【ネタバレ解説】映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』彼は何と闘ったのか

映画沼の住人

田中亮一

2015年アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞を受賞した『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。ほぼ全編がワンカット撮影のように見えるという驚きの技術も相まった、かつてない作品世界で高い評価を受けました。

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本作を一言で表現すれば、落ち目の初老俳優を描いたドタバタ喜劇。しかし、そこには、かつてヒーローだった男と、そして本作を手がけたイニャリトゥ監督自身の闘いを読み取ることができます。

果たして、彼らは一体何と戦ったのか。『バードマン』の長いタイトルの意味とあわせて考察します。

※以下、映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のネタバレを含みます。

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リーガンにとって「バードマン」とは

主人公のリーガンは、かつてヒーロー映画「バードマン」の主役で成功を収めたベテラン俳優。しかし、いつしか仕事に困るようになり、私生活も望んだものとはほど遠い状況。自ら脚本・演出・出演する舞台にすべてを賭け、起死回生を図ろうとしています。そんななか、姿をあらわすのがバードマンです。

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バードマンは、落ちぶれたリーガンに「何をやってるんだ。お前は特別な人間なんだろ?」と囁きます。すると、それに呼応するように、リーガンはヒーローのごとく空を飛び、手を触れずに物を動かす超能力を発揮します。もちろんそれは現実ではなく、リーガンの空想の中で起きていること。

リーガンにとって、バードマンは過去の栄光の象徴、彼自身のエゴが姿となって現れた者です。バードマンの存在が彼にとって救いであり、また同時に、「凄い俺が売れないのは世の中が悪いからだ」という子供じみた思考を助長させ、現在の不甲斐ない状況を招く元凶でもあるのです。

リーガンが鼻を吹き飛ばした理由

やがてリーガンは、今の自分自身を冷静に見つめ直し、バードマンと決別することを決心します。自分が戦うべき相手は、過去の自分自身(=バードマン)だったのだと悟る、とも言えるでしょう。では、どのようにして、彼はバードマンと決別したのでしょうか。

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それが、舞台上で自分の頭を拳銃で打ち抜いた、と思いきや鼻を吹き飛ばしたシーンです。

鼻は、高慢さやプライドを象徴するもの。その鼻をへし折ることで、リーガンは過去の傲慢な自分を葬り去ることを遂げます。結果的に未遂に終わりますが、頭にあてた拳銃の引き金をひいた時、それまでのリーガンは「死んだ」のです。

その後、バードマンの死を看取ったリーガンは、やがて本物のヒーローとなって飛び立ちます。その姿を目撃した娘のみが、父親が到達した境地を理解し、失われた絆を取り戻していく。本作には、50歳を過ぎた憐れな男が過去の自分と対峙し、生きる意味を取り戻すための死と再生の物語が潜んでいるのです。

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火の玉とクラゲを神話で読み解く

終盤、バードマンはリーガンにこう囁きます。

「俺たちのやり方で派手に幕を閉じるんだ。炎に向かって飛べイカロスよ」

「イカロス」とは、ギリシャ神話に登場する人物のひとり。蝋でかためた翼を広げて太陽に挑むものの、熱で蝋が溶けて落下死してしまうという彼の神話には、人間の傲慢さを批判する寓意が込められています。

『バードマン』のラストで空から火の玉が落ちるシーンは、このイカロス神話に重ねて、バードマン(過去の傲慢な自分)が燃え落ちて死ぬことが表現されたものであり、海岸に打ち上げられた無数のクラゲは同じように死んでいった者たちの屍であると、読み解くことができます。

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出典元:Youtube(20世紀フォックス ホームエンターテイメント)

オマージュともうひとりの分身

『バードマン』ではもうひとり、過去の自分と対峙していた人物がいます。それが、本作を手がけたアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督自身です。その考察の手がかりになるのが、『バードマン』におけるオマージュです。

本作の冒頭では、詩人レイモンド・カーヴァーの詩が引用されており、そこでは、詩の文字がアルファベット順に現れるという特徴的な映像表現が使われています。

実はこれは、ジャン=リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』(1965)のオマージュです。事実、同作のタイトル部分を観たことがあれば瞬時にわかるほど、同じ表現方法が使われています。

なぜ、この映画のオマージュが取り入れられたのでしょうか。

気狂いピエロポスター

『気狂いピエロ』は、本の虫で理屈ばかりこねている男フェルディナンが、恋人のマリアンヌと逃避行する物語。

フェルディナンはやがて、奔放に人生を楽しむマリアンヌとすれ違いを続け、挙句の果てに他の男と逃げた彼女を銃殺し、自分もまたダイナマイト自殺を遂げるという、壮絶な最期を迎えます。

ここで注目したいのが、マリアンヌを演じたのが、ゴダールの私生活のパートナーでもあった女優アンナ・カリーナであるということです。

気狂いピエロ02

当時のゴダールは、表現者として大きな壁に突き当たっていたと言われ、それまでの自分、それまでの表現方法に変化を求めていたという背景があります。

奇しくも、その当時、アンナから三行半を突きつけられたゴダールは、劇中でマリアンヌ(=アンナ・カリーナ)を銃殺することで彼女を吹っ切り、そしてフェルディナン(自分の分身)をも爆死させたのです。過去の自分と決別したゴダールはその後、商業映画との決別も発表し、映画作家としてネクストステージに進むことになります。

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『バードマン』の冒頭にオマージュが取り入れられた理由。それは、『気狂いピエロ』におけるフェルディナンとゴダールの関係性、つまり、過去にとらわれた男リーガンもまたイニャリトゥ監督の分身であった読み解くことができます。

続く、『レヴェナント:蘇えりし者』(2015)で再びアカデミー賞監督賞に輝いたイニャリトゥ監督。ゴダールやリーガンが過去と決別したように、『21グラム』『バベル』といったそれまでの重厚な作風・テーマからのブレイクスルーを試み、さらなる飛躍のカギになったのが『バードマン』であった、と読み取ることができるのではないでしょうか。

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長い題名に込められた意味

さて、題名にある「無知がもたらす予期せぬ奇跡」には、どんな意味があるのでしょう。

作中で、その論評が舞台の成否を左右するといわれる大物評論家タビサは、リーガンのような演劇の門外漢が名声だけで成功することに強い反発心を持っています。「あなたは役者じゃない、ただの有名人よ」とリーガンを非難し、論評でこき下ろす気満々です。

ところが、図らずもリーガンの舞台は俳優のゴシップや、パンツ一丁で街中を走るネット動画、舞台上での自殺未遂が話題になり、大成功を収めてしまいます。作品の質とは全く関係のないところで評価が決まってしまうわけです。

スタンディングオベーションの中、ひとり静かに立ち去る大評論家タビサは、芸術の死を認め、180度方向転換した論評を書くことになります。そのタイトルが、「無知がもたらす予期せぬ奇跡」なのです。

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出典元:Youtube(20世紀フォックス ホームエンターテイメント)

おそらく、タビサが書いた論評の内容は「演劇のアウトサイダーが奇跡を起こした。まぐれではあるが確かに面白い、観るべき作品である」といったものであったと予想されます。

多分の皮肉を込めつつも、タビサは大衆に迎合せざるを得なかった。芸術性にとらわれすぎると自分も時代遅れの人間になってしまうという危惧もあったでしょう。

そんな「芸術性 vs 大衆性」という彼女の闘いにも、イニャリトゥ監督の『バードマン』以前以後の作風・作家性にまつわる「闘い」を垣間見ることができます。

(C)2014 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.、(C)StudioCanall

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