はじめまして、私、小出一富と申します。南青山にある自由大学というところでいくつか講座を担当しているのですが、そのうちの一つにイスラームの講義があります。私の講義の宿題は「イスラーム映画を観てくること」です。
映画は歴史や社会背景に自分との共通性がないと感情移入できないもの。
もしイスラーム世界の映画がつまらないものだと思っていたとしたら、それは異文化との共通の認識がないだけなのかもしれません。
そんなイスラーム映画で私の一番オススメがアミール・ナデリ監督の作品。イラン出身の監督はアッバス・キアロスタミだけじゃないんです。
作品は『駆ける少年』。製作年は1985年。
順番に背景から解説していきましょう。
『駆ける少年』
この映画は1980-88年のイラン・イラク戦争の戦時下に撮られた映画です。でも戦争映画じゃありません。
この映画はアミール・ナデリ監督の自伝映画なのですが、映画の中のイランと今のイランとは全く違う世界です。
イスラームにおける大きな転換期は1979年
共産主義ソ連のアフガン侵攻があり、そしてイランではホメイニによる「イラン革命」が起こります。
イラン革命以前のイランとはいったいどういう国だったのかというと・・・
この映画には、アミル少年が海外の雑誌をお金を貯めて買うシーンが出てきます。港で白人の水兵やスーツの男たちの靴磨きをするアミル少年。また、あちこちで聞こえてくるのはルイ・アームストロングやナット・キング・コールのアメリカンなジャズ音楽。
そんな映像を観ると、ここって本当にイラン?どこかの植民地なのだろうか?と思うかもしれません。
もともとイランという国には、とても複雑な事情があるんです。
第二次世界大戦中に、ソ連とイギリスがイランの豊富な石油資源を狙って侵攻します。
イランはアメリカのルーズベルト大統領に仲介を依頼するのですが大統領はこれを拒絶。イランが制圧されると先帝をナチスシンパとして廃位させ、息子のモハンマド・レザーという人を皇帝に即位させます。
しかし問題はやはり石油利権。
アングロ・イラニアン石油会社が設立されるとイランの石油の85%をイギリスに持っていかれてしまいます。
すなわち、イランの主要産業を、ほとんどイギリスに持っていかれてしまうことを意味しています。なんともおそろしいジャイアニズム。
しかしイランでモハンマド・モサッデグという人物が首相に就任すると、モサッデグ首相はアングロ・イラニアン会社の国有化を議会に提出。
議会で満場一致で可決されます。
当然、西側諸国はイランを強く非難。のみならずアメリカとイギリスの共同作戦でCIAを駆使して「アジャックス作戦」というクーデターを遂行します。
このクーデターで民主主義で選ばれたモサッデグは失脚、皇帝モハンマド・レザーを専制君主として返り咲きさせます。(※モサッデグは軟禁中に死去します)
当然、モハンマド・レザー政権と政権に返り咲きさせてくれた英米とは蜜月な関係。
そんな中でイラン国内は急激に欧米化が進んでいくことに。
ところが急激な欧米化が招いたものは、イスラーム文化を保持しようとする保守層の反感と、資本主義の弊害といえる貧富の格差の増大でした。
この映画の中でアミル少年ってなんでこんなに貧しいんだろう。やっぱりイスラームは間違っているんだ、と思う方もいるかもしれませんが、彼がこんなに貧しい原因はここにはじまっています。
結果、そうした社会的な不満が増大してピークに達し、皇帝モハンマド・レザーはなんと「ちょっと休暇に行ってきます」と言って自らボーイング727を操縦してエジプトに亡命してしまいます。
イラン革命の成立。1979年の出来事です。
この映画は、その1979年以前を舞台にした映画です。
イラン革命以後、そういったいきさつから西洋文化に対する規制が厳しくなります。
その様子はバフマン・ゴバディ監督の『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009)でも感じることができます。
『ペルシャ猫を誰も知らない』
邪推ではあるのですけれど、この映画『駆ける少年』の飛行場のラストシーン、あの飛行機にモハンマド・レザーが乗っていたんじゃないか?なんて空想してしまうのですがそれもこの映画の楽しみ方のひとつかもしれません。
このように当時のイランの状況を知っていると何倍も楽しめる映画ではないかと思います。「異文化への共通認識」が映画をますます楽しくするというのはこういうことですね。
おまけ!「イスラム」「イスラーム」どっちが正しい?
最後におまけですが、「イスラム」「イスラーム」どっちの表記が正しい?という話が良く出てきます。英語だとイスラムになりますが、アラビア語から音写するとislāmになります。アラビア語的にいってもこっちの方が正しいので、イスラーム研究者たちは大抵「イスラーム」と表記します。