【ネタバレ】映画『ボーンズ アンド オール』本作はホラーなのか?恋愛映画なのか?カニバリズムが意味するものとは?徹底考察

ポップカルチャー系ライター

竹島ルイ

映画『ボーンズ アンド オール』を徹底考察。

『君の名前で僕を呼んで』(2017年)のルカ・グァダニーノ監督とティモシー・シャラメのタッグ、再び。人を食べてしまう衝動を抑えることができない若者たちを描き、その過激さで賛否を巻き起こした『ボーンズ アンド オール』(2022年)。

愛、青春、そしてカニバリズム。神々しいまでに美しく、それでいて目を背けたくなるようなシーンも横溢したR18指定作品。という訳で今回は、『ボーンズ アンド オール』についてネタバレ解説していきましょう。

映画『ボーンズ アンド オール』(2022)あらすじ

同級生の指を食べてしまう事件を起こしてしまった、18歳の少女マレン(テイラー・ラッセル)。彼女は生まれつき、人肉を食べずにはいられない衝動を持っていた。父親にも捨てられ、天涯孤独となったマレンは、母親の出生地であるミネソタへ向かう。その道中、同じ嗜好を持つリー(ティモシー・シャラメ)という青年に出会うことで、彼女の人生は大きく変わり始める……。

※以下、映画『ボーンズ アンド オール』のネタバレを含みます。

キャストに集結した“同志たち”

『ボーンズ アンド オール』の原作は、カミーユ・デアンジェリスが2015年に発表した同名ヤングアダルト小説。この物語では、主人公たちがオハイオ、ミネソタ、インディアナ、ウィスコンシンなど、アメリカ中西部の様々な州を横断するが、トラベル・ライターとしても活躍しているデアンジェリスの経験が結びついているのかもしれない。

映画会社がさっそくこの原作に目をつけ、『クリスティーン(原題)』(2016年)や『悪魔はいつもそこに』(2020年)で知られるアントニオ・カンポスを監督に招聘。だが、どうにもこうにもプロジェクトが前に進まない。そこで脚本を書いたデヴィッド・カイガニックが、直接電話でルカ・グァダニーノに演出を依頼。彼らは、『胸騒ぎのシチリア』(2015年)や『サスペリア』(2018年)で一緒に仕事をした仲で、親友でもあった。だがグァダニーノは、その申し出に最初は「NO」を突きつけたという。

「君が書いたものは何でも読みたいけれど、今の私の人生にはたくさんのプロジェクトがあり、その上にまた別のプロジェクトを加えることで、すべてに執着する薄っぺらい人間になりたくはないんだ、と彼に伝えたよ。(中略)

しかし、彼はどうしてもという。私のモットーは、“何度も頼まれたら、イエスと答えろ”。本当にそう思っているんだよ。少なくとも、彼が書いたシナリオを読むという楽しみのために、まずは読んでみるよ、と伝えた。彼はとても素晴らしい脚本家だからね。

そして読み始めると、予想通り素晴らしい文章であっただけでなく、彼が描いた登場人物たちが、小説も知らず企画も練っていない私に、力強く、とても深く、心に響いたんだ」
deadline.com ルカ・グァダニーノへのインタビューより抜粋)

すっかり脚本に魅了されたグァダニーノは、『ボーンズ アンド オール』の監督を引き受けることを快諾。その時点でリー役には、『君の名前で僕を呼んで』でタッグを組んだティモシー・シャラメしかいない、と決めていたという。

他のキャストも、かつて仕事をしたことがある“同志たち”が数多く呼ばれた。マレンの母親役のクロエ・セヴィニー(『僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE』)、マレンの祖母役のジェシカ・ハーパー(『サスペリア』)、ジェイク役のマイケル・スタールバーグ『君の名前で僕を呼んで』)……。

ちなみにクロエ・セヴィニーは、グァダニーノ監督から「小さいけど重要な役を演じてほしい」と頼まれたとき、「セリフ1つでも出演します!」と答えたそうだが、脚本を読むと本当に自分のセリフが1行しかないことに驚いたそうな。

主人公マレン役には、『WAVES/ウェイブス』(2019年)でゴッサム・インディペンデント映画賞のブレイクスルー演技賞を受賞したテイラー・ラッセルが抜擢された。

オーディションではなく、グァダニーノ監督の“直感”による指名だったという。

『WAVES/ウェイブス』で初めて観て、彼女が大好きになったんだ。(中略)『ボーンズ アンド オール』を引き受けるとき、すぐ『WAVES/ウェイブス』の彼女の姿が頭に浮かんだよ。本当に直感だった。だから、彼女のエージェントのダニー・ストライサンドに頼んで、ZOOMをセットしてもらって、しばらく話をしたんだ。

(中略)私はこの若い女性の中に、輝きを見た。私は彼女がやるべきだと思った。でも、少し待ってみたんだ。いつもはもっとしつこいんだけどね。1週間か2週間後にもう一度彼女に電話して、”聞いてくれ、もう決めたから、マレンを演じたいなら、この役はあなたに任せる “と言ったんだ。それでおしまい」
deadline.com ルカ・グァダニーノへのインタビューより抜粋)

かくして『ボーンズ アンド オール』は、心の傷を繊細に演じることができる稀有な若手俳優テイラー・ラッセル&ティモシー・シャラメのコンビによって、作られることになったのである。

自分の中に棲まう怪物、偏見に満ちた社会

ルカ・グァダニーノ監督は、『ボーンズ アンド オール』を“おとぎ話”と呼んでいる。「若者がこの闇の世界を彷徨い、あらゆる困難に遭遇し、お互いの眼差しの中に愛を見出し、不可能を克服しようとする話」なのだと。ティーンエイジャー特有の孤独感、自己嫌悪を、人肉食というカニバリズムに重ね合わせたことは間違いない。

「カニバリズムは本当に腹立たしい。なぜなら、生き残るために究極のタブーに手を染めることは、誰もが恐れることだからだ。“自分の良識をコントロールできない状況に陥るかもしれない”というコンセプトは、私の心に響くものがある」
theguardian.com ルカ・グァダニーノへのインタビューより抜粋)

考えてみるとグァダニーノ作品には、世界から疎外された孤独なアウトローが数多く登場する。手に入らないものを欲しがることで、周囲の人々から疎外される『胸騒ぎのシチリア』のハリー(レイフ・ファインズ)。同性愛者であることに苦しみ、社会からの疎外感を感じている『君の名前で僕を呼んで』のエリオ(ティモシー・シャラメ)。東西冷戦下に、東ドイツ・ベルリンのダンス・カンパニーに入学する『サスペリア』のアメリカ人のスージー(ダコタ・ジョンソン)。

グァダニーノは、自らゲイであることをカミングアウトしている。彼もまた闇の世界を彷徨い、あらゆる困難に遭遇してきたのだ。だからこそ、映画に登場するアウトローたちへの眼差しは、どこまでも優しい。本作『ボーンズ アンド オール』もまた、これまでのフィルモグラフィーと地続きの作品と言っていいだろう。

興味深いのは、劇中でマレンが手にしている小説が、クライヴ・バーカーの『死都伝説(原名:Cabal)』であることだ。精神病を抱えた主人公のブーンは、連続殺人犯の二重人格者。その事実を知った彼は自殺しようとするが果たせず、ミディアンと呼ばれる死都へ向かう…という物語。のちにクライヴ・バーカーは、自ら脚本・監督を務めた『ミディアン』(1990年)で映画化している(そしてなぜか映画監督のデヴィッド・クローネンバーグが出演している!)。

自分の中に棲まう怪物、偏見に満ちた社会。それは『ボーンズ アンド オール』のテーマそのものであり、ルカ・グァダニーノ監督のフィルモグラフィー全てにも通底している。

彼らはボニー&クライドなのか?

この映画は、父親に捨てられた18歳の少女マレンが、母親を探し求めて旅をするロードムービーの様相を呈している。筆者はすっかり、マレンの孤独や寂寥感を母親がしっかりと受け止めることで、彼女がこれからの人生をしっかりと踏み出していく物語になるものだと思っていた。

ところがやっと見つかった母親は精神病院に長期入院しており、こともあろうかマレンに襲い掛かって殺害しようとする。自分が産んだ娘は社会不適合者であり、「自らの手でこの世から葬り去らなければならない」と考えたのだろう。母親からの愛を拒絶され、マレンは茫然自失となる。

リーもまた、父親の度重なる暴力に耐えかねて、妹を助けるために彼を食い殺していた。マレンとリーの孤独な魂は、実の親からの拒絶によって生み出されたのである。

行く先々で殺人を犯し、死体を貪り食う二人の姿を、アメリカ中西部で銀行強盗や殺人を繰り返した、ボニー&クライドに重ね合わせる者も多いことだろう。だが、彼らの逃避行を描いた『俺たちに明日はない』(1967年)には、殺人に対する逡巡や葛藤は見受けられない。

マレンとリーは殺人のために殺人を犯すのではなく、社会規範から逸脱した欲望を抑えきれずに、殺人に手を染めてしまうのである。

むしろボニー&クライドに近いのは、旅の途中で出会う男二人組だろう。片方の男は“同族”ですらなく、快楽として殺人とカニバリズムに明け暮れるのだ。ルカ・グァダニーノ監督は、父親と母親からの拒絶、男二人組との対比によって、「若者がこの闇の世界を彷徨い、あらゆる困難に遭遇し、お互いの眼差しの中に愛を見出し、不可能を克服しようとする話」であることを強調している。

『ボーンズ アンド オール』はホラーなのか?恋愛映画なのか?

『ボーンズ アンド オール』は、ホラー映画なのか。それとも恋愛映画なのか。いや、そもそもホラーというジャンル自体を、ルカ・グァダニーノはどのように捉えているのか。彼は古典的名作『サスペリア』をリメイクした人物であり、「ホラー映画の大ファンである」とも明言。だがその一方で、ホラーの“お約束描写”のみに陥った映画には苦言を呈している。

「ホラー映画というジャンルは、様々な限定されたルールに縛られている。そのルールの繰り返しが、映画館でポップコーンを貪りながら『ファイナル・デスティネーション』(2000年)を観るような観客には、面白くてたまらないものだからだ。

『シャイニング』(1980年)のスタンリー・キューブリックのように、大きな力を与えてくれる体験、あるいはホラー的なコードについて考察した偉大な体験になり得ることもある。でも、たいていは単なる繰り返しだ。コンフォート・フード(筆者注:口にすると幸福感を感じられる食べ物)のようなものだね。

ただし、コンフォート・フードは最初は美味しくても、加工されたものなので食べた後は気分が悪くなってしまうんだ」
deadline.com ルカ・グァダニーノへのインタビューより抜粋)

筆者が『ボーンズ アンド オール』を鑑賞して強く感じたことは、マレンとリーの愛の瞬間が最も燃え上がる瞬間が、最も死に近い危険な瞬間であることだ。二人は何度か口付けを交わす。お互いを激しく求め合う、情熱的な口付け。だが観ている我々は、そのロマンチックな描写もホラー的な恐怖とないまぜになったような感覚を受けてしまう。彼らは人を喰らうのだから。

愛と死は相反する要素ではなく、同一線上にある。ラストシーン、リーがマレンに「自分を食べてくれ」と懇願するのは、食人族としての飢えを満たすことを願ったのではなく、愛の到達点として自然な帰結なのだ。

『ボーンズ アンド オール』は、「ホラー映画の要素も、恋愛映画の要素もある作品」ではない。ホラーと恋愛という要素が分かち難く結びついた作品」だ。そんな映画、ルカ・グァダニーノ以外に撮れるだろうか?

(C)2022 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All rights reserved.

 

※2023年8月4日時点での情報です。

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