビットの冒険』シリーズに携わりつつロボットvs怪獣の大スペクタクル映画『パシフィック・リム』で押しも押されぬメジャー監督に登り詰めます。

それに比べるとイニャリトゥのフィルモグラフィは深刻過ぎます。メキシコ三羽カラスと呼ばれる3人の中では一番文芸臭く、評論家筋の人気はあっても観客の人気は2人に徹底的に劣るのです。

これは『バードマン~~』劇中でリーガンの抱える問題と正反対ですが、全く同じだと言えます。リーガンは外に出れば「バードマンだ! バードマンだ!」と人に囲まれますが、評論家には「オマエを潰す!」と脅されます。

イニャリトゥは評論家には高い人気を誇りますが、キュアロンやデル・トロほど多くの観客には愛されていません。イニャリトゥのそんな状況が、本作の物語とワンカットという技法に繋がったと思われます。

リーガンは家族からの深い愛を求めているのに得られない苦悩を、舞台の上で自殺をするという奇妙な方法で表現し、ついに求めた通りの愛を得ます。

イニャリトゥは観客に熱狂的に愛されることを求めているのに得られない苦悩を、2時間ほぼワンカットという奇妙な方法で表現し、多くの観客の支持を得て、遂にアカデミー賞受賞という、求めた通りの愛を手に入れたのです。

複合的なテーマを表すために必然的な手法で作られ、狙った通りの成果を得たのが『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』なのです。

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