インド映画のニュース映像で、ラジニ・カーントなど映画スターの巨大な人型看板に牛乳をかける光景をよく見ます。シバ神が乗る神聖な動物である牛から取れる牛乳は、神からの恵みでありヒンドゥー教徒にとって特別な意味のある飲み物なのです。
しかし、だからといって。看板に牛乳をかけるというのはどういった発想なのだろうか?
「神の沈黙」をコメディに!?
参照:http://en.wikipedia.org/wiki/PK_(film)
『P.K.』は日本でも大ヒットを記録したインド映画『きっと、うまくいく』監督のラージクマール・ヒラーニと、主演のアーミル・カーンのペアが再び組んだ新作です。
砂漠のド真ん中、全裸でたたずむ謎の男P.K.(アーミル・カーン)は、偶然居合わせたコソ泥に唯一の持ち物で命の次に大事なペンダントを奪われてしまいます。コソ泥を追って街まで出て、行方を聞いてまわっても帰ってくる答えは一様に「神様にお祈りするしかないねえ」という慰めの言葉です。
それを真に受けたP.K.はヒンドゥー、イスラム、キリストとあらゆる宗教に入信します。様々な儀式や修行を積んでペンダントの行方を尋ねるが、もちろんどの“神様”からも返事はありません。その姿をテレビ番組で取り上げようと画策するリポーターのジャッグーは行き場の無いP.K.を自宅に居候させます。
そんな奇妙な共同生活の中、かかってきた間違い電話に対するジャッグーのぞんざいな対応を見て、P.K.は奇妙な考えに取りつかれます。
「私や、他のあらゆる宗教信者から、それぞれの神への祈りは、この間違い電話のように全然関係の無い別の誰かに届いているのではないか? その誰かは、あまりに多く間違い電話がかかってくるので適当なウソをついているのではないか? 看板に牛乳をかけろとか?」
映画『P.K.』は宗教における大問題「神の沈黙」を描いています。しかも抱腹絶倒のコメディとしてです。
人殺しを是とする宗教は無い
インドには生活と密接に関わる戒律のある宗教信者が多くいます。さらに、隣にはイスラム教国があり、十数年前までは度々紛争もありました。国内でも宗教対立が暴動にまで発展したことが度々あります。
彼ら信者は諍いを起こそうと思って信心を持つワケではありません。殺人を是とする宗教は寡黙にして知りません。しかし、それでも諍いは起きます。しかも「神の意志」だとまことしやかに叫びながら。
でも、その「神の意思」って「間違い電話」と同じじゃないの? 本作はそう問いながら、実は「神の意思」を自分勝手にねつ造する人間を追及します。
『P.K.』は、宗教紛争が激化する現代の世界で生きる全ての人にとって、新しい福音となりえる、真に「カルト映画」と言える作品です。
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