【ネタバレ】映画『ヴィレッジ』結末はどうなる?村社会がもたらす負の連鎖を徹底考察!

魚介類は苦手だけど名前は

スルメ

横浜流星が落ちぶれた若者を演じた映画『ヴィレッジ』をネタバレ解説! 能との関係性や、村社会がもたらす負の連鎖を徹底考察!

「和を以て貴しとなす」という言葉があるように、争いを避け、和を乱さないことが日本では重要とされている。

和を尊ぶ日本人らしい習性だが、ポジティブな面ばかりではない。和に馴染むことに注力するあまり、疲れ果ててしまう人もいるだろう。

今回取り上げる映画『ヴィレッジ』は、そんな日本にはびこる同調圧力を残酷に描いた作品だ。

本記事では劇中の舞台になった架空の集落・霞門村と日本社会の関係や、能の演目から受けた影響を考察していきたい。

ヴィレッジ』(2023)あらすじ

 

実の父が殺人を犯したことで、“殺人犯の息子”の烙印が押されてしまった片山優(横浜流星)。彼は閉鎖的な集落・霞門村で、村人たちに蔑まれながら生きてきた。

ごみ処理場の仕事に追われ、母親の借金をヤクザに返済する毎日。そこには希望などあるはずもなく、優は無気力な人生を送っていた。

そんなある日、優の幼なじみ・美咲(黒木華)が東京から戻ってくる。彼女は東京での仕事で心を病み、故郷である霞門村に帰ってきたのだ。美咲はすっかり変わってしまった優を心配し、ことあるごとに声をかけるようになる。

次第にふたりの距離は縮まり、互いに惹かれあっていくが、優の先輩格である透(一ノ瀬ワタル)が嫉妬心を募らせ、信じられない行動に出るのだった。

※以下、ネタバレを含みます。

霞門村と日本社会

本作の舞台となる霞門村は、吐き気がするほど邪悪で、不気味な集落だ。村長の修作はにこやかに観光客を呼び込みながら、裏では違法行為に手を染めている。

村人たちは犯罪者の子どもである優を徹底的に差別し、その存在を無視してきた。表では村の名前のとおり“ウェルカム”に振舞いつつも、その実は誰もがドン引きするような閉鎖的な社会が広がっている。

本作を観た方は、「絶対にこんな村に住みたくない!」と誰もが拒否反応を起こすだろう。“悠々自適な田舎暮らし”への夢が打ち砕かれることもあるかもしれない。

しかし、よく考えてみてほしい。本当に閉鎖的で不気味な社会は、霞門村だけの話だろうか。気がつかないうちに、自分自身が所属していたりしないだろうか。

監督が公言しているとおり、霞門村は日本社会の縮図である。表面上はウェルカム精神満載に見えても、非情なほど閉鎖的な社会が構築されてしまったのが日本だ。

細かい部分を見ても、日本と霞門村は驚くほど似ている。たとえば、伝統文化と最先端技術が融合している点だ。外国人観光客には珍しいだろうし、日本ほど過去・現在・未来の文化が共存している国は世界に類を見ない。国家単位で見ると素晴らしいことのように思えるが、縮小して見るとどうだろうか。

霞門村には伝統文化の能があり、子どもだった優が興味を抱くほど身近な娯楽だった。その一方で、山の上には最先端技術を導入したごみ処理場が建設されている。文字どおり過去と現在が隣り合っている霞門村だが、本当に美しいといえるのか、疑問が残る。

表向きは共存しているようにアピールしているが、実は真っ向から対立していた。修作と光吉の兄弟関係が、伝統と革新の間で起きる対立のメタファーになっているのは言うまでもないだろう。

また、霞門村は同調圧力が強く働いている村だ。村人全員が能面を被り、村を練り歩く一連のシーンは美しさを通り越して、もはや不気味である。全員が同じ方向を向き、同じ表情をして、同じ場所に向かっていく。この違和感に気がつかない方は、すでに“日本社会”に飲み込まれているかもしれない。

能とのリンク

能は世界最古の舞台芸術で、日本が誇る伝統文化のひとつだ。本作ではさまざま場面で能について言及されており、歌舞伎役者の中村獅童が能を舞う、ある意味で驚きのシーンが撮影されている。

その中でも、特に注目したいのは演目のひとつである「邯鄲」だ。劇中では美咲によって軽く言及されていたが、改めて「邯鄲」について解説していこう。

「邯鄲」は、漠然とした日々を過ごしていた男が、突如皇帝になるストーリーだ。皇帝になり50年間やりたい放題するが、実はそのすべてが「邯鄲の枕」が見せた夢だった。目を覚ました男はすべてが夢だと知り、この世界の儚さを知る。

非常に哲学的な演目だが、この物語は美咲に出会った後の優にそのまま反映されていた。優にとっての「邯鄲の枕」は、現実の生活に変化を与えてくれた美咲だったのだ。

そして優以外にも、「邯鄲の枕」の夢を見ていた人物がいる。美咲の弟である恵一だ。彼は優に対して憧れを抱いており、透が殺された夜以来、夢を見続けていた。同調圧力に屈することなく不正を告発したが、優の豹変っぷりを見て、恵一は目を覚ます。

本作において、唯一ポジティブな面があったとすれば、映画のラストで恵一が村を出ていったことだろう。恵一は「邯鄲の枕」で見た夢を経て、新たな一歩を踏み出していく。すべてを壊してしまった優との対比が美しく、映画の完成度をさらに高めたラストといっても過言ではない。

ヴィレッジ』の悪人は誰か

『ヴィレッジ』を鑑賞した際、筆者はこの映画に“完全な悪”が存在していなかったことに気がついた。悪役といえば、『宮本から君へ』でも強烈な演技を披露していた一ノ瀬ワタル演じる透が思う浮かぶが、彼も同情する余地のある人間だった。

親の寵愛を受けられず、汚れ仕事に手を染め、周囲に受け入れてもらうことができない。実は透も優と同じく、“ひとりで戦っていた”不器用な男だったのではないだろうか。

当然、透の暴挙を許すことはできないし、当然の報いであると言えなくもないが、彼もまた閉鎖的な村社会の被害者だった。

そして、被害者の側面が強く描かれていた優も、加害者のひとりである。ほかに選択肢がなかったとはいえ、違法な廃棄物処理に手を染め、村の土地を穢していた。そんな優を差別し続けていた村人たちも、同調圧力によって過激な言動を取っていたにすぎない。

諸悪の根源である村長の修作すら、行動原理には母親の愛がある。修作は弟の光吉と比較され続け、村長の器ではないと侮辱されながらも、母に認めてもらうために必死で村長の仕事をこなしてきた。高みを目指すあまり、さまざまな悪事に手を染めていたが、同情できる悪人だったことは確かだ。

本作に登場する数々の悪人たちの動機を追っていくと、おのずと村社会に繋がってくる。本作が描きたかったのは人間の本質や醜さではなく、“集団”や“コミュニティ”の恐ろしさだ。

劇中では村という比較的大きな集団が描かれたが、同じような現象は会社、学校、近所など、大小さまざまなコミュニティで現実に起きている。

『ヴィレッジ』を観た後には、自分が所属しているコミュニティをよく観察してみてほしい。映画を観る前には目に入らなかった、さまざまな違和感に気づいてしまうはずだ。

ヴィレッジ』(2023)作品情報

監督・脚本:藤井道人
出演:横浜流星、黒木華ほか。
公式サイト:https://village-movie.jp/

(C)2023「ヴィレッジ」製作委員会

※2023年6月16日時点の情報です。

記事をシェア

公式アカウントをフォロー

  • RSS